これは、2000年2月24日に大分オアシスタワーで開催された、「豊予海峡ルートと広域連合を考える」と
題したシンポジウムの記録です。

主催:太平洋新国土軸(豊予海峡ルート)推進大分県期成会

【コーディネーター】

大分合同新聞社取締役編集局長 田辺 正勝

【パネリスト】

 (株)いよぎん地域経済研究センター 取締役調査部長 氏兼 惟和
 (株)JTB大分支店長 宮田 洋三
 大分経済同友会代表幹事 秋月 睦男
 大分大学工学部教授 佐藤 誠治

 

田辺

皆さんよくいらっしゃいました そしてパネリストの皆さん方、貴重な時間を割いていただきありがとうございます。
 私が進行役を務めさせていただきますが、これは今年の大分合同新聞の元旦号
の社説に書いてましたのでご覧になった方もいらっしゃるかと思いますが、ちょうど今から100年前、1900年の大晦日ですね。まさに20世紀という新しい世紀を迎えようとした、その前の日に慶應義塾大学で新世紀を迎えるための祝賀式典がありまして、その会場で福沢諭吉が大きな文字で「独立精神」を書いたわけですね。
いまちょうど中央集権型社会から地方分権型社会へと行政の広域化とか、そういう流れが始まっております。
厳密に言えば、福沢諭吉の精神と今の流れが必ずしも重なり合うかどうかわかりませんが 少なくとも気分の上では何となく似てるような時代の流れを感じるわけであります
 分権型社会と言ってもいろんな形があるでしょうが、要は地域の問題についてはそこに住んでいる人たちが自分達の責任で考え、行動すると。ここが非常に基本的なところではないかと思うわけです。ですから、今日のこのテーマもそう突飛なテーマではなく皆さんが住んでおられる地域の問題と深く関わるわけであります。
 今日のシンポジウムは行政主導のシンポジウムでありますが、本当はそこに住んでる皆さん方一人ひとりの問題でもあるわけですから、パネリストの方々のご意見を参考にしながら、自分たちの問題として考え、それぞれが行動する必要があるのではないかと、そういう感じがしております。
 前置きが長くなりましたがさっそく始めたいと短います
 今日のシンポジムは前半と後半大きく二つに分けまして、前半では本州と四国に3つも橋が架かりまして、その結果観光・文化・産業、そういうものがどう変わってきたのか、あるいはどこに問題があるのかと。さ

らに、それらを踏まえて、これからの豊予海峡ルートをどう考えたらいいのかと、そういうことをお話いただく。後半では、それではこの豊予海峡ルートを現実のものにするために、我々はどういう展望や戦略を考えていけばいいのかと、そういったところに絞ってお話を進めていきたいと思っております。
                                                            
 さっそく、パネリストの皆さんに発言をいただきたいと思います。最初に氏兼さんにご発言いただきますが、氏兼さんにははだいたい15分程度の時間で、瀬戸内しまなみ海道が昨年開通しましたけれども、それが四国の社会経済にどういう効果をもたらしているのか、あるいはどういうところに問題が出ているのかと、そういった点を中心にお話いただき、その後、各パネリストの方々にだいたい持ち時間5分程度でお話をいただくという形で進めたいと思います。
 それではさっそく氏兼さんお願いします。

 

氏兼

愛媛県の方からやってまいりました氏兼と申します。どうぞよろしくお願いいたします。
 昨年、5月1日にしまなみ海道が開通して以降の状況をというお話でございますが、短期間の影響ということで、四国全体という捉え方で、お話をさせていただきたいと思います。
 それではOHPを使いながらご説明を申し上げたいと思います。
 まず、総括的な意味で、本州・四国の架橋がどういいう影響を与えたかということを自動車の交通量、これは人を運ぶ、あるいは物を運ぶ、乗用車、あるいはトラックを含めたものということで、架橋前を架橋後の推移をグラフにいたしております。
 中の区分はしまなみの橋であるとか、瀬戸の橋であるとか、大鳴門橋であるとか、一番下の部分はいわゆる瀬戸内海を運行するフェリーで運んでいる自動車の交通量ということでございます。

 

 ご覧いただきましたとおり、昭和62年、一番左でございますが、一日あたりの平均の通行台数は約2万台でございました。これはフェリーと、徳島県と淡路島を結んでいる大鳴門橋だけという時でございます。
 63年に瀬戸大橋が開通いたしまして、この交通量は一挙に1.5倍の2万9,000台ぐらいに跳ね上がりました。
 ここに、確実に架橋の効果が出ているということだと思います。
 その後、順調に通行台数は増加をいたしまして、平成9年、明石大橋の開通前でございますが、1日あたり約3万5,000台にまで増加をしています。
 平成10年、これ以降は推計でございますけれども、明石大橋の開通によりまして、3万8,000台をやや上回るところまで増加をしました。これは開通前に比べ約2倍という数字でございます。
 平成11年度の推計でいきますと、これはしまなみ海道の開通ということで、上乗せがございました。約4万1,000台となっており、62年比では2.14倍という架橋の効果ということで、人、物を運ぶ車の交通量が増加しております。
 ただいまの棒グラフに四国島内の高速道路の供用延長距離というものを折れ線グラフで併せて示しております。                                                     


 当初、四国の高速道路は非常に延伸が遅れておりまして、昭和62年ではわずか約70kmにすぎなかったということでございますが、その後、全国的な遅れを取り戻す勢いということで、右肩上がりで延伸が進みました。
 平成11年度の数字が約330kmというところまで達したということでございまして、この交通量も高速道路網の延伸によって相乗的に伸びているという姿がご覧いただけるのではないかと思います。
 いろんな面での架橋効果が期待されているわけですけれども、まず最初に大きく現れましたのは、観光の面ということでございます。
 これは、四国への入り込み観光客数の推移でございます。


 先ほどのグラフと同様に昭和63年瀬戸大橋の開通によりまして、入り込み客数は開通前の約1.4倍に増加をいたしております。
 当初、これは開通ブームということでございまして跳ね上りますが、それがしだいに沈静化をしていくということで少し下がって参りますが、最近のボトム、平成7年、これが開通前の1.15倍です。
 明石の開通前の平成9年ではこれが約1.2倍という水準でございまして、開通ブームが沈静化した後のいわゆる底上げ効果としましては、開通前の約2割前後が四国の場合にはあったということが言えると思います。
 平成10年は明石大橋開通ということで、3橋開通前に比べますと約1.3〜1.4倍という水準になっております。
 11年はまだデータが出ておりませんけれども、さらにこれに上乗せが行われていると思われます。


 ちなみに、四国の代表的な観光スポットであります道後温泉の宿泊者数の推移、かなり古くからデータを載せておりますので、右半分ぐらいを見ていただいたらと思いますが、これも先ほどの入り込み客数とほぼ同様の効果がみられます。開通ブームで跳ね上ってそれが漸減していく、新しい橋が架かることによって、またそれが跳ね上る。こういう推移が見て取れると思います。


 そうした観光の消費効果といったものを、しまなみ海道の愛媛県側への影響ということで推計をいたしております。観光客の増加数、これはしまなみ海道の開通前に比べてということですが、開通年は700万人近くの増加が見込めたということでございます。                                                                      
 2年目以降は、当然ブームが去りますのでその落ち込みがございますが、2年目から5年目までの4年間の平均で約370万人の底上げ効果がある。それを金額計算で直しますと開通年では785億円、2年目以降の平均で363億円、こういう数字になります。
 これはどのぐらいの数字かということですが、愛媛県の県内総生産、アバウト5兆円ということですので、この観光消費効果の付加価値部分でGDPの成長率を計算いたしますと 開通年が0.98%、約1%の押し上げ、2年目以降についても0.46%、約0.5%の押し上げということでございまして、ゼロ成長の時期だけにこの押し上げ効果というのは非常に大きかったのではないかと思います。それから、同様に広島県側につき                                         ましても愛媛より少し上回る効果があったんだろうということで、そういった推計の数値も発表されたところでございます。
 次は生活の面ということでございます。


 これは、JR瀬戸大橋線の利用客数の推移でございます。
香川県の高松市と岡山市、1時間でJRの電車が結んでいる。瀬戸大橋を渡って結ぶということでございます。昭和62年、これは宇高連絡船のみでごさいましたが、年間約427万人くらいでございました。
これが瀬戸大橋の開通によりまして、一挙に2.6倍という数字に跳ね上りまして、利用者が1千万人台にのぼったということでございます。
 それ以降若干の増減ありますが、年間900万人台を維持しているということでございまして、これは連絡船時代に比べますと2.2倍くらいになっており、現在、四国と中国を結ぶ人的交流の大動脈の役割を果たしているということだと思います。
その他、徳島と京阪神、これは高速バスで非常に短時間で結はれ、ショッピングあるいはレジャーなど生活路線として完全に定着しているということでございますし、しまなみ海道におきましても愛媛県側、あるいは広島県側の島嶼部の町村につきましては緊急時の安心感、通勤、通学、通院や買い物等の利便性の向上といったことで生活面の効果も非常に出ていると思います。
 ただ、生活橋として使う場合は現在の料金体系はかなり高いという問題点も指摘されているところでございます。
 さて、産業の面における架橋の効果ということでございます。

