パネルディスカッション 「21世紀の新たな豊予海峡交流圏の形成めざして」

2001年3月2日に大分市、トキハ会館で開催された豊予海峡ルート推進フォーラムのパネルディスカッションの記録です。(敬称略)


        コーディネーター
     佐藤誠治:大分大学工学部教授

パネリスト(発言順)
     秋月睦男:大分経済同友会代表幹事
     保田明良:国道九四フェリー椛纒\取締役社長
     鳥津康孝: (社)八幡浜青年会議所理事長
     小谷  寛:中国四国交流連携倶楽部代表幹事
     川勝平太:国際日本文化研究センター教授



佐藤
 ただいまご紹介にあずかりました。大分大学の佐藤でございます。
 私自身、国東で生まれ国東を出るまで豊予海峡をずっと眺めて暮らしました。
 そういうようなことで今日、ここで「21世紀の新たな豊予海峡交流圏の形成を目指して」というパネルディスカッションのコーディネーターを務めさせていただくというのも、私個人としても非常に意義深いことだと思いながら壇上に上がっているわけでございます。
 今日はパネラーといたしまして日頃より地域連携に関する様々な活動や、地域を越えて事業展開をなさっておられる方々、先ほどご紹介がありましたように4名のパネラーをお迎えしております。  それからまた、パネルディスカッションに先立ちまして基調講演いただきました川勝先生には引き続いてコメントをいただくという立場でご参加をいただいております。
 このディスカッションを始める前に、まず最初にこの目的は何か、あるいはコーディネーターとしての私自身の問題意識、そしてパネルディスカッションをどう進めて、どういう到達点に導きたいかという希望を最初に述べさせていただきまして、パネルディスカッションを進めさせていただきたいと思います。
 豊予海峡ルートにつきましては、皆さんご承知のように平成10年3月に閣議決定されました「21世紀の国土のグランドデザイン」に明確に記述されたわけでございます。  もちろん豊予の前提となります太平洋新国土軸、これを初めといたします3つの新国土軸がこのグランドデザインの中で認知されているわけであります。
 太平洋新国土軸につきましては、その前史といたしまして1989年大分合同新聞の正月の特集の記事の中で平松知事が第二国土軸を実現するんだという意思表示をされたわけでございます。
 もちろんその前にワイズマンレポートというレポートがございまして、この太平洋新国土軸に相当するルートの調査結果が報告されておるわけでございます。  この国土のグランドデザイン、この部分で豊予海峡ルートに関する部分を、皆さんがたご承知ではあろうと思いますけれども、若干端折って読んでみたいと思います。
 「豊予海峡道路については長大橋に関わる技術開発、地域の交流連携に向けた取り組み等を踏まえ調査を進めることとし、その進展に応じ周辺環境への影響、費用対効果、費用負担のあり方等を検討することにより構想を進める。これらの交通基盤に加え、高度な情報通信基盤の整備を図るとともに、交流と連携を促進するソフト施策を展開する。」とごく簡単に書いているわけでございますけれども中身は非常に濃うございます。
 要するに、やるという意思表示をしたわけでございます。しかしながらいろんな条件が山積していますよ、とりあえず交流連携のソフト施策を先行して機運を盛り上げてくださいと、この3つがポイントであろうと思います。
 しかし、我々地域に住む人間といたしましては地域は地域といたしまして、現在の問題、課題をどのように認識し解決していくか、そしてそういう問題や課題に豊予ルートの整備がどのように絡んでいくのかということを整理しておく必要があろうと思っております。  それを地域発想と国土発想という意味で分けてみます。まず地域発想ですが、当然道路ネットワークの問題でございます。四国では太平洋新国土軸沿いの道路整備が着々と進捗の度を深めている。佐田岬メロディーラインから徳島へのルートは完成に近づいているという話がございます。
 九州でも東九州自動車道が大分県津久見市までかなり近未来につながる。それから蒲江町までは着工命令が出ている。さらに、大分・熊本間の中九州高規格道路も緒についてる。
 公共事業への風当たりの問題があるわけですけれども、陸域部におきましては時間の問題であるということでございます。あとはネットワークで緊密に結び合った陸域同士を海峡によって結び、一気に活力を出していくべき時期がすぐそこにやってきている。先ほど川勝先生のお話で、内なるネットワークをきちっと整備することによって、外に向かって開いていく。外に向かってつながっていくという話がございました。
 さらに言いますと、この豊予ルートができれば、しまなみ海道と関門ルートをつないで、西瀬戸地域に大きなリングが完成する。そういうことで、この豊予の推進協議会には山口、広島、福岡、大分、宮崎、愛媛の西瀬戸地域全体が入っているわけでございます。  この西瀬戸地域の問題につきましては、おそらく保田さんあたりからご紹介があるのではないかと思いますけれども、本四架橋後の傾向といたしまして九州にも整備効果が九州四国間の交流の拡大という形で出てきている。波及効果が出てきておるということであろうと思います。
 それからまた、国土発想ということからいきますと豊予海峡ルートは太平洋新国土軸の一部として認知されているわけでございますけれども、日本は4つの島に分かれているという大きなハンディがございます。これは川勝先生の分野でございますけれども、4つに分かれているということが日本文化の独自性を作ってきたわけでございます。
 21世紀にはこれを克服して新しい国土構造を作り上げ、新しい文化を作り上げていくという課題があるのではないかと思います。  この4つの島に分かれているということを見てみますと、先進国で少なくとも、サミット諸国で国土が分断されているということはないわけでございます。そういうところがほとんど見られない。
 例えば、EUでは一つひとつの国は分散していることはない。さらにEUに連合することによりましてEUでは国と国をさらに緊密に結びつけようとしているということがございます。
 それから国土発想の第2点は、日本全体として国土幹線道路が遅れているということを指摘しなければならないわけでございます。  先ほど触れましたEUですが、52兆円で5万キロの国土幹線道路、国土間の道路を造ろうとしている。
 あるいは、1992年にご存じのようにマーストリヒト条約が結ばれました。その中で、EU参加の条件として高速道路の整備をきちっとやりなさいということを言ってる。
 さらに、川勝先生の講演でオランダの話が出ましたが、オランダは九州とほぼ同じぐらいの規模ですけれども2000kmの高速道路を整備している。九州はまだその3分の1という状況がございます。  こういうことは、おそらく今日ご参加のパネラーの皆様方の共通の認識だろうと思うわけでございます。
 このような背景の中で豊予海峡を一つの交流圏域として成立させるために豊予ルートの整備が必要であるし、逆に豊予ルートを整備するためには交流圏の形成が必要とされるという関係性であろうと思います。
 そこで、パネラーの皆様方にはまず第1回目のご発言といたしまして、それぞれの立場から豊予ルートとそれを取り巻く環境について現状認識を語っていただきたい。
 それから、第2回目のご発言としては豊予海峡を隔てた産業や文化や観光などの交流連携の方策についてお聞かせいただきたい。時々質問としてふるかもしれませんけれども。
 そして、第3回目は豊予海峡ルートの意義、あるいは実現した場合の夢などを縦横に語っていただくということで、全体といたしまして海峡圏交流をどのような方策によって深めて、そしてまた国土レベルのコンセンサスが得られるような方策をどのようにして構築するのか。豊予海峡ルートを実現するために、一歩でも二歩でも前進させる、そういうディスカッションにしたいと考えておりますので、ご協力をよろしくお願いいたします。
 それでは、順番は並んでいるこの順でいきます。最初に秋月さんにお願いいたします。