 これは四国島内への、工場立地の件数でございます。棒グラフの方が年間の件数でございまして、県別に表示しておりますが、折れ線グラフの方は全国の立地件数に占める四国のシェアということでございます。
 このグラフをご覧いただくとわかりますが、開通前の昭和58年から62年の平均で94件、62年は88件、これに比べまして瀬戸大橋開通ということで、63年は158件、それ以降約4年ぐらいは100件をかなり上回る件数ということで、すべて架橋の効果とは言えませんが、 架橋も大いに効果があったということが明確に出ていると思います。
ところが、バブル経済の崩壊という経済情勢の大変化、それから日本の大手メーカーを中心に工場が海外に移転していく。こういう大きな環境変化に伴いまして、架橋の効果がそがれてきた。相殺されてきたということで、平成5年以降は開通前の水準ぐらいに戻っています。
 それから、最近では開通以前の水準よりもかなり下回っているということで明石大橋の開通、あるいはしまなみ海道の開通といったものは、少なくとも立地件数という面では効果が現れたとは言えないと、こういうデータになっております。

 この表はちょっと数字だけで見にくいかと思いますが、四国の工場立地件数のうち、内陸部と臨海部の内訳を示しております。従来、四国の場合は臨海の工場立地が非常に多かったわけですが、この3橋の架橋効果ではっきり言える一つのことは内陸部への工場立地が進んでいったということで、この内陸の構成比率は開通前が67%でございましたが、それ以降は70%を上回っているということで裏付けられていると思います。

 これは四国の製造事業所数の増減といったものをいわゆる基礎素材型、加工組立型、生活関連型に分けて推移を示したものです。私ども愛媛県も含め四国では、いわゆる加工組立型の構成比が全国比をかなり下回るということで指摘されているところでございますが、この架橋の効果を見ますと、その他の要因もあろうかと思いますが、全国がこの事業所数で全体としてマイナスになるなかで、四国の場合は加工組立型が51件の増加となっております。
 内訳として一般機械、一般電気機械がそれぞれ58件、163件ということでプラスで来ているということで、これもまあ、架橋の効果が大いに貢献しているのではないかと思います。
 以上、主に効果の面を申し上げましたが、最後に簡単に問題点といったことをあげてみたいと思います。
 一つは競争の激化ということでございまして、抽象の地場の零細企業、あるいは零細事業所、たとえば業種的にはトラック運輸業、スーパー、あるいはその他の小売店、卸売店、こういったところが競争激化の影響をうけているということでございます。
 短期的には非常に問題でありますし、当事者の企業、事業者にとっては非常に大変な問題ですが、全体として見れば、こういう厳しい競争の中で切磋琢磨し合うことによって本当に強い企業が生まれてくるのではないかなという見方をしております。
 2番目は時間短縮効果が顕著に出ているルート、あるいはその地域と、そうでない所というのがかなり明確になっているのではないかと思います。
高松・岡山あるいは徳島・京阪神。これにつきましては時間短縮効果が非常にはっきり出ておりまして、そのメリットもかなり顕著に出ていると思いますが、例えば松山と広島、しまなみ海道から外れているということもありまして、産業面では特に大きなプラスの効果、逆にマイナスの効果も今のところは見られないということでございます。
 3番目は料金体系の問題であります。しまなみ海道で見ますと、生活利用の場合かなり高いというお話をいたしました。現在の本四公団方式の料金体系で精一杯いろいろ割引の努力をしていただいておりますが、割高感は否めないということで今後、豊予海峡ルートの建設を検討するにあたっては、技術面の検討と併せてファイナンス方式の検討、あるいは料金体系をより地域や生活者にとって利用しやすいものにするといった検討も非常に重要ではないかと思っております。

田 辺

 ありがとうございました。
 問題もあるけど、観光客、自動車が飛躍的に増加したと、経済効果は確実にあったというお話でした。
 次に宮田さんにご発言いただきたいのですが、宮田さんにはエージェントの立場から九州全体、あるいはこの西瀬戸地域を含めまして最近の観光の動きや、特徴的な取り組み事例などがありましたら、それらを含めてご発言いただきたいと思います。

 

宮 田

 JTBの宮田でございます。
 いま氏兼さんの方から四国全体の消費額とか観光の消費額とか経済効果の話が出ましたけど、98年度の統計、旅行白書というのが出てるわけですが、観光関連の消費額は約20兆円ある。そして、それに関わる経済波及効果を入れますと50兆円になるという形の中でいわゆる観光産業といわれるものがいま大いに見直されているし、各地方都市、地域において観光勧誘というのは発展目覚ましいものがあるんじゃないかと考えております。
 観光が地域振興に果たす役割というのは非常に大きいというなかで、私どもは頑張っているわけでございます。
 いまお話がありましたように、九州もしくは大分に入り込む同態的なものはどういうものかということを申し上げますと、全国に国内旅行3大デスティネーションと呼ばれているところがあります。九州はその一つでございます。
 北海道、沖縄、そして九州、これが国内旅行の3大デスティネーションでございます。
 また、その3大デスティネーションの中でいちばん観光旅行の伸びが悪いというか、低落しているのがこの九州でございます。
 98年の統計でしか申し上げられませんが、97年比で申し上げますと全国の国内旅行者が102%で推移しているわけですが、九州では98%ということで全国平均を下回っています。北海道はどうかというと106.5%、沖縄は107.8%というような大きな伸びを示しているなかで吸収が低落をしているというとでございます。
 では、この大分はどうかと言いますと、大分の場合はなぜか強いわけでございまして、103%という伸びを示しています。先ほどから出てますように、大分は温泉あり、自然景観あり、グルメあり、いろんな形の中から春夏秋冬を通しましても、九州内はもちろん全国各地からお客様がおいでになっているということでございます。

 

 九州内からの入り込みのお客様は約44%。それ以外が全国の他地域という形になりますが、首都圏、いわゆる関東圏から14%、関西圏から17%のお客様が来ており、九州域外からが56%を占めております。
 関東圏には800万人ほどの観光をできるお客様がいる。関西圏、いわゆる近畿圏には500万人という形でございますので、この方面へはまだまだこれから誘致が津用途考えられます。
 なぜ大分が多いのか、そして九州が少ないのかは後ほどまた述べたいと思います。
 また、西瀬戸圏という話もちょっとありまして、氏兼さんと重複する面がありますが、旅行業の方から見た統計がございます。88年には瀬戸大橋、98年が明石海峡大橋、それから99年がしまなみ海道という順で3架橋ができ上がりました。
 これで環瀬戸内観光圏ルートというのかでき上がったわけでございますが、88年は別にいたしまして、98年の明石海峡大橋の開通により、四国4県にもたらした観光客の増加は対前年度比で131.6%、その中でいちばん低いのが愛媛県ですが115%と伸びております。
 それから最大は、220%と伸ばした徳島県でした。明石海峡大橋が非常に効果があったというデータが出ております。
 99年に開通したしまなみ海道については、上期だけのデータがでておりまして、98年とは様がわりし、愛媛県が一人勝ちしております。先ほど道後温泉の話が出ておりましたが、道後温泉がものすごい伸びを示しており、他の3県は対前年割れをきたしているという状況でございます。
 他の3県の対前年割れは、当然のことながら98年に開通した明石大橋の反動もあるということでございます。
 それと、山口県、広島県はどうかというのを見ますと、この四国観光ブームのあおりを受けまして非常に低迷してるということでございます。
 九州における動態、大分における動態、それから四国、西瀬戸における動態はそのようなことになっております。
 現在の観光客の傾向でございますが、いわゆる安近短という傾向にございます。
安近短という言葉は、オイルショックがあった時に初めて使われた言葉でございまして、経済情勢が悪くなりますと、旅行客も安近短になる。いまは安近短プラス遠近短という傾向にある。それと同時に団体客が非常に減ってきたということですね。個人グループ化が顕著になってきたということからすれば、今後はこの個人グループに対する観光インフラの整備が非常に必要になってくるんじゃないかと考えております。
 それと4,5年前まででしょうか、20代の女性がこの旅行を引っ張ってきたわけですが、今は20代の女性の観光旅行が減衰しており、女性の層は30代が引っ張ってる。そして50歳以上の熟年旅行が非常に多くなってきてるというのも特徴的なことじゃないかと思います。
いずれにいたしましても、2000年も観光客は微増していくというデータが出ています。
そして、今のお客様方は何を求めているのかということになりますと、先ほどもお話が出ましたように、独自性、個性のあるところへ心の癒しを求めて旅行してるんだということであります。
 本物があるところ、癒しをしてくれるところにはお金を惜しまない。その代わり、そうじゃないところには、安近短の中でもまだまだ低レベルの料金で行ってるというこでございます。
 大分県におきましても103%の観光客の伸びはあるものの、消費額は対前年割れというデータが出ております。
 大分県は、本物をつくっていけば今後お客さんの伸びとともに消費額もどんどん伸びてくるんじゃなかろうかと思っております。
とにかく、今のお客様は本物だけしかお金を払わないという状況かなと思っております。
それから、問題点があるとするならば先ほど中村先生にもお褒めいただきましたが、九州は観光資源に非常に恵まれている。海あり山あり、食べ物あり、いろんな景勝地があり、歴史があります。
 大分もそこにあるわけですが、それが点在し線から面になっていない。九州7県の話もありましたが、7県の観光政策は連携が保たれておらず、点を線に結びきってない、面に結びきってないという部分があるわけです。
 大分県においてもいいものが多くあるにも関わらず、道路の問題や昔の小藩分立の問題もあるかもわかりませんが、まだまだその辺が線に成り得てないということでないかなと思っております。
 非常に風光明媚でありますし、大変な資源がありますので、ぜひこの連携を保って情報交換を大いにやりながら、観光活性化に我々も努めていきたいと思います。それから最後の点になりますが、地域における取り組み、いま地域間競争が非常に激しいわけでございまして、先ほど言いましたように、独特のものを何かやらないといけないという動きが各個所で起こっております。
 いま、一番新しいのは静岡県の伊豆地域でしょうか。「伊豆新世紀創造祭・チェンジ伊豆2000」という取り組み、今年1年だけの取り組みでございますが、何をするのか、これは簡単、当たり前のことでございまして、地元の人が知っていて観光客が知らないものをお客様に提供する。ただそれだけのことでございます。
 そういう取り組みをいまやっている。いわゆるアイスクリームを作れますよ、酪農体験をしながら森林浴をしてファームステイをしてくださいというのが一つの例として挙げられるかなと思います。
 町づくりはどこでも行われている。大分の成功例は湯布院でございます。また、臼杵も一生懸命頑張っておられます。
 滋賀県におきましては長浜、黒壁の長浜という有名になったところがございますが、岐阜県に飛騨古川町というのがあります。皆様方あまりご存じじゃないかもしれません。
岐阜で有名なのは高山でございますし、平湯温泉であり、下呂温泉です。では、古川町がどうして生き残ろうかと図りましたのは、要するにその町にあるものを率直に出そうということでございまして、あそこには白壁、土蔵があります。
 長浜の黒壁に負けてなるものかというわけじゃないんでしょうが、たまたまあった白壁やそこに流れる清流を活かしながら、観光客の皆さんに楽しんでいただこうということで、大観光地に競争を挑むわけではなく、共存していくというなかで高山から平湯に移動する間にそこに寄って行くというお客様がいま非常に増えています。
 いずれにしても、それぞれの地域が独自性を発揮し、個性をだし本物を作り上げればお客様は絶対に来てくれるし、お金を落としてくれるんじゃないかなというのが今の傾向でございます。
 それから悪い例が一つだけありまして、先ほど熱海の話が出ましたが、今年特消税というのがなくなるんですよね。いわゆる観光振興交付金というのがあるんですけど、それが下りてこないからさあ大変だということで、熱海市の方で観光客から150円ずつ取ろうという話がちらっとあっておりますが、こういうことはもっての他だということでございます。観光振興に大いなる障害があるんじゃないかと思います。
 別に熱海市を批判してるわけじゃなくて、お客さんをおもてなしするために何をすればいいのかということを、もっと別のことで考えてもらいたいと思います。

田辺

 ありがとうございました。
 観光動態、あるいは特徴についてお話いただきましたが、今のお話を聞く限りでは、せっかくいい資源を持ちながらバラバラの対応では駄目だと、それぞれの観光資源をつないで連携しながら売り込んで行くと、これがポイントになるんだというご意見でございました。
 この豊予海峡ができたら、まあぼつぼつそれに向けてやるということではなくて、いまからやっておかないと、せっかくこういう橋ができても必ずしも効果に結びつかないと、そういうことではないかと思うんですね。
それでは秋月さんにお願いしたいと思うのですが、秋月さんには産業界の立場から九州と西瀬戸地域企業や物の動向、そういうことについて最近の特徴的な動き、あるいはこれからの問題点についてお話いただけたらと思っております。

 

秋月

 秋月でございます。
 私は1月に松山に行きました。ある会合があったんですが、出席した皆さんに聞いてみますと、東京からは1時間40分、飛行機で来たと言うんですね。福岡から40分、大阪からは50分、私は大分から5時間かかりました。大分からの飛行機便はありません。佐賀関から三崎の国道九四フェリー、そして国道197号を通って途中渋滞もあり、5時間もかかった次第です。
 隣接している県都へ行くのに5時間かかるんですね。鹿児島と一緒ぐらいなんです。このような交通事情を大分は抱えている。まさに愛媛県というのは近くて遠いという実感をしました。
 ところで、お話がございましたように、やがて太平洋新国土軸そして豊予ルート、これが完成します。いわゆる西瀬戸圏の循環交通網ができあがるわけです。私はこの豊予ルートの建設は橋を希望していますが、架橋によって非常に交通機能がよくなり、いろいろな利便性が向上すると思います。
 ご存じのように、西瀬戸というのは気候が温暖であり、いわゆる周防灘といった大きな海を抱えた回廊ですね。
 昔から、この回廊は九州から瀬戸内海を通って、関西、関東へと通じる、いわば海のシルクロードと言われてきました。この地帯には、昔から色々な海産物が採れ、またはそれらを加工して消費地へ運ぶための造船業や輸送業が発達してきました。皆さんご存じのように、村上水軍がこのあたりの海上交通を支えていたようです。
 ところが明治以降、近代産業の成立につれ、この地域にはいろいろな産業が立地し発展してきました。特に昔は天日による塩田が多くあったのですが、その広大な塩田の跡地にいくつもの新鋭企業が立地して参りました。
 したがって、いま西瀬戸域内は大分の新産都、国東のテクノポリス、福岡の苅田、山口の徳山・防府、それから広島、さらに愛媛の新居浜等々環周防灘に重化学工業がほぼ張り付いたわけです。
 この工場群はかなり新鋭ですし、今後21世紀に向かって、さらに充実発展していくだろうと思います。
しかも、最近モータリゼーションの世の中になりました。広島防府のマツダ、それから福岡にトヨタがあり、日産がある。中津にはダイハツが進出する。今後の環周防灘地域における自動車産業の年間生産予想は100万台というんです。関東、関西に次ぐ自動車の生産基地になるでしょう。自動車の今後の見通しもありますが、大いに将来を期待されます。
特に自動車産業というのは、部品製作、加工組立型の代表産業なんですね。そうしますと、自動車産業を中心にした加工組立関係の関連工場の立地、もちろんその関係としての新しい産業の創造というものが私はできると考えております。
先ほど氏兼さんのお話にもございましたが、内陸部に工場が増えてきた。これも高速交通体系の整備によるんですね。
高速道の整備はいろいろな利便性を持っており、私はこれからこの西瀬戸地域は非常に伸びるだろうと思います。しかし、皆さんこの地域を結ぶ周防灘を航行しているフェリーは何隻と思いますか。この周辺地域の交通手段としては海があります。その海を航行するのがカーフェリーです。現在のフェリーの運行状況を調べますと竹田津・徳山間が1日に9便、それから国東・徳山間が1便、それだけなんですね。
しかも広別汽船は昨年の6月に廃止になってるんです。集客が少なく赤字という問題点がある。一方、この周防灘圏は5つの県があり、その沿岸域のみでも人口は500万から600万ある。地域連携といっても、この5県と500万、600万を擁する地域の連携は広大すぎて非常に難しいようです。
この豊予ルートをはさんで、北側はいまお話したような西瀬戸経済圏なんですね。ところが南側の豊後水道域はどうでしょうか。私は豊後水道域の今後について、改めて西瀬戸圏とは違う視点から見ていく必要があるのではないかと思います。
今日のお話も、豊予海峡の問題になるとすぐ西瀬戸経済圏をどうするかになるんですね。しかし、一方豊後水道経済圏というものもありうるのではないか、これからこの課題について対処していかなければならないと考えています。
 皆さんご存じのように豊予海峡をはさんで南と北は瀬戸内気候でありながら、地形が違いますね。北は広い周防灘を囲み、南は狭い豊後水道域を囲むリアス式海岸であり、そこには入り江があり、また海に迫る岸壁もあります。
 この水道域を、愛媛県側から見ますとミカンに代表される農産物、あるいは豊富な海産物がある。また、大分側を見ますと臼杵や佐伯や津久見には若干工業地帯があるものの、農水産業への依存度もかなり高い。このように、豊予海峡ルートをはさむ北と南では地勢や風土、歴史も異なっており、これを一本化するのは難しいと思います。従って、今後極めて地理的に近い豊後水道域の地域連携というものを改めて考える必要があるのではないかと思います。
 それで、先ほど周防灘のフェリーの話をしました。では、この豊後水道域を航行するフェリーは何隻あるか。いま、皆さんご存じのように、大分・松山のダイヤモンドフェリー。佐賀関・三崎の国道九四フェリー、宇和島運輸の別府・八幡浜、別府・宇和島、別府・三崎、臼杵・八幡浜、また宿毛観光の佐伯・宿毛、それから別府・松山・大阪、関西汽船ですね。8航路あるんです。しかも8航路で毎日41便が往復しているんです。
 この41便でどの程度人が動いているか、陸運局に聞きますと、平成10年度のお客さんが124万5,800人です。一年間に大分県の人口に相当する人がフェリーに乗ってるんですね。
 それから自動車が何台乗ったか、32万9,000台。大分県の自動車登録台数は50万台だそうですから、7割近くが乗ってるんです。これだけヒト、モノの交流があります。
 しかも、豊後水道域というものは地形的には周防灘と違った農水産物資源に恵まれ、加えて工業製品の産出もある。そして、この豊後水道でいちばん短いところが豊予ルートの14キロですね。こんな近い所に大分県と愛媛県の地域の結節点があるわけです。
 今後、我々はこの地域がどうやって交流連携し、21世紀に相応しい地域振興を図っていくか、その先に豊予海峡ルートの姿が見えてくるような気がします。これが、これから我々に課された一つの課題ではないかと思います。
 豊予海峡ルートの実現については、知事さんのお話でも最長15年は必要だろうとのことです。豊予海峡ルートの実現を早くしろ早くしろと叫ぶだけでは前進しません。実現するための環境の整備とその土壌づくりが今いちばん求められています。豊予ルートができたら、最も利便性があるのは誰か。それは大分県と愛媛県のこの豊後水道域に住む人々ではないでしょうか。その人々の交流と連携のなかで新しい地域振興への汗を流すことが、いちばん大切ではないかとこう考えるわけであります。
 豊後水道域で将来どういうことが考えられるかということがあると思いますが、これは後段でまたお話申し上げたいと思います。