秋月
 昨年の2月24日に豊予海峡ルートと広域連携を考えるシンポジウムが開催されました。私もそのパネラーの一人として出席いたしました。その席上でこの豊予ルートの架橋建設の促進と並行して大分と愛媛両県が連携し、交流を深めることによってその交流が豊予海峡ルートの実現に大きな支えになるだろう。そういった意味で両県の交流連携、行政ボーダレスな経済交流を進めたいという提言を申し上げました。
 その席上にいよぎん地域経済研究所の氏兼さんもおられまして、賛成いたしていただきました。 さっそく大分商工会議所の安藤会頭、そして佐賀関、臼杵、津久見、そして佐伯の会頭さんともご相談申し上げ、ぜひ大分側は大いにやりましょうというご賛同をいただき、その旨をいまここにご出席いただいてます、松山商工会議所の水木会頭さんにご説明にお伺いいたしました。そして水木さんのご快諾をいただきまして、松山から伊予、そして大洲、八幡浜、それから宇和島の商工会議所の方々にもお話して頂くことになりました。私も宇和島、八幡浜、そしてさらに高知県の宿毛にもお伺い、さらに三崎の商工会長さんにもお会いいたしました。そして、この豊予海域を取り巻く広域経済圏の形成について、関係する皆さんのご賛同を得まして、その懇談会を今日、このフォーラムが終わりまして、第1回の「豊予海域広域経済圏推進懇談会」という形で開催される運びになっております。本フォーラムにご出席の水木会頭さん、そして関係の会頭さんや会長さんに心から厚くお礼を申し上げながら、今後この懇談会が豊予海峡ルートの実現を支える大きな地域のうねりになることを、私は心から祈念してまず皆さん方にご報告申し上げたいと思います。
 先程、川勝先生から西瀬戸経済圏は西南日本の大きな拠点だというお話がございました。西瀬戸内経済圏という大きな経済圏の中に一つのクラスターと申しますか、房と申しますか、そういう小さな経済圏が寄り集まって私は豊かな西瀬戸経済圏ができるんではないか、そのクラスターの一つとして、この豊予海域広域経済圏を立ち上げたらどうだろうかという感じがしているわけでございます。  大分県と愛媛県の関係について去る27日に、国は一人当たりの県民所得を発表しています。これは皆さんご存じの方がおられると思います。全国の平均が310万4000円でございます。ところが310万の平均の所得を持ってるところは、47都道府県中上位8県です。10位は静岡になってますが、10位は307万で平均になってないんです。県民所得からみて、上位は東京、愛知、大阪、神奈川、埼玉、滋賀、千葉、栃木となっています。  いかに地域振興が偏在してるか、これでおわかりになるかと思います。  そういった視点からも我々は、中央集権から地域分権あるいは地域自立といったことについて今後検討しなければならない大きな課題があるのではないでしょうか。
 しかもこの県民所得を見ますと大分県が266万4000円。これが32位です。去年も32位でした。それから愛媛県が245万6000円。これは41位、97年が39位ですから少し下がっています。各県を見ますと九州の中でも福岡とか、あるいは熊本、長崎と東側は大分よりもいいんです。一方西側の宮崎とか鹿児島は低い。四国で見ると、愛媛と高知の方が、香川や徳島より低く東西の地域格差がでている。これは一体なんだろうか。やはり地勢的に、あるいは地理的に来る気候風土産業構造等々の格差によるものではないかと思います。  このあたりの格差を我々が一体どうして縮めていけばいいのか、21世紀に課せられたこの地域に住む者の課題ではないでしょうか。  例えば、この愛媛県と大分県について若干お話申しますと、人口は愛媛県が151万、大分県が123万、県民所得は先程お話申し上げましたように愛媛県が245万6000円。大分県が266万4000円ということなんですが、産業構造について第一次産業とその雇用人員をみますと、愛媛県が12.0%、大分が11.3%。第二次産業は愛媛県が30.0%。大分が27.8%。第三次産業は愛媛県が57.5%、大分県が60.6%。大分県は第二次産業の比率が低いんです。  また製造品出荷額、工業出荷額についてみますと、大分県がいま2兆7〜8000億です。愛媛県は約1兆多いんですね。こういう工業出荷額の構造格差もあります。  ところが面白いことに人口一人あたりの預貯金を見ますと、大分県は577万6000円、愛媛県は741万4000円と大差があります。これは県民気質でしょうか。  こういういろんなデータがあります。  一方、このような中で大分県と愛媛県は地理的に近いせいもあって非常に類似的なものを持っており、その培われた歴史文化、風土、あるいは生活空間の営みが非常に似ています。
 共有する豊後水道域というこの海域の持つ海洋性気候、そして温暖な海岸部や豊饒な海から得られる水産物や農産物、その加工品等々。例えばみかんですね。これは津久見のみかんが八幡浜のみかんとなり、今度は逆にこの八幡浜のみかんが国東のみかんになっております。シイタケは佐伯の宇目町あたりのシイタケが愛媛に行ったとも聞いております。  これは古くから豊後水道という海の道を利用した人、物の往来があったということになると思います。
 又、この豊後水道には徳川時代から非常にイワシが取れたようです。そのイワシを絞って食用油にする。又、しぼりカスは干鰯として肥料にする。特に宇和島の干鰯と、佐伯の干鰯は非常に品質がよく、大阪の市場に行ったら、仲買人はその二つの干鰯については値段を問わずに買えという程で、金肥として最上等だったんです。大阪方面は木綿の生産が盛んで、その木綿の生産に対して最適な肥料だったようです。
 あるいは、この豊後水道域の人々は海を生業としたため、海部の人々がいました。  亀塚古墳が大在にありますが、これは前方後円墳です。宇和町の方にも前方後円墳がある。このように海を相対して共通の生活がありました。  これもまたびっくりしたんですが、豊後は小藩分立で豊後八藩といいますが、伊予も八藩なんですね。お互い八つの藩に分かれておるんです。このように同じような類似性を持って、しかもこの豊後水道という豊予海域を利用して、古い昔からお互いに地域交流が盛んだったようです。この道の往来が明治以降、愛媛県、大分県という行政の壁でもって若干阻害されてはいないかどうか、私共はこの豊予海峡を中心とした広域経済圏をみなさん方とともに見直して、新しい地域交流をすることによってこれからの豊予海峡、あるいはこの豊予ルートの構築、特に架橋の実現も身近なものとなってくるのではないでしょうか。
 その動きが西瀬戸経済圏の一つの大きなクラスターとして成長することを心から念願しております。
 あと、経済圏について、どういったことが考えられるか等については後段にお話申し上げたいと思います。  以上です。

佐藤
 どうもありがとうございました。  地域格差の解消の問題につきましては第二回目のご発言でよろしくお願いいたしたいと思います。  それではその次に保田さん、よろしくお願いいたします。

保田
 九州と四国を最短の70分で結んでおります国道九四フェリーの保田でございます。  当社はまさに豊予海峡交流圏を又にかけて商売をしてる会社でございまして、最近需要が非常に伸びてるということでパネラーとしてご招待いただたものと思います。
 当社、監督官庁は運輸局。門司と四国運輸局は高松でございます。  あと港湾関係は大分県の管理と愛媛県の管理の三崎港を使用してる。本社は佐賀関を本社にしてるわけですけれども、登記上は松山市の大街道においてございます。  したがいまして、国税は松山の税務署に払ってる。ただ所得税等は臼杵税務署のお世話にもなってると、銀行は大分銀行さんと伊予銀行さん。まさに四国と九州の皆さん方にお世話になりながら商売をさせていただいてる会社でございます。  豊予海峡の交流ということで、このフォーラムも8回目でございますけれども、近畿日本鉄道がこの航路に船を走らせましたのは昭和37年でございます。  当時、社長をしておりました佐伯勇さん、63年に亡くなりましたけれども、愛媛県丹原町のご出身でございまして、名誉町民ということで役場の隣に佐伯記念館があり、胸像があるわけです。
 この方が一説によると大分県の佐伯の大友宗麟の味方をした佐伯水軍の末裔である。したがって大分県と愛媛県には何とか力になってあげたいというようなことで航路を作ったということを聞いております。
 現在、大分から高知まで国道197号線でございますが、国道に昇格したのは近鉄が航路を始めた2年後、昭和39年です。  まだそういう交流という概念が十分でない時代に、もうすでに将来を見越してそういうことを始めたということは私自身、非常に尊敬すべき経営者であったと思います。
 そして、佐伯勇さんは近鉄の社長と国道九四フェリーの社長を昭和56年ぐらいまで兼務していたわけでございます。  フェリーを始めましたのは44年4月でございます。当時、四国の道路が197をもじってイクナ国道と言われるほど非常に曲りくねった狭い道であった。しかも八幡浜から松山へ行くのでも山の峠越えであった。車がやっと通れるぐらいだった。そういうことを勘案しまして大分県の木下知事がとても経営は成立たんだろうということで、道路公団が航路権を持って運行委託という格好でスタートをしております。  63年4月に20年経ちましたところで、私どもが航路権等も引継いだわけです。私、近鉄グループでただ一人フェリー経営の経験があるということで、当時倉敷・丸亀のフェリーの経営者であったわけです。まさに瀬戸大橋がかからんとしてる時でございました。この国道九四フェリーが民営化してやっていけるのかどうかということを判断して欲しいとトップの方から頼まれました。当時は道が非常に悪かったために年間1億円ぐらいの収入で4億円ぐらいの支出がかかると、年間3億の赤字が累積していくというような航路であったわけです。
 それを引き受けて民営化してやっていけるのか見てこいということで見にまいりました。  まだメロディーラインが3分の1ぐらいしか供用できてない時でしたけど、渡ってみて、この航路は絶対にやっていけると判断し、そういうふうに上の方へ伝えました。そういうこともあって多分私が国道九四フェリーへ来ることになったんだと思っております。
 私が平成元年にまいりましたときは、1日にわずか4便しかなかったんです。私は絶対1時間ピッチの運行にしてみせる。絶対そういうふうになるはずだと、まず就任の挨拶で言いました。  その後すぐに平成2年に新船を1隻投入、便数を平成3年に6便に増やし、夜まで運行するようになってトラックの需要をつかみ、平成5年に第二船を投入して6便から10便へ持っていったわけです。  当時、まだ運輸省の量的規制があったために一気に12便までやりたかったんですけれども10便に抑さえられたということで非常に悔しい思いをしたわけでございます。  そういう便の増加が需要を生んだということも、もちろんございますけれども、フェリーは道路がどう整備されてくるのかということによって需要の動向が決まってくるといっても過言ではないわけです。  平成元年の年間の輸送台数は3万6000台でした。11年度が約11万台と約3倍になってるわけです。  どのように増えてきたのかということを申し上げますと、初めは大分県と愛媛県の車の行き来がほとんどであったわけです。  それが大分自動車道が、私の来ました時はまだ朝倉ぐらいしかなかったと、それが日田まで来て玖珠まで来て、湯布院がつながったと、そのつながった時に福岡はもちろんですけれども長崎からも佐賀からも、まず観光バスがうちの航路に乗っていただけるようになった。  観光バスは、そういう新しいものができた時に一番にやってくる車なんです。それがその地域から観光バスが来ると、あと半年から1年遅れて今度のは自家用車がやってくるという、私の経験ではそういう感じになってます。  えびのと人吉がつながった時に鹿児島からのバスツアーが当社の方に来るようになった。もう一つ217号、下の江バイパスが開通して、臼杵から津久見に抜ける彦岳の下を通る県道ができた時に宮崎交通さんのバスツアーが私どもの方に来てくれるようになった。  それまで宮崎、鹿児島のツアーは、ほとんど飛行機で伊丹へ行って、伊丹から四国へ入るという経路であったわけです。
 非常に道路も悪いしフェリーも所用時間がかかる。そういう経路で来てたのが、そういうふうに道路が整備されることによって、大体観光バスは1泊2日の旅行が多いわけですが1泊2日圏が広がってきて、そういうふうになってきた。  一方、四国の方も高速道路が土井から川内、伊予市までだんだん伸びてまいります。伸びるにしたがって需要が増えてきたということです。  また、瀬戸大橋が架かり、明石の橋が架かり、しまなみ海道が架かった。それぞれのインパクトによって、車がやってくるということによって当社の需要がどんどん伸びて、おかげさまで順調に便を増やした分も埋めてきたということでございます。  平成9年頃に需要が満杯になりまして乗れないという状態になったわけですけれども、運輸局の量的規制があって増やすことが出来なかったというときに、不況と、言いますか産業界の不況でトラックが若干減ってきたわけです。その分乗用車とバスが乗れるようになったということで、また10年度11年度も若干台数が増えたということが言えると思います。
 今年はしまなみ海道の2年目ということで、しまなみ海道の通行量は3割とか落ちてると、あるいは道後温泉の宿泊客も2、3割落ちているということを聞きますけれども、当社としてはほとんど影響なくプラスの方向へ行ってるということは一過性ではなくて豊予海峡の通行する車は定着していると感じております。  以上です。