田辺

 ありがとうございました。
 豊後水道域経済圏をつくったらどうかという前向きで具体的な提案もございました。
 それでは、今度は佐藤さんにお願いしたいのですが、佐藤さんには産業・経済・文化を含めまして九州及び西瀬戸地域の現状についてどう見ておられるか、どういうところに問題や課題があるかという視点からお話いただけるとありがたいと思います。

 

佐藤

 与えられた時間が5分ですので、リクエストに応えられるかどうかわかりませんが。
 太平洋新国土軸の中で、今回は豊予海峡ルートということですので、先ほど秋月さんがおっしゃったように、大分と愛媛の関係ということをもっと見てみますと、まず第一点は海を隔てた人の交流というのは現状ではかなり薄いと言わざるを得ないと思います。
 物流と比べまして、人流は非常に薄いと統計数字を見て思っております。
 例えば、大分の対全国物流量ということで見ますと、対全国物流の1%が愛媛との間で成立している。年間約130万トン。この数字が大きいか小さいかということですが、熊本と大分が100万トンぐらい、それから宮崎と大分が230万トン、鹿児島と大分が200万トンぐらいですので、まあ物流は割といいんじゃないかなと、これは産業連関との関係がありますので、必ずしも交通ネットワークの条件だけということではないと思います。
 ただ、人的流動というのは旅客流動だけじゃなく、パーソナルな流動、車を通じた流動ということもございますので、必ずしも人流すべてということではないのですが、仮に旅客流動ということを考えますと大分の対全国流動のなかで、0.1%、年間35万人という旅客流動が出てきます。
 熊本と大分は630万人ですので、先ほどの物流と比べますと、愛媛と大分というのは非常に小さいということがみられるわけでございます。
 産業連関というのは、そういう意味では非常に障害に強いんだけど、旅客流動の面では海は非常に大きな障害になってると、そういう意味で先ほど宮田さんの方からも話がありましたが、観光ルートの設定が九州と四国の間ではできてないということでございました。四国と大分、松山と大分を結ぶ観光商品というのはいまはないと承っております。
 では、愛媛と大分の人的交流の状況について歴史的に見てみますと、陸上輸送の条件が非常に悪かった時代は、非常に多様な人流があっただろうと思ってます。
 陸上交通の条件が非常に悪いときには、大分県内でも沿岸の船の航路が随分いろいろありました。たとえば蒲江、私最近よく行ってますけれども、蒲江と佐伯の間が昔は2時間ほどかかっていたということなんですけど、今は改善されて20分で行けます。当時は沿岸で交流してたものが今はなくなってるということです。
 それから大分と愛媛の経済的な交流というのは、別府や大分の経済界あるいは旅館業の状況を見てみますと、かなり厚い交流があったように見えるわけでございます。
 それから、若干西瀬戸地域に広げてみますと、この西瀬戸経済圏沿岸地域は、潜在的なポテンシャルのかなり大きな地域が分布しておりまして、北九州、山口、広島など日本の工業発展を支えた地域がありますし、先ほど秋月さんからも紹介がありましたが、周防灘地域では素材型だとか、あるいは半導体、ハイテク型、自動車工業、こういう集積が見られるわけです。
 愛媛の方を見てみますと、実は来る直前にインターネットで見てみましたけれども、FAZだとかテクノポリス、テクノゾーン、マリノベーション、あるいはトリガー産業という、そういう産業プロジェクトが展開されているわけですね。
 大分で取り組んでいることと同じようなことがあるんですが、ここで注目してみたいのは、殆ど愛媛の方は、中国地方、特に広島を見てるということですね。プロジェクトの相手方を見てみますと、大分の「お」の字も出て来ないということでありまして、太平洋新国土軸全体の形成というのをにらまなきゃいけませんが、特に私は愛媛に大分を向いてもらいたいと。愛媛は広島を向いてる、あるいは関西を向いており、なかなか西の方を向いてくれてないと思っておりますので、愛媛の方が大分を向いて連携をしていただきたいと思ってます。
 例えば、松山を発着する国際貨物航路ですね。国際貨物航路の設定状況を見てみますと、たとえば広島だとか、あるいは門司だとか、大阪をつなぎながら、釜山だとか大連だとか。高雄だとか、釜山は韓国ですね、大連は中国。高雄、基隆、こういう台湾とつなげてる。これに大分を結びつけていくという、大分もこの中に入っていくということも重要じゃないかなと思っております。
 ちょっと与えられた時間が過ぎましたので、これで第1回目を終わります。

田辺

 ありがとうございました。
 特に人の動きなどを見ると、海を隔てて厚い壁があるんだというお話で、そういうことがあればなおさら豊予海峡の間に橋が架かれば、問題は大きく前進していくのではないかと。それから広島、大阪の方を愛媛の人が見ておられるということですが、裏を返せば広島、大阪とかそっちの方が求心力が強いということもあるんでしょうけれども。氏兼さんぜひ一つ、愛媛の人たちにもっと大分の方を向くようにとお願いします。
 これで前半のご意見を伺うのが終わったわけですが、会場の方からパネリストの皆さんのお話を伺った感想でも結構ですし、自分はこう思うというようなところがございましたら、ちょっとだけ時間を割いて発言をいただきたいと思うんですが、どなたかいらっしゃいますでしょうか。

姫野(大分・民間業者)

 豊予海峡ルートのこのシンポジウムは実は一昨年も松山の方で、参加させていただいた経緯がございます。
その時に、三菱総研の方が、これの関係は孫の時代だと言われたように記憶しております。と申しますとこれは30年先になる。それぞれたいへん貴重なお話をうかがいましたが、
やはりそういうものであれば、一刻も早く作っていただきたいと思います。
特に秋月さん、代表幹事でいらっしゃいまして、大分県のこの豊予海峡ルートのリーダーとしてご活躍されておるわけでございまして、せめて秋月さんの眼の黒いうちに実現できないかと、このように思った次第でございます。
大分の場合は特に大分自動車道ができまして、閉鎖的な経済から開放型経済に変わったなあと、いうことを実感してございまして、今日も先ほど豊予海峡ルートが大きな壁だと、これに穴が通りますとあるいは橋をつくりますと、人、物が大きく変わるんじゃないかなと、このように思っております。そういう意味で、これを何とか早く実現できる方策がそれぞれおありになるのではないかと思っておりまして、ぜひそのへんをお聞きしたいとこういうことでございます。

田辺

 パネリストの方のどなたかの意見が必要ですか。

姫野

 長年ご経験をお持ちの秋月さんがいらっしゃいますので、秋月さんに。
それと、どうも愛媛県は広島の方を向いていらっしゃるということでございますが、この豊予海峡について早期実現のために何か具体策がございましたら、氏兼さんに。お二人からお願いしたいと思います。