佐藤
 どうもありがとうございました。  便の増加が逆に需要を生んで、そういう効果が出てきた。あるいはしまなみ海道を整備することによって、豊予に波及する。プロジェクトが連鎖するという連鎖効果があるんじゃないかというご意見でございました。  それでは次に鳥津さんよろしくお願いいたします。

鳥津
 みなさんこんにちは、先ほどから咳ばかりしておるんですけれど、来る前日に風邪を引いてしまいまして、お聞き苦しい点あろうかと思いますけれども、どうか我慢して聞いてください。  私、八幡浜生まれの八幡浜育ちで、こんな若いみそらでこんなところに座っていいのいかなという感じさえしてしているわけでございますけれども、本日は若い者代表ということで発言して帰れということではないかなと、自分の中で消化いたしまして伸び伸びと発言して帰りたいと思っています。  いま四国はエックスハイウェイということで高速道路がX線状に四国を駆けめぐっているわけです。
 そのX線状に伸びた一つが私の八幡浜市の隣町である大洲市までいま伸びてきている現状です。  それが平成20年までには宇和島、八幡浜の下の町ですね。宇和島まで伸びるのではなかろうかということです。  そして我が八幡浜市ななぜか素通りされていってしまうという悲しい現状に、ちょっと政治家の力が足りなかったのかなという気もいたしますけれども、3年後には地域高規格道路という、高速道路にアクセスする道路ができるということです。  ということで、南予地方は陸路においては、まだ取り残されているのかなという気持ちがしてなりません。  そして、しまなみ海道が本州とつながったわけですけれども四国にいる者から見まして、しまなみ海道は観光の橋ではないかなという気がしてなりません。できて1年目は各旅行社がツアーバスを組みまして、渡ったり見たりということで、非常に活況を帯びていたという印象があります。私の家業、蒲鉾屋ですけど、松山のお土産屋さんに納品しておるわけなんです。しまなみが開通して1年間は不景気にも関わらず大変爆発的な売り上げを示しまして、本当にこれ不景気なのかなというぐらいの売り上げを示したという1年間でございました。
 しかし、1年経つと1回来るともういいやという観光客の気持ちでしょうか。それでお客さんが離れていったということで、しまなみ海道は事後策を怠ったのではないかなという印象を受けてます。  今日来る時に愛媛新聞を読んでおりましたら、大変興味深い記事が出ていました。しまなみ海道の記念碑が建てられたそうです。総費用が4270万円という莫大な費用をかけてしまなみ海道の記念碑が建てられたそうです。  それを見て地元の人たちはそんな莫大な予算があるなら、なぜ、他の使い道をしないんだという大バッシングを受けたという記事が本日載っておりました。
 しまなみ海道が今日まで、スムースな運営の下、機能していればそういうバッシングも受けなかったのではなかろうかなという気がいたします。  ぜひ、この豊予海峡ルートも慎重に、用途、目的、そして展望などを慎重に協議されながら進めていかれることを切に願っているわけです。
 そして私思いますに、今日のパネラーとして、この壇上に座っているわけですけれど、まず過去の資料を見まして、平成5年からずっとこうやっていろんなことがされているわけですけれど、何か一つ引っかかるなと思ったら、この豊予海峡が全国区ではないのではないかという気がしております。  情報発信が足りないのではないかなという気がしてなりません。
 私の家業にまたくっつけて申し訳ないんですけれども、じゃこ天は、全国区、もうそろそろ行くのかなと自負しておるんですが、全国ではまだ3割程度の人しかまだ知らないのではないかという部分もありまして、まだまだこれから伸びていける商売なのかなとも思っておるんです。
 ぜひ豊予海峡も、私の隣におられます川勝先生はネーミングの神様ではないかなと思っておるわけでございます。1週間前に八幡浜で海洋圏のシンポジウムで発せられた言葉なんですけれどガーデンアイランズという言葉、そしてNHKの「視点」という番組に先生が出ておられまして、大学町という造語を連呼されて講演しておられました。  そういう部分で豊予海峡もぜひ川勝先生の素晴らしいネーミングで全国区に発信できるように、そして全国に、全世界に発信できるようなネーミングの付く場にしてもらいたい。それによって自ずと道は開けていくのではないかと思います。以上です。

佐藤
 どうもありがとうございました。  しまなみ海道、どうもご祝儀効果で後が続いてないんじゃないかという、非常に辛口のご意見でございました。それから豊予ルートはいまのところで全国区ではないというご指摘でございます。重く受け止めなきゃいけないことじゃないかと思います。  それでは次に、小谷さんよろしくお願いいたします。

小谷
 中国四国連携倶楽部の代表幹事をしております。何年か前に愛媛県の川之江市で我々のフォーラム開いたわけです。  その時、鳥取は1月で大雪でありまして、雪かきをして出ていった。そのフォーラムの冒頭、私が今日は雪かきをして出てきて、列車が雪で20分遅れたと申し上げたら、歓迎のご挨拶をなさった川之江の市長さんが、今日は川之江は大変寒くて1年で一番寒い時だ、申し訳ないというご挨拶をなさいました。その次にお話をなさったのが高知の南さんという助役でございまして、南さんがおっしゃったのが鳥取が雪だと聞いてびっくりした、今日高知は暑くて暑くて、上着を脱いで仕事をしてたとおっしゃったわけです。  これを聞いてた当時経企庁の事務次官、その前は国土庁にいらして、地域連携軸の生みの親でもあります糠谷真平さんが、鳥取は大雪で高知は上着を脱いで仕事をしてる。この連携軸上の魅力は、この温度の差にあるんじゃないかということをおっしゃったのが大変なつかしく思い出すわけです。
 お互いに足りないもの、お互いのすぐれたものを補完しながら、交流して連携を深めていくと大変豊かな幸せな世界が広がっていくんではないか、そんなことを交流連携ということで思っているわけです。  我々が交流連携にどうして加わっていったかということですけれども、平成6年の頃ですが、全国商工会議所青年部連合会の副会長をしておりまして、たまたま全国の研修委員会を私の担当でやれということでテーマは何にしようかと探しておりましたら、地域連携という言葉が引っかかってまいりまして、全国各地に青年部があるわけですから、これを連携していったら何か面白いことができるんじゃないか、そんなことから、わいわいがやがや始めていったわけであります。  そんなことをしておりましたら、平成7年2月の国土庁のシンポジウムがございまして、地域連携シンポジウムでしたけれども、分科会のコーディネーターをやれということで、高知にまいりまして、わいわいがやがややってたんですが、例えばこういうシンポジウムで、この場で終わりにしちゃったらもったいないなと、集まった連中で何かやろうやといって始めたのが中国四国交流連携クラブでした。  平成7年の7月から出発をしたんですけれども、自分たちでやる、できることからやる、自分がやるということをモットーにしまして、それぞれ得意な分野で連携していこうというので、例えば本屋さんが集まって本の部会を開きまして、地方出版物に光を当てた中四国の連携をやってみよう。それからCATV、ケーブルテレビの皆さんが集まりまして、例えば番組の交換をするとか、そういうことをして情報交流ということをしてみよう。
 それから観光部会。どうしたら中四国が一体となって観光の連携ができて、例えば東南アジアから中国には12億人の人がいるとするならば、大金持ちが1%しかいなくても、東京の人口より多いんじゃないか、そういうのを呼んでこれないんだろうか、それには中四国の全体的な魅力をどうアピールしていったらいいだろうか、そんなことで観光部会などを作ったわけです。  ところがこの当時、とても連携意識が薄かった。高知から鳥取、島根に至る市町村にアンケートを取ってみましたら、交流して連携して何の意味があるのと、そんなの無駄じゃないのというのが6割ほどいたわけです。  これじゃとてもじゃないけど交流連携にならないんじゃないかということでネーミングが必要なんだ、いい名前を作りだそうやというので全国に公募してネーミングを公募したわけです。  その結果、できてきたのが、「なかよしさんかいライン」。中国四国を、「中四(ちゅうし、なかよし)と、「中四」と書いてこれを“なかよし”と読む。三海は太平洋、瀬戸内海、日本海、この三海であります。  太平洋のかつおのたたきがある。それから瀬戸内海には、皆さんご存じの大変おいしい魚があるわけです。そして、全然違う日本海の味がある。松葉蟹が鳥取にはある。この3つの海を結んで交流をしていこう。それが一つの「さんかい」海です。
 もう一つの「さんかい」という意味がありまして、それは瀬戸大橋を3回、一年に3回渡ろうねという意味です。「なかよしさんかいライン」というネーミングをして活動を始めてきたわけです。  この中で我々だけでやるとか、そういうことはとうていできないということでして、竜巻の渦になる。小さな渦を起こす、小さな風を起こす。うちわでパタパタパタッとあおいで風が起きる。それが周りの人々を集めていって渦になって、最後は竜巻になっていくようなイメージで活動を始めてきたということです。