秋月

 後段の話と一緒になる感じがあるんですが、私は豊予海峡ルートをめぐる地域連携というのは、身の丈に合った、分相応というと語弊がありますけれども、そういった身近なところから、始めなきゃいかんのじゃないかという感じがするんです。
先ほどお話したように、我々の愛媛、大分間でいちばん近いのが豊後水道域なんです。ならばこの豊後水道域の中で何らかの人の交流なり連携ができないか。
 昔、これは6世紀の話なんですが、いわゆる伊予の風土記、これを見ると道後温泉は別府温泉のお湯を掛桶でもって引っ張ってきたんだということを書いてあるんです。あるいは、いま国東にミカンがありますね。あの国東のミカンは戦後八幡浜の人が営農家として入植してたという話がありますし、古くは、八幡浜のミカンは津久見のミカン移植しているんですね。そういうふうに非常に有史以来大分県と愛媛県は豊後水道を境にしていろいろな相互交流があったんですね。
また、この水道域には鰯がたくさん獲れた。この鰯を絞って油を取り、その糟を干鰯といって肥料として広く販売しています。
いま、たまたま明治以降の行政区分によって愛媛県、大分県になったもんですから、行政の人には悪いんですがどうも行政の壁ができる。この行政の壁を破るのは両域海岸の経済人の交流がまず一歩ではないかとこういう感じがします。

田辺

 はい、ありがとうございました。
 氏兼さんいかがでしょうか。

氏兼

 今日は私一人参ってるもんですから、多勢に無勢ということかもしれませんし、今日はあくまで一民間人という立場で来ておりますので、愛媛県を代表してということではなくて、私の私見ということで、お聞きいただけたらなと思います。
 早く実現するということにとうては、私どもも全く同感でございます。
 実は後段のところでお話しようかと思ったんですが、最初平松知事の方から半島性の解消というお話がございまして、四国は従来離島だったんですが3本の橋が架かって離島性は解消されましたが、逆に半島性が生まれた。これを次の段階として解消しなければならない。
 しまなみ海道が開通すると一応、循環ルートになって愛媛も産業面で相当のプラスが出るだろうと、少なからず期待を持っていたのですが、これは時間のかかることでもありましょうし、なかなか難しいということもよくわかって参りました。
 そういう意味で、この半島性を解消するため愛媛県が関西や首都圏へ目配りするというのは欠かせないわけですけれども、広島、中国方面だけ向いていたのでも駄目だといったことが今回のしまなみ海道の開通によってより我々愛媛県民にも認識が広まったのではないかと思っております。
 私は伊予銀行に入っておりましたから、大分県というのは仕事を通して非常に近いと思っていますし、愛媛県民全員が大分県を向いていないということはございませんので、よろしくお願いしたらと思います。
 それから、先ほど秋月さんの方からご指摘がありましたとうり、これから早く進めていくためには2点あると思うんですが、一つは愛媛と大分がそれぞれの立場でお互いの実状をより理解していく。知らない部分が非常に多いと思いますけれども、そういったものに理解を深めるという意味で、私どもも努力していきたいと思っております。
それからもう一つは、我々2県の県民が努力すると同時に最終的に橋を架ける、あるいはトンネルを通すということになりますと、大変な資金が必要になってくるということでございまして、それについては全国に具体的な案といいましょうか、こうすればこうなるんだということを自信を持って提案していく、情報を発信していく。こういう努力も同時に必要になるんではないかと思っております。

田辺

 ありがとうございました。
 愛媛の人たちに大分の方をもっと見ていただきたいと、同時に大分の人も愛媛の方をよく見るようにしようと、そしてフェイスツーフェイスでお互いの情報交換もやっていく。こういう点では、先ほど秋月さんから提案がありました豊後水道域経済、名前は懇話会になるのかわかりませんが、そういうものが顔と顔を合わせて、お互いに連携の機運を高めていこうということに役立つのではないかというような感じもいたします。
 会場でまだご意見がある方もいらっしゃるかと思いますが、時間がだいぶ押しておりますので、ちょっとアクセルを踏まないといけませんので、後半が終わった段階でご発言をいただきたいと思います。
 前半のお話で、豊予海峡ルートはぜひとも必要だということでは共通認識があるわけですが、問題は先ほどご意見がありましたように、できるだけ早い機会にどうやってこれを実現していくのかと、そこが一番のポイントだと思うんですね。どうしたら単なる構想ではなくて、早期に実現することができるのか、その戦略についてちょっとお話をいただきたいと思うのですが。
氏兼さんいかがでしょうか。四国と九州の連携を軸にしてやっていけば、この地域の潜在的可能性は非常に高いということですが、もう一度豊予海峡ルートを実現することの意義といいますか、そういうことを含めてどういう戦略でこれに立ち向かっていったら実現できるかと。どうお考えでしょうか。

氏兼

 戦略までのまとまった考えは現在のところございませんが、本四3架橋の完成によりまして、中国、四国地域を結ぶ南北の連携軸をより強化していこう、その中身を充実させていこうという動きが3本のルート毎に進んでおります。
 私どもでは、2山3海あるいは3海2山と呼ぶんですけれども、日本海、それから中国山脈、瀬戸内海、四国山脈、そして太平洋。これらを南北に結ぶ東の方から行きますと、明石大橋、瀬戸大橋、そしてしまなみ海道。この3本の軸それぞれに各県、あるいは各市町村、各地域の行政あるいは商工会議所、経済同友会、それから地元の新聞社をはじめとする各マスコミ、そういったところが協力して、ハードはできたわけですからこれをどう活かしていくかということについてのソフト、知恵を絞っていくとということを順次進めつつあるということでございます。
 この豊予海峡についても、橋が架かってからそのようなことを考えるのではなくて、同時にそういう構想をより具体的に、活用の仕方をより鮮明にしながら、促進についてのいろんな運動、努力を行っていく。こういうことがどうしても必要だろうと思います。その際、すでに行われているところあたりで、比較的うまくいってるなというところを見てみますと、中心になる何人かの方が本当に信念と情報を持って、推進に努力されている。いわば宗教の伝道者のような感じで奮闘をされている。そういう方が豊予海峡ルートについても、ここにお並びの方はその一人だと思いますけれども、愛媛県側にも出てきていただいて、力を合わせてやっていく。それが一つの方向性ではないかと思います。

田辺

 ありがとうございました。
 それでは今度は宮田さんにお願いしたいんですが、観光の面から見たこの豊予海峡ルートに対する期待感ですね。それからそれに向けての戦略ですね。どういうことが考えられるかということですが。

宮田

 こういうふうに道路が整備され、架橋が整備され、どんどん交通網が発達するという形の中から広域観光ルートが確立されるわけですが、先ほど話しましたように、いま安遠短の世界という話の中で、あまりにも高速化が進むと通過してしまう。通過してしまえば、交流人口は全然増えないという恐れがあるということでございまして、先ほども述べましたように、その地域でお客様を降ろす努力が絶対に必要になってくるとともに、我我々旅行業界にもお客様がその要望をしてくると思うんです。
 先ほどの中村先生の話の中にも、何十キロ先でもそれが欲しいとなればそこまで行くというのがありましたが、通過させない工夫が必要じゃないかなと思っております。これは民間の観光産業に携わるレベルだけじゃどうしようもないわけですので、ぜひ行政の皆様方と手を組んで交流人口を増やすためにはどうすればいいのか検討することが、今後非常に必要になってくるんじゃないかと考えます。
 この豊予ルートが実現した場合、先ほどのどん詰りの半島の話じゃございませんけど、本州からまっすぐ大分に入れるという東の玄関口が確立するわけです。
 いま、九州に入る大部分が福岡に入ってきてるわけで、福岡が九州の玄関になっております。もう一つの玄関口が開かれるということからすれば非常にいいんじゃないかなと思います。
 そのルートの中に、とにかく流れを止めさせるような観光地づくりが必要かなと思います。
 ひとつ橋ができ上ると、そこにわっと人が寄りまして一過性のものにしかなりません。継続していかないという観光客傾向の事実もございますので、そういうことになっては何にもならないんじゃないかと思います。もう一つはインバウンド、いわゆる外人旅行客でございますが、この受け入れのためにどうすればいいのかというのも一つ大きな課題になると思います。
 いま、日本人は安近短じゃないですが、滞在型志向も強くなっております。では。外国人のお客様はどうなるのかというと、我々が40年前に海外旅行に行き出した当時を振り返ってみますと、何をしてたのか。その国を目いっぱいぐるぐる回ってたと思うんです。こういうルートができることによりまして、今まで欧米人が来たり、韓国人が来たり、台湾の方々に来ていただいてるわけですが、東京とか京都とか、北海道とか九州に寄って帰るだけだったのが、今度はそういう流れに乗って橋を渡りながら四国を見ながら九州に入れるという形ができ上がるんじゃないかと思います。
 そういった意味でインバウンド部分、外国人観光客が今後ますます増えて参ります。得に中国人への観光ビザの解禁が噂されております。
中国には12億の民がいます。アジア各国からもどんどん来ると思います。どういう形で来るのかわかりませんが、アジアを中心に外人旅行客が増大するということは間違いありませんので、それもあわせたなかで今後の観光戦略を考えていけばいいんじゃないかと思います。

田辺

 ありがとうございました。
 今度は秋月さんにお願いしたいんですが、主として製造業あるいは物流、そういうものについて、どう連携していったらいいか、あるいは、どう役割を分担しあっていけばいいのかと、そういう視点から一つ。
それともう一つは、この橋をどうやって地域振興に結びつけるかと、その点も併せてお願いしたいと思います。

秋月

 先ほど、フロアからの発言で、姫野さんが早くやれ早くやれといいましたが、問題は架橋なんですね。我々は豊予海峡ルートをトンネルにするか橋にするか、私は数年前大分、愛媛の知事さんに同行してドーバー海峡にも行きました、ノルマンディーの橋も見ました。肌で感じた橋の威力というのはすごいですね。
 私は、豊予海峡ルートは橋でやっていただきたい。
 知事さんからも今日お話がありましたが、橋にするとあの豊予海峡が14キロある。長さ3キロ間隔で橋脚が5ついるわけですね。従って、この3キロスパンの橋梁ができるかどうか、いま明石海峡は2キロなんですね。あと1キロ延ばさなければならない。こういう技術的な問題が一つ。
 それからもう一つ、台風ですね。豊後水道は台風銀座と言われています。私は実験をみましたけど、台風があるとああいう吊り橋が鉛細工のようにぐっと曲がるんですね。ものの見事に曲がる、そういった風圧の問題、それに耐える技術や材料の問題等々がいつ解決できるのか。新日鉄の技術屋に聞くと10年か15年経てばできるだろうという話です。最低15年としたら、その間に我々地域住民はいったいどうしたらいいか、という問題があります。ただ造れ造れでよいのかということです。私はお話したように、そういった架橋の建設の促進についての下支えをする地域住民の熱意がいるんじゃないか、その熱意として私は豊後水道域内の人々による文化経済懇談会の設置を提案したいと思います。
 先ほどフェリーの話をしましたが、フェリーで見ますと佐賀関から三崎がありますね。あるいは別府から八幡浜がある。それから佐伯から宿毛がある。そういった現在のフェリーの交流拠点の町があるわけです。その町どうしがお互い1年に一度か二度、その地域の問題を共通認識として語り合う。あるいは将来について語る。そして愛媛で1回、大分で1回という交互にたすきがけで懇談会を開催したいものです。時間が経つにつれて、お互いの地域住民の意思の疎通、あるいは産業連携のなかでコンセンサスができるんじゃないか、そうすればその中から橋ができた場合に、お互いこういうことができるんじゃないかといった具体的な将来像についての話もできると思います。
 私は、松山でいろいろな話を聞いてますと 豊予海峡ルート完成後について、松山の人の方がうちの商売が何割ぐらい広がるだろうかとか、新しい商売があるとか、こういう目論見をしてる方が多いようです。
 皆さんご存じのように、佐賀関と三崎を往復する九四フェリーですね。そのフェリーには必ず保内町にあるあわしま堂という饅頭屋さんの小型トラックが2台は乗ってるんです。
 ルート完成の暁には、あわしま堂の人は、2台を4台にするか5台にするか考えているそうです。橋ができた場合に、いったいこれをどう利用したらいいのか、どういう波及効果があるのかというのはできてみなきゃわかりません。これからの15年間、国際社会、情報社会、少子高齢化などいろいろあるでしょう。こういう複雑な社会の中でいま予測しても難しい問題でしょう。先ほど氏兼さんも言っておられましたけれども、しまなみ海道にしてもでき上がってみて、ああそうかという予想以上の効果が多いんですね。
 ですから我々もまた、その準備のためにとりあえず豊後水道に関わる地域住民の連携、交流、お互いに話し合う場を作ろうと思います。そのために、私はそういう町の連携、これには商工会議所が一番いいと思いますので、佐賀関、大分、別府、臼杵等の商工会議所の会頭さんにはお話し、ご賛同を得ております。
 ぜひやろうじゃないか、あとは氏兼さんのところが松山の会頭をされておられますので、松山が音頭を取って南予の会議所なり商工会にご連絡いただいて、できたら、4月早々にでも新しい第1回の豊後水道文化経済というようなものを立上げたらどうかという感じがしております。

 

田辺

 ありがとうございました。
それでは佐藤さんにお願いしたいんですが、豊予海峡ルートと地域振興への影響というのが、佐藤さんに一番お伺いしたいポイントです。今日の話では文化の話があまり出なかったような感じがするんですが、そういう点がもしございましたら、それらも含めましてお願いしたいと思います。

佐藤

 先ほど愛媛が大分を向いていないと申しましたのは、これは大分も、おおいに責任がありますし、先ほど秋月さんがおっしゃったような意味で、大分と愛媛がお互いに向き合うということが非常に大事だと思います。
 地域振興への影響ということの前に、先ほど平松知事がおっしゃったこと、これは非常に重要じゃないかと思ってるんですね。
確かに豊予海峡ルートにより直接的には大分と愛媛、あるいはその周辺地域が非常な恩恵を受けるわけですけれども、何せ国家プロジェクトですので、国全体のコンセンサスというのが大事だと言ったときにリダンダンシーの問題だとか、あるいはその他、知事がおっしゃったようなこと、これを国民全体にもっと普及させていくということが重要じゃないかなと思います。
 そうした場合、この豊予海峡ルートが持つ効果というものを自信を持って他の地域の人々に語っていくということが重要じゃないかなと思います。
 そこで効果についてですが、この豊予海峡ルートができることによりまして、産業、経済、文化、観光など、あらゆる分野に絶大な効果をもたらすと私は思っております。
 明石海峡大橋の話がいろいろ出ましたけれども、明石海峡大橋ができて、関西の中心部と徳島が非常に時間短縮されたということで、具体的な数字が幾つか出てるんですけど、橋に直結する神戸流通業務団地、ここの年間取扱額が1兆1,000億円になってるとか、あるいはこの明石海峡大橋ができることによりまして、関西の域内生産額が1,500億増加するとか、そういう数字があります。
 豊予海峡ルートの場合はどうかということなんですが、豊予海峡ルートを含む太平洋新国土軸の交通基盤整備による、大分発着流動の発生便益といったを私が関係した研究会で試算したことがありますけれども、その時に貨物で年間425億円、旅客で612億円、年間1,000億の便益が生まれる。これに加えまして、自動車利用だとか観光などで発生する便益というのはもっと大きいわけで、千億単位で算定されるということであります。
 したがって、現在の流動が薄いから時期尚早であるという議論が東京を中心とした一部の方々にあるわけですが、これは愚論ではないかなと思っております。
 観光につきましては、これは宮田さんの範囲なんですけれども、おそらく豊予海峡ルートができますと、JTBをはじめとしてエージェントが一斉に商品開発すると、先ほどしまなみ効果の話がありましたが、現状ではしまなみ効果も豊後水道までで止まってると。豊後水道で止まっている効果を、今度は九州、大分の方にぐっと引き込むことができるということがあるだろう。それから個人型の環行も大きく動き出すんじゃないかと思っています。
また、交流人口というのが取り沙汰されていますけど、現状で例えば湯布院では年間400万人の交流人口、流入人口があるわけですね。それから久住町でもだいたい同じくらいあるわけです。
 定住人口に相当する人口が常に流入しているという状況があるわけです。これがさらに上向くということが期待されるということだと思います。
 それから新しい産業立地も期待できます。いわゆる交通結節点型立地、これが、おそらく豊予海峡ルートとその時には完成されているであろう東九州軸の結節点に大きく展開することが期待される。
 先ほど内陸部の効果、内陸部に企業立地、産業立地が展開する可能性についてもご紹介がありました。大分は臨海部が主体ですけれども、さらに内部の方に立地展開が期待できるということ、これは非常に大きいんじゃないかなと思います。
 それから、もう一つ産業集積効果。これは先ほど秋月さんの話にもございましたが、西瀬戸経済圏の中には非常に厚い産業集積があるわけですけれども、それがうまくつながっていくことによって、名実ともに瀬戸内経済圏が姿を現してくるだろうと思います。
 産業集積だけじゃなくて、生活全般におきましても、医療だとか教育だとか消費だとか、そういうところで非常に選択性が高まってくる。大分サイドから言いますと容易に中国だとか四国の方に行くことができるということ、こういうことにとって先ほど田辺部長の方からリクエストがあったんですが、おそらく内陸部におけると言いますか、域内の流動が非常に高まると思うんですけれど、それを一挙に四国との交流に結びつけていくことができるならば、文化的な面での波及効果というのも非常に大きいと思っています。
 それから、豊予海峡ルートをつくり出すためにどうしたらいいかということなんですけれども、先程から出ております明石海峡大橋というのは1959年に建設省が調査費を計上しまして、1998年に完成ということですので約40年かかってます。
 豊予の場合は、1991年に建設省が技術調査委員会を作られたと、その前は鉄建公団でいろいろ調査をやられてますけれども、これで40年といいますと2031年になっちゃいまして、私、おそらくその時まで生きてないんじゃないかと思うんです。
 知事は、遅くとも15年とおしゃいましたが、まぁ、その辺かなあという感じですね。狙い目はですね。
 それだと、何かと私も見られるじゃないかなと思いますけれども。
 要するに、建設を促進するための手段はいろいろ我々は考えなきゃいけないと申しましたけれども、全国的なコンセンサスを得るということが大事であり、そのコンセンサスを得るための動きをもっとやっていかないといけない。
 手元に資料があるんですが、太平洋新国土軸にはもう二つるーと、紀淡海峡と伊勢湾口があるんですが、この紀淡海峡ルートでどういう推進体制があるかと言いますと、紀淡海峡交流会議だとか、大阪湾環状紀淡連絡道路建設促進協議会とちょっと長いんですけれども、こういうものがずらっと並んで8つある。その一番最後には、紀淡連絡道路建設促進議員連盟というものもつくられています。先ほど衛藤征士郎議員の方から祝電が来ましたけれども、祝電は非常に大事なんだけど、議員連盟ぐらいつくらないといけんのじゃないかと思います。
 大分の方は、いまのところ愛媛、広島等々の7県、10経済団体でつくられた豊予海峡ルート推進協議会がありますし、まさにこの主催団体でありますけれども、大分県既成会があります。この二つだけなんですね。
 秋山さんが提案されている経済団体の推進組織と、推進体制。これも非常に需要じゃないかなと思っておりますので、ぜひ頑張っていただきたいと思います。
 紀淡が先になって、紀淡のあと大分がなかなかできないということにならないようにお願いしたいと思っております。
 それから、最後に豊予海峡の連絡道路ができた時に一挙に効果を出すためには四国、あるいは九州の内陸部、九州では東九州軸ですね。あるいは熊本と大分の地域高規格道路だとかそういうのがきちっと整備されて豊予海峡がつながったら、一気にその効果が出るということをやっとかなきゃいけないと思います。