佐藤
 どうもありがとうございました。  先ほど温度差は物理的な温度差と、それからもう一つ、地域の文化の違いも含まっているではないかなということを、お聞きしながら感じたわけです。  それからネーミングにつきましては、お手元にお配りしている封筒の一番下に書いてございますけれども、「列島がkissする。いま豊予海峡から。」というネーミングですでに豊予海峡ルートの方はスタートしてるわけでごすけれども、地域の特性なり、あるいはプロジェクトの特徴をネーミング、新しい言葉で表現するのは非常に大事なことじゃないかと思っております。
 この時点で川勝先生にコメントいただきたいと思う点がございます。  先ほど秋月さんの方から地域格差をどう解消するかというお話がございました。  東京と競争する無謀なことはしてはならないと思いますけれども、他の地域と競争できる条件をそれぞれの地域が持っておく必要がある。圧倒的に不利な条件をずっと持ち続けるのは非常に問題だということで、連携のための道路なり、あるいは豊予海峡ルートという問題意識があるわけでございます。  それともう一つ、先ほど地域の特徴の話もございました。つなぐことによって、地域特性が失われてくる。そういう危険性はないのかどうか、物理学で言いますと、エントロピー増大の法則というのがございまして、地域の違いが。あるいは物理空間の違いがあるんだけれども、それがつながることによって混ざってしまって特徴がなくなってしまうという問題もある。  この点は、文化論的にとらえて整理しておかなきゃいけないんじゃないかという感じもするんですけれども、川勝先生いかがですか、その辺。