田辺

 ありがとうございました。
 私がアクセルを強く踏みすぎて、パネリストの人たちが自然早口になってしまって大変責任を感じております。
 それで、1分ぐらいの時間がそれぞれありますので、いまから当面何をしたらいいかということについてもう一度補足的に何かお話がありましたら。それ以外でも結構ですが、一言ここで言っておきたいということがあれば、氏兼さんからお願いします。

氏兼

 方策ということとはちょっと違うんですけれども、愛媛県は東予、中予、南予という三つの大きな地域に分けることができまして、松山のあります中予、それから産業基盤の非常に充実しております今治から新居浜、西条、三島、川之江、これは東予と言っております。
 豊予海峡ルートが開通いたしますと、このルート沿線で、しかも関西経済圏に近づいていくルート上にある東予、中予については工業、商業といった産業の面、それから文化、生活、そういったものの結びつきが愛媛・大分は強くなってくると思ってます。
 問題は私ども愛媛県側から見ますと、南予というのがこの沿線から少し外れますけれども、宇和島から御荘、城辺、高知県よりの方でございますけれども、豊予海峡の沿岸地域、愛媛県の南部でございますが、ここに効果が出て欲しいということを切望しているところでございます。
 ここは、知事のお話にもございましたが、適正共生地域にすべき地域だなと。ある意味で非常に開発が遅れている地域でございますが、四万十川の上流にもあたりますし、海の方は海中公園等非常に珊瑚礁のたくさんある地域ということでございます。
 産業が弱いという弱点がございますが、唯一、いちばん南の端に一本松町というところがございまして、そこには松下寿電子工業の最新鋭のハードディスクの拠点工場がございます。
 そういう意味で、雇用という面と自然環境に非常に恵まれた地域でございますが、残念ながら生活の利便性、都会的な文化といったものが十分でない地域であります。こういったものが豊予海峡ルートとそれにつながる高速道路網が完成することによって充足をされていくのではないかと期待しています。
 私の友人の子どもさんがそこに勤めておりまして、いいところに勤務できて喜んでおるんですが、グローバル企業でございますから英会話は絶えず磨いておかなければならないということで、毎週1回松山まで休みの日には帰って英会話に通ってる。こういう状況でございまして、そういったものもこの開通によって随分解消されるんではないかなと期待をしております。

田辺

 では、宮田さんお願いします。

宮田

 橋を大いに期待しているわけですが、まぁ15年でしょうか。その間にやるべきことをしっかりやっとかないと、先ほどから問題点が出てますように循環もできなくなるということじゃないかと思います。
 私が非常に期待するのは、九州が一つになれる状態がその時点ではできているんだ、いわゆる東九州自動車道もできているであろうし、中九州横断道路もできてるだろうし、各県の行政の壁も取っ払われているんじゃなかろうかなと期待しているわけです。
 観光産業活性化のためには、大同団結しながらやらないといけないんだということを私どもは考えております。
それと愛媛県、四国と連携を密にしながら。いま四国の皆様方は近畿圏にセールスに行ってるという事実もあります。
 九州は関東圏を目指しております。四国との連携が本当の意味でできていない。船はたくさんあるんですが、利便性が悪い。船の整備も、これができ上がるまでの整備が必要かなと思います。
ただ、観光客は2時間以上は船に乗りません。はっきり言ってですね。3時間も船に乗るともう嫌だということで、いま四国と九州の大きな交流はないということでございます。
 国道フェリーみたいなのができて、町と町とが結ばれれば、先ほど秋月さんの方から船がこれだけの人を運んでるんだという説明はありましたが、観光としてはまだまだそこまでいってないということじゃないかなと思います。

田辺

 ありがとうございました。秋月さんお願いします。

秋月

 大分県の工業出荷額と、愛媛県の工業出荷額とはどうだろうかと。おそらく皆さんは一般的には大分の方が新産都があるから大きいだろうと思うんですね。
 ところが、1兆円近く愛媛県の方が大きいんですよ。特に中予、東予の工業集積は大きい。面積は大分県の方が広いが、人口は愛媛県の方が多いのです。
 もう一つ触れなかったのは、愛媛と大分の豊後水道を境にした歴史文化が非常に似てることです。姫野さんが盛んにやってる亀塚古墳の前方後円墳は、この豊後水道の伊予側にたくさんあるんですね。だから、昔は本当に大分と伊予は身内だったんですよ。その身内をいまこれから取り返そうじゃないかというのが私のまず提案なんです。
 同時にもう一つ、豊後水道は昔は魚の宝庫だった。先ほど干鰯と言いましたけれども、イワシがふんだんに獲れた。大阪の商人は、いわゆる宇和島とか佐伯から来る干鰯には、品質が良いので地元の言う値段どおりに買えという指示まで出てるんです。
 そういう海をもう一回取り戻したいものです。豊後水道にプランクトンを大いに増やす。海岸線に保魚林を育成するとかして、豊かな海にする必要がある。また、豊後水道に入り込む川なり、ありは入り江なり、その川の上流の域内の森林、あるいは植林が十分だろうか、そういった豊後水道再生という共通の問題点がたくさんあるわけです。
 そういう問題点をお互いに共通認識し、豊後水道を大切にするなかで、豊予ルートの姿が見え、実現した暁には波及効果をより以上に発展させることもできるのではないかと思います。

田辺

 どうもありがとうございました。佐藤さんお願いします。

佐藤

 非常に抽象的な発言になるかもしれませんけれども、一つはかつてあった豊後水道の大分側と愛媛側の交流圏を復活させる。仮につけるとすれば海洋生活文化圏と言うんですか、そういうコンセプトで先ほど秋月さんがおっしゃったような、ああいう具体的な行動を民の側から起こしていくということ、これが大事じゃないかなと思います。
 海が持っている障壁性、これを海が持っている懸橋性に切りかえていくということをやる必要があるんじゃないかなと思います。
 それからもう一つは行政、官の方ですけれども、先ほど私申しましたが、相手方の県の名前が入ったようなプロジェクトを一つぐらいつくっておく必要があるんじゃないかと思います。
 おそらく、大分県のプロジェクトにも産業関係のプロジェクトで愛媛の名前が入っているというのはないかもしれませんね。
 そういうことで、官のサイドからもお互いに相手を意識したプロジェクトを構想する必要があるんじゃないかなと思います。
 それから大分県は有名な関さばというのがあるんですが、確か愛媛の方もさばに新しい名前を付けました。岬(はな)あじ、岬(はな)さばですね。
 ああいうさばに名前を付けても、決して同じブランドで出す必要はないんですね。
 同じさばならさば、あじならあじを別々の名前でいいから、それをセットにしてお互いのいいところを売り出していくということも必要じゃないかなと、これは一つの例です。
 その他にもいろいろあるかもしれませんから、そういうものをお互いに出し合いながら、際立った動きを、対比的な動きをやっていただきたいなと思います。

田辺

 ありがとうございました。
 それでは会場からご意見をいただきましょう。

金田(佐伯市企画課)