川勝
 そうですね。人間と人間のつながりの一番の基礎は男と女じゃないか。  私は男子校から大学に行ったんですけれども女性が周りにいることによって、自分が男であることを認識させられる。男が男であることを知るのは男によってというよりも、女によって男を知ると。くだらない例で申し訳ありません。
 海外に行って、自分が日本人であるということを否が応でも知らされるということは皆様ご経験の通りであります。ネットワーク自体はグローバルという地球的な規模で広がっております。そのことが同時に地域に対する自覚を高めています。グローカルといったりしますね。グローバリズムとローカリズムが相携えているのがことの本質です。  先ほど秋月さんが格差のことを言われました。格差はGDPないし、お金だけで換算しますと格差が非常に目立つ。けれども物事は全部貨幣では換算できないとは思うんです。  自分の庭で自給してものを食べてしまうと、それは市場で買うわけじゃないのでGDPの中に入らない。  あるいは訴訟でお金を払うと、これもGDPに入りますけれども、仲良くみなして、それなりに収まっておれば訴訟費もいらないわけです。
 GDPの中身を突き詰めていきますと、自分で作って自分で少なくとも食べる、それを人に分けるというようなことでは、お金がその分いりません。  GDP主義をいかにして克服するかということは、経済学においておそらく最も重要な課題です。アマルティア・センというインドの学者で、いまケンブリッジの学長をされていますが、この人は人間の幸福を図るということのために、GDP主義をいかに克服するかということを唱えてノーベル(経済学)賞をもらった方です。
 彼はベンガルの人で、ベンガルが大飢饉にあった、そこにトウモロコシやなんかが送られてきた。彼らはお米を食べてるので、どう料理していいかわからないし、腹がふくれたらそれで済むというもんじゃない、だから自分たちが生きるのに必要なものは量では計れないということを、最初に具体的に経済学会に提言せられた方だった。  もうちょっとコメントしてよろしいでしょうか。  保田さんが九四フェリーで新機軸を出されたのは実に面白い話でございました。フェリーを最初四往復だったのを、これを10数回になさったのは、まことに素晴らしい企業家精神に満ちあふれている。  もともと橋は浮き橋です。あるいは船橋と言ったりします。だから橋の代わりに船で渡る。浮き橋。これを固定化すれば陸になりますので、船の需要が少なくなる。その需要が潜在的に高いと船の往復は、やればやるほど需要が増えていく。いまおそらく八幡浜と大分県だけでも40万人ぐらいの往復規模があると思いますし、潜在的には相当ある。陸の道が、日本では自動車が昭和30年代以降出てきましたので非常に急速に発展しているようです。けれども先ほどご指摘があったように、オランダの3分の1前後、同じ九州の大きさでもそういうことになってる。  だから八幡浜において、高速道路が大洲まで来て宇和島に行ってしまうと、どうして八幡浜まで来てくれないということが、いかに深刻かは言われてる通りです。
 道路の問題は、実は日本ではまさに昭和30年代以降の問題です。道はそれ以前人が歩く道であった。それが物が通る道になった、自動車道路になったということで、この問題は日本にとっては新しいので、21世紀を占う場合にどう整備していくかということは、よほど真剣に考えねばならない。  鉄道と自動車道路で結ばれることによって、山の峠を簡単に越えられるようになった。日本はトンネルを掘る技術は世界一で、ドーバー海峡だって日本が掘ったわけですから、この豊予海峡だって簡単に掘ることができると思います。
 つながることによって、違うことを知ることができたのは先ほどの小谷さんの話の通りで、鳥取は雪、高知は上着を脱いでる。吉田兼好が徒然草に、「家の作りようは夏を旨とすべし、夏の悪き家は耐え難し」と言いました。要するに湿気が多いからです。ところが、おそらく鳥取や、いま私は標高1000mの山の中に住んだものですから、昨日なんか雪です。ですから、家の作りようは冬をもって旨とすべしと僕はいいたいです。雪の悪き家は耐え難しと、ともかく家を出られなくなるものですから。  日本は非常に多様で、そのこと自体が実は楽しめる。冬はもちろんスキーで楽しめるし、仮に沖縄の人あるいは、台湾、東南アジアの人だったら雪を見たことがない。雪を見たときのインド人の喜びを私見たことがあります。イギリスに初めて来たインド人が、初めて雪を見たときに踊ってました。外で。This is Snowと、彼らは英語の文献でSnowは知ってるわけですけれども、初めて見たと。そのような例は山のようにありまして、違いを知ることがとても大切です。ただネーミングはネーミングのためにするものではありません。
 例えばガーデンアイランズというネーミングはどこから来たのかというと、ヨーロッパ人が日本を見たときに、世界で見たことのないような緑にあふれる城下町を見たわけですね。都市というのは煙突が林立する工場群がある所だ、と彼らが思っていたところに日本に来て、おそらく大分の町、江戸の町、どこも小江戸みたいなもんですから、武士が住んでいる。そしてお茶の心得があるもんですから庭を必ず持っているわけです。そして田圃がきれいに世話をされている。  先ほど干鰯の話が出ましたけれども、まさに多肥集約型で土地の生産性を世界一にしたわけです。宇和島の干鰯、あるいは九十九里浜の干鰯が畿内に来て、綿花栽培を見事にする。土地の生産性は世界一です。そのようにして庭のように作ったわけです。  そういう農村景観も都市の景観もまるで園芸、Horticultureだと、それでガーデンシティーと言ったわけです。そのガーデンシティーが北は津軽からずっと南は九州にまで広がってるものですから、ガーデンアイランズと言える。  例えば独立当時は、非常に汚いシンガポールのリー・クァンユーさんがイギリスに留学したときに、ガーデンシティーで都市を作っているのを真似したいということで、彼はシンガポールを作る時にガーデンシティー構想で初めからやって、あの植物園を計画的に作っていったわけです。
 日本をガーデンアイランズにするというのは決して根拠のないものではありません。  それから大学町というのも新しいネーミングです。日本に留学生が来て住むところがないというのはみんな知ってます。留学生を入れようと思っても彼らは来ない、住みにくい、高い、いじめられる。  ところがAPUは初めから住まわせたのです。そのことはいかに重要であるかということは、例えば大学町の典型であるオックスフォードやケンブリッジを見ますと、人が大学に住むことを特権とし、また義務としているということから知られます。それを日本は持ってない。APUができたことによって、これはできるということなんです。  ネーミングはこういう現実から来てるものであって、ネーミングは実態に則して作り上げていくべきものであろう。  「なかよし三海」なんて面白いですね。三海二山構想とか言われてますように、太平洋と瀬戸内とそして日本海を3つ結びつける三海、このような構想も実態に則して見なくてはいけない。豊予という素晴らしいネームをどう活かしていくかというときに、とって付けたような名前は力を持たないと思います。  どの地域も場の力を持っている。風土の力は景観と人間によって作られるものであって、その場の力をどうコンセプトにするか、そういう意味での概念とネーミングが一番大事で、全国に募集してこれはどうですかという形ではダメで自分たちで世界を見ながら考えるというネーミングが大事だと思います。

佐藤
 どうもありがとうございました。  一応、これでひと渡りのご発言いただきました。  まとめは最後にいたしまして、皆様方いまご発言いただきました内容はそれぞれ頭の隅に入れていただきまして2回目の発言ということで、交流連携の方策とその効果ということ。かなり踏み込んで第2回の発言の内容にふれられた方もいらっしゃいますけれども、問題、課題を第1回目の発言として承りましたので、2回目といたしまして交流連携の方策、その効果、これをまた同じ順番で秋月さんの方からご発言いただきたいと思います。
 3回ご発言いただきたいとお願いしておりましたけれども、第1回目の発言でかなり時間を食っちゃってまして、3回目まで行くかどうか、私、保証の限りではございませんので、3回目の実現のための戦略と夢とお願いしておりますけれども、その部分まで若干踏み込んでいただいて結構かと思います。  それで最後に、もし時間ができましたら皆様方に一言ずつ発言をしていただくということで、少しシナリオを変更させていただかなければならない状況になりましたので、秋月さん、よろしくお願いいたします。

秋月
 先ほど豊予海域広域経済圏ということで、今日、これから第1回が開催されるわけですが、この海域にどういう課題があるだろうか、その幾つかをお話申し上げたいと思います。  その第一は先ほど国道九四フェリーの保田社長さんから九四フェリーが非常に伸びてるというお話がございました。  いま大分と四国の間のフェリーは6航路あります。佐伯・宿毛、臼杵・八幡浜、佐賀関・三崎、別府・三崎、別府・八幡浜、そしてダイヤモンドフェリーが別府・松山とあります。  そして48便あって、往復95便が往復しています。  これを利用して1年間に人が130万人、自動車が30万台往来していると言われています。この就航地域拠点がフェリーの乗り降りの単なる拠点だけでいいのか、これだけの人が車が交流しています。この交流地域拠点を地域振興拠点に結び付けていく必要があるんではないか、私は一つの課題ではないかと思います。
 それから第二は、この豊予海域が昔から、この両岸域に住んでる地域住民に対して山の幸海の幸を与えてくれたわけです。それが地域開発によって山が海が変化して古くからの山の幸海の幸が枯渇していないだろうかという問題もあります。  例えば最近この海域でイワシが捕れなくなったが、それはプランクトンの生態系が変わってきたからのようです。豊予海域に流れ込む河川の上流域が開発されて、昔のような雑木林から流れてくる水が変化して、プランクトンの生態が変わったと言われます。  これまでは天然漁業が盛んだったけれども、今は養殖漁業になりつつあります。  これでいいのか、最近環境問題もでて参りました。沿岸域の森林、あるいは樹木が変わってないか、徳川時代には魚付き林という林が海岸のいたるところにあった。その魚付き林の下にイワシがいっぱい泳いでいた、と言います。いま県の方も魚付き林をどんどん作ろうとしており、結構なことです。私この前、宇和島から宿毛の方に行きましたが、あそこは本当に魚付き林が今でも生きてるんです。びっくりしました。  そういう環境問題を含めて言えば、先づ河川の上流域の植林・植栽が必要となっております。これを両岸域の人々でやっていく必要があるんじゃないか。
 三番目はこの沿岸域に歴史・文化・観光施設が非常にたくさんある。先ほど前方後円墳の話をしましたけれども、臼杵の石仏をはじめ、神社・仏閣ですね。そこには建造物・石仏・木彫等、重文クラスのものがたくさんあります。  これらを、例えば観光だけでなくてレクリエーションゾーンと申しますか、交流することにより、現在の子供たちの心の糧として又、人々の心を癒すような形の観交文化ゾーンへの再編成はできないかという課題もあります。  それからもう一つは、先ほどお話ありましたが、四国の高速道は大洲までは来てます。それから宇和島、さらに宿毛につながるX字型高速交通体系が必要とされております。大分側も蒲江までは近い将来貫通の見通しはあるものの、宗太郎峠を越えた延岡までは難しい。こういった九州や四国の循環交通体系の整備も必要です。先ほど知事さんも言いましたが、公共事業というのも地方によっては必要な公共事業があるんだと、まさにその通りだと思います。このあたりを、お互いに共通の課題として、取り組む必要があるんではないか。
 それから先ほどネーミングの問題がありましたけれども、私共はすぐ豊予海域広域経済圏という堅苦しい名前になっちゃうんです。それよりもこれからの若い人がすっとはいれるようなネーミングが必要じゃないか。そういうネーミングの問題もあります。  あるいは皆さん地図を見てご覧なさい。四国の地図、九州の地図、大分県や愛媛県の地図はありますけれども、豊後水道や豊予海峡を中心にして、こちらに愛媛の南予、こちらに大分県の東と、これを挟んだ両方の記載の地図は見かけません。こういう地図を我々の懇談会の中で、あるいは推進協議会の中で作ることによって、やはり豊予海峡域は古くからこの海の道を通じて、祖先の人々は生活を営み生きてきたんだ、と納得できます。例えば観光にしても宇和島のお城があります。臼杵には石仏があります。又、三崎と佐賀関には男女の権現さんがあるそうです。こういうルートを発掘して新しいメニューを作りますと、一泊二日のコースになるんです。土日のコースですよ。こういった新しい親交の再発見をこの海域を共有する我々住む人々の手によって作っていこうじゃありませんか。  私は21世紀に、あるいはこれからの1000年紀になるかもしれませんけれども、今まさに2001年ですから、こういったことをお互いに考えていきたいと思います。
 又、西瀬戸経済圏を見ますと、先ほどクラスターというお話をしましたけれども、全国的に見るところの西南日本は大きな日本の産業拠点であります。  例えば産業をみますと一つには自動車産業です。マツダがあります。それからトヨタがあります。日産があります。大分の中津に平成19年にはダイハツが立地します。  まさにこの地帯は自動車の世界における生産拠点になるんです。又、一つは造船拠点です。瀬戸内海は造船所がたくさんあります。古くから優れた造船技術があります。さらには架橋拠点です。現在、本四架橋は3本完成しました。これからの21世紀は豊予海峡大橋です。この大橋は3000m間幅の橋梁が必要と言われます。明石大橋は2000mです。これから3000mの橋梁に挑戦する技術が完成し架橋しますと、この瀬戸内海はまさに世界の長大橋梁の宝庫になる。するとこの地域に世界規模の橋梁技術研究所が出現するでしょう。これを支える製鉄所も存在しています。こういった技術的な問題、あるいは産業の問題、そういったことについて未来に向かってやっていこうではありませんか。
 同時に先ほど川勝先生が言われましたけれども、島嶼ですね。昔から日本は花綵(かさい)列島、花の形をした花綵列島と言われていたんですね。本当にそういったガーデンアイランドというか、そのガーデンづくりの第一に小さなクラスターとして、この豊後水道域の醸成がなることを期待します。  私はやはりこういった豊予海峡域の地域振興なりいろいろなものを生み出すことが、ひいては幾つかの房となって、西南日本の大きい地域づくり、そして豊予大橋の実現を導くことを期待しています。

佐藤
 どうもありがとうございました。
 何度も出て来ますけれども、公共事業に対する批判あるんだけれども、道路整備が果たす経済的役割、これは我々は考えとかなきゃいけない。どうも道路を作ると金がかかると、金がかかる、金がかかるということを耳にするわけですけれども、そういうことを言わせないような地域の連携を構築していかなきゃいけない。
 行政サービスも道路を作ることによって非常に効率的に運営できるという試算もありまして、我々はもっとその部分を主張していなかければいけないんじゃないかなと思いました。
 では、その次に、保田さんお願いいたします。

保田
 いま秋月さんの方から大分県と愛媛県の車30万台とおっしゃいましたけれども、四国の運輸局のデータでこれは九州と四国の間の交流の車は約60万台と、多分、だから降車だけを言われているのかなと、逆に渡って行く車もあるということだと思うんですけれども。  ただ、愛媛県、大分県隣接する県で通行量が60万台しかないのは異常に少ないわけです。大分県と宮崎県は陸続きで、非常に不便だと言われながらも国道10号線、このごろ326もできましたけれども、年間300万台以上の交流があると思うんです。  60万台しかないということはフェリー業者の怠慢だと、非常に不便だから少ないのじゃないのかと考えてるわけです。  そこで2月1日から1時間ピッチ16便をやりましたし、宇和島さんが去年の10月から臼杵・八幡浜航路を3便増やして、臼杵・八幡浜を14便にした。どちらも非常に便利になったわけです。この便利になることによって需要が増えてくると、当社についていえば、もう、4、5年でまた満杯になると考えてるわけです。
 現在、もし豊予海峡に橋があったとしたら15分か20分で渡ってこれるわけです。そうしますと、いま関門海峡を渡ってる車が800万台から1000万台近いとすれば3分の1ぐらいは四国経由で九州へ入ってくるのではないかと考えております。  なぜならば、九州から東京大阪へ行くトラックは殆ど1台もと言っていいほど豊予海峡を通ってないわけです。ところが、もう徳島道がつながりました。そうすると大阪から八幡浜なり三崎までは中国道、山陽道を通るよりもずっと近道なわけです。  したがって大分、宮崎、熊本、鹿児島へは四国経由が絶対便利なわけです。
 便利であるのに全然来てないということは海峡がフェリーであるからではないのかと考えております。それで少しでも便利にしていきたいと思っているわけです。
 現在、鳥取とか島根東部、中国でも岡山等は九州へ来るのに四国経由が非常に便利なわけです。現に当社の需要を見てても、ずいぶん来ていただいてるわけです。特に山口、広島、岡山、あるいは島根、鳥取については循環をされてる。しまなみ海道を渡って豊予海峡を渡って来て、帰りは北大道路から関門を通って帰るというような、あるいは逆のコース、そういう利用が多くなってきております。  まさに瀬戸内経済圏がしまなみ海道と瀬戸大橋によって一体化してきているのではないか、これが東九州自動車道が宮崎までつながり、また高規格道路が大洲から八幡浜までつながることができれば、さらに一段とこの豊予海峡の利用が急速に増えていくのではないか、早くそれらの道路が整備されることを願っております。以上です。