 秋月先生の方から豊後水道域経済圏というお話が出まして大変心強く感じたところなんですが、市役所の仕事にしましても大分と宮崎の間にも県境地域開発促進協議会であるとか、中九州の九州中央地域連携推進協議会などという関係はたくさんあるんですが、言葉もよく似ている四国との間の協議的なものが市役所サイドでもあまり行われてないということで、フェリーの着く町と町が懇談会などを持ったらどうかというお話は大変参考になりました。
 豊予海峡ルートが開通した時に心配になるのが、先ほど氏兼先生もおっしゃられましたが、四国に東予、中予、南予とあるとすれば、大分県側で取り残される南予と共通する場所が大分県南であります。豊予海峡という言葉が、県南の方ではあまり熱心に語られないといいますが、豊予海峡よりも佐伯市に離島が一つあって大入島というんですが、大入島がたった何百mの間の島になかなか橋が架からないという問題がありまして、ぴんと来なかったわけなんですけれども、今日のお話で、それも豊後水道の経済圏を考えれば大変県南の方にも効力があるのではないかという実感がしました。
 そこで一つ質問といいますか、いま観光という面も大きくクローズアップされているんですが、大分県でも山の方ですね。湯布院とか九重のスキー場であるとか、そういった中九州の方は温泉もたくさんあって、観光に結びつきやすいという面があると思うんです。
 県南、もしくは南予の方というのは、どちらかというと主体が海でありまして、釣りのお客さんなどは多いんですが、なかなかそれが観光に結びついていないという課題があります。
 北九州や福岡から、宮崎からも釣りに来られる方はたいへん多いんですが、それを観光に結びつけるのが非常に難しいという問題もありまして、その辺で何かヒントをいただければと。
 シーサイドでも、釣りの駅というものを考えたりしているんですが、高速道路になり、豊予海峡ルートが出来上がった時に吸い上げられるのではなくて何とか呼びたいと考えておりまして、何かいい工夫はないかと考えております。

田辺

 どなたか、しょうでしょうか。

宮田

 観光面では、今度佐伯にJR特急ソニックが入りますよね。2便ですか、佐伯市でもそれに呼応して佐伯寿司を売り込むということを聞いております。グルメも観光です。
 一例ですが、僕が大分に来て、蒲江のマリンカルチャーセンターに行きました。行ったのはいいんですが、蒲江にはトイレが少ない、食事をする場所が少ない、駐車場が少ないということを感じました。
 観光客を、例えば旅行業者が送る場合は、お客様を受け入れる体制が整っていることが絶対に必要です。訪ねたのは、日曜日だったんですが、食事処、土産物屋の載った案内チラシ(パンフレット)をカルチャーセンターでもらい、そこを訪ねて行ったら閉まっていたというところがたくさんありました。
 その辺は、佐伯はどうかわかりませんが、ソニックが入ってくるのに応じ、観光客に何かを……といった知恵がもうすでに生まれてるということは、今後の佐伯市における観光に結びつくと私は信じています。

田辺

 ありがとうございました。ほかにあればどうぞ。

広瀬(大分・民間業者)

 豊予海峡ルート、共通点は早くつくってくれということのようでございますね、皆さんのご意見は。そうなると、橋かトンネルかという部分が出てくると思うんですが、選択する時に時間軸も一つ入れていただきたいなと思います。早くできるほうでということで。
 橋の場合は、何かものすごくコストがかかりそうな感じがするんですね。コストがかかるということは通行料金も高くなるということでございますので、使う人が非情に少なくなって経済効果が出ないんじゃないかなあと。つくった後のことを考えると、そういう観点もあるんじゃないかな。
 もう一つ、国土防衛の観点から世界情勢を見てると、どこで戦争が行われるとも限らないわけですが、そういう時に爆弾一発で橋は駄目になるわけでございます。そういう点では、トンネルだと非常に安全でございます。
 費用の面だとか安全性だとか、それから早くできるという角度から考えてもいろいろいい点があるわけでございますが、選択をする時に、そういう広い角度からご検討いただきたい。いま我々が見てると、もう橋に決まったという思い込みだけで検討してるような気がするもんですから、ぜひそういう本当の意味での、プラス、マイナスという角度から決めていただきたいと思います。

田辺

 ありがとうございました。もう一方どうぞ。

薬師寺(大分・民間業者)

 進め方として、まず知るということが大事なことではなかろうかなと思っております。それも一人ひとりが知るということですね。
 橋にしろそれから道路にしろ、今回のグランドデザインにしろ、そういうものを一人ひとりが知るということ。
それで 今回のシンポジウムも大変意義があると思いますし、だんだんと政府の方も広報活動に力を入れておるようでございますから、そういうことからよく知るということがまず第一番だろうと思います。
 それから受入態勢、大分の方にいかに魅力を持つかということが大事だろうと思っております。
 まず一つは行ってみたい大分、それから一緒にやってみたい大分、それから住んでみたい大分。そういう他の所から見て魅力のある、すなわち受入態勢のあるところが必要ではないでしょうか。
 それは大分だけではなく、愛媛の方もそのようなことをそれぞれにやる。それぞれにやるんですけれども、一緒に進めていくということが必要ではないかと思っております。
 そうしますと大分、愛媛。九州、四国、それから日本というところから行ってみたい、そして我々は受け入れられると。受け入れられる時にまた必要なものがホスピタリティーだろうと思います。いかに我々が受け入れることができるかという点が大事だろうと思います。
 それからもう一つ、最後ですけれども、人、それから自然、この調和ということにつきましては、これは五全総の理念に方にもあろうかと思いますが、併せて経済との調和でございます。
 ここらが、今後の進め方で非常に大事でありますし、そういうことを我々一人ひとりが知る。そしてできればお金の方からコントロールされるのではなく、我々はお金をコントロールしながらやって行くような方向で、このことについての橋、それから道路等についての関係を明らかにしていきたいなという感想でございます。

田辺

 ありがとうございました。その他ありましたらどうぞ。

藤本(建設省)

 何度も壇上の方といろいろお話させていただいてるんですが、要点を申しますとプロジェクト間、ないしは地域間、あるいは県間のそういうところの連携がなぜもっとすすまないのかという一つの疑問とお願いでございます。
 特に豊予の場合にはこれは東九州自動車道、ないしは中九州横断道路、あるいは三県架橋、こういう骨格に相当するような道路と相まってはじめて生きる道路でありまして、この辺がなぜこの議論をされるときに一緒に議論ができないものか、この辺をなさってはじめてこの道路の必要性というのが大きく浮かび上がってくるんではないのかなというのが結論でございます。
 そこに付随してちょっと申し上げれば、愛媛の話が先ほど出てまいりましたけれども、大分だけで引き留めようとしてもなかなか難しいもんだいじゃないか、先ほど申し上げた幾つかの道路が議論されてポテンシャルがたくさん奥にもあると、こういうことになってはじめて、そういうところにつながっていくんではないのかなと、そういう意味でなんとしても連携という形をとっていただくところではないかなと思います。
 こういう所の理論武装でございますが、当然橋をつくるとかそういう議論の時にはB/C,あるいは間接効果というのが通常なされます。これだけではなく、さらにはこういうものをどういう形で位置付けるかということで、国家プロジェクトとしての位置付け方、特に国土庁で大きく多自然居住型、あるいは多軸型という形で位置付けられております。これが更に今度はブロックレベルでも何らかの位置付けが必要だと思います。
 さらに今度は県間でも、そういう形のものをやっていただいて、これを連携によってつなぎあわせようということが非常に重要ではないかということでございます。

田辺

 はいありがとうございました。
 私に残された時間が1分です。1分ではなかなかまとまらないんですが、少なくとも今日のシンポジウムでこの橋が、橋かトンネルかわかりませんが、実現した暁の経済効果は計りしれないものがあるということの再確認ができたと思うんですね。
 しかし、絶大な経済波及効果があるけれども、じっとして棚ぼた的にそれは降ってこないんだと、その間に地域づくりをはじめ、やるべきことがいっぱいあり、それについてすぐにでもとりくむべきだと。
それから、いまは国の財政も地方の財政も逼迫して、なんとなくこういう大型プロジェクトを口にする事をためらうような風潮にあるわけですが、5年後、10年後、15年後はそういう状態がもうないと思うんですね。
 ですから、そういう風潮にあまり惑わされずに、我々は声を大にしてこの実現を叫び続ける必要があるのではないかと思います。

 

 何よりもこういう議論をする事が大事なのですが、議論ばかりしていて実行力がない人のことを別府のお湯だというんですね。言うだけで何もせんやないかと。そうじゃなくて、先程来、幾つかの具体的な行動、こういう行動を起こしたらいいのではないかというような秋月さんや佐藤さんからの提案もございましたから、もう、あしたからでもそういうことを念頭に置きながら、我々は助走に入ったらいいのではないかと思っております。
 その場合、会場からの意見もありましたが、行政側にお願いしたいのは地域住民の人たちが、そのことをよく知り、判断する材料を可能な限り地域の人たちに提供するべきではないかということであります。
 会場の時間制約もございますので、この辺でこのシンポジウムを終わりたいと思います。
どうもありがとうございました。.