佐藤
 どうもありがとうございました。
 非常に、重要なご指摘だったと思います。よく言われるんですけれども、後でちょっとこれ鳥津さんの方にもご質問したいんですけれども、豊予が全国区じゃないんじゃないかという話がございまして、私は豊予はまだ完全な形としては九州区にもなってないんじゃないかという問題意識も持ってます。
 保田さんのご指摘では大分と宮崎と鹿児島に、中国地方、あるいは近畿の方から行く場合は四国経由で行くのが一番近いと、逆に言いますと宮崎とか鹿児島が、近畿地方、中国地方に行く場合は豊予を通っていくのが一番近いということになるわけでございます。  そういう地域の方々も豊予についての認識をもっと深めてもらう必要があるんじゃないかなという印象を持っているわけでございます。
 それでは次に鳥津さんにお願いしたいのは、どうも全国区になってないんじゃないかということのご指摘ございました。この点どうやって全国区に持っていけるのかとか、太平洋新国土軸は伊勢湾口から豊予までという、もちろん、それから南の方ありますけれども、その中で手を携えていかなきゃいけないということはあるんですけれども、逆に言えば豊予はもっと頑張って他の地域を出し抜いていくというぐらいの気概もないといけないと思ってるんです。  その点で鳥津さん、よろしくお願いいたします。

鳥津
 辛口でまた怒られそうですけれども、いろいろと言ってみたいと思います。  実は、全国に情報発信するという部分において、いま若者の間ではインターネットホームページ、メール等々そういうものが大変活用されているのではないかということがあります。  先週、川勝先生が八幡浜の方にこられて、海洋交流圏のシンポジウムで講演されて帰られました。これも国土交通省と水産庁の合作によりますシンポジウムだったわけです。そのホームページを見に行きましたが、とても見るに耐えないようなホームページで、三回クリックしてもう消しちゃったみたいなホームページだったんですけれど、今回この豊予海峡ルートの協議会のホームページを先日のぞかせてもらいましたけれども、大変素晴らしいできのいい、大変しなやかで、わかりやすいホームページではないかなと、今まで見た中ではこういう固い名前でありながら、大変やさしく説明してあって、見やすく、そして整理されているホームページではないかと思いました。しかし残念ながらまずホームページアドレスが複雑なのと、豊予海峡ルート推進協議会ですか、その名前の難しさ、そういう部分がネックになってるのではないかなという気がします。  いまドメインとか簡単なのを取れますんでね。そういう部分、ネーミングを考えられて、そういう部分を簡単にしてもらって誰でもアクセスできるようなホームページを目指していってもらえば発信するのにもちょっと楽なのではないかなと思っております。
 例えば、いまコマーシャルでキリンが乾杯ラガーというコマーシャルを流しておりますけれども、その下にホームページでwww.kanpailager.comという文字を入れております、それをアドレスに入力しますと、ホームページが簡単に立ち上がって、そこから壁紙とかスクリーンセーバーとか、そういう部分が抜け出してコマーシャルと、そういうプレゼント的なものが一石二鳥で取り出せるという時代になっております。  ぜひ豊予海峡ルートもそういう部分でもう一工夫されまして、わかりやすいメディアへの露出を考えていっていただけたら若者たちもついて行けるのではないかと思っております。
 それとさっき言い忘れたなんですけど、「列島がキスする。いま豊予海峡から。」、私これ知っておったんですけれども、長すぎるなというのを言い忘れました。  もうちょっと短くしたのがあればいいなと思った次第でございます。

佐藤
 ありがとうございました。  それでは、小谷さん、よろしくお願いいたします。

小谷
 地域連携といいますと基本的なのは長野県が言ってます、高度医療ネットワークということではないかと思うんですね。  あの伊那地方の高速道路を使って、どこからでも高度な医療が受けられるようにという考え方なんです。  例えば大分市の中央病院は癌の専門だぞと、そうしますと、別府の病院はうちは脳梗塞の専門だぞというふうに、それぞれの公立の大きな病院が専門を分けてそれを高速道路を使って活用しあう。そうしますと大学病院でなきゃ受けられないような医療がどんな辺鄙なところに居ても受けられるのが基本だろうと思っております。
 そういう意味では、それは高速道路があるからできることであると思うんですね。  それからもう一つは中国四国の交流連携がなぜ進んできたかということですが、これも高速道路プラス瀬戸大橋があったということであります。  この二つを抜きにしてはとうてい考えられないと思うんです。  先日、加賀飛騨連携シンポジウムがございまして、私も話をしに来いということで話をしてきたんであります。  その後のパネルディスカッションに出ておりましたら、やっぱりこんなメンバーが出てくるんですね。ところがそこには環境破壊になるからトンネルは反対だという人がいました。もし加賀と飛騨をトンネルで抜いちゃったら、ものすごく便利なことになってしまう。それはどれだけ観光的に素晴らしい連携になるか、そんなことは誰が考えてもわかることなんですけれども、環境上問題があるなんて、そんなもの穴掘ってるわけですから、潜ってるんだからないとは思うし、もしあるとこだったら外せばいいんですけれども、反対だっていう人が一人いたんですね。
 一人や、二人反対の方がいるのは当然のことなんですけれども、青年会議所の理事長までそうだ反対だと言い出した。それで観光協会の副会長さんまで、そうだ反対だ。そうしたら何のためのシンポジウムなんだって、私はびっくりしたことがあるんであります。  最後に私が言ったのは、そんなに皆さん反対なら環境問題は大事なことだから、そこのトンネルやめましょうね。その予算は中国、四国、九州は全然反対じゃないから豊予海峡大橋に使いましょうねって言って帰ってきたっていうことがあります。  いらないところはどんどんいらないと言ってもらって、その予算は全部我が中国、四国、九州にもらったらいいんじゃないかなんていうことを思ってるわけであります。  それから団体間交流ということが、連携意識を盛り上げるために必要なんではないか。つまり一部の経済界、産学官の偉い方ばっかりが集まって、この橋は必要なんだっていっても、普通の人たちがいらないよって言ったら、また後で反対が起きたりして大変なことになっちゃう。  今日もちょっと残念に思いますのが、何で女性がこんなに少ないんだろう。望遠鏡で探さなきゃいないくらい少ないなと、女性のパワーがこれからは必要なんではないか、そんなことを思うわけであります。
 さて、ホームページの話が出たわけでございますけれども、ホームページ、インターネットといいますと、ホームページか、あるいはメールという使い方があると思います。両方大切なわけでありますけれども、インターネットで大事なのは必要な情報を確実に捉えることができるという、どうたどりつけるかということが一番大事ではないか、それでいろんなCGIなんかを使った、大変立派なホームページを皆さん目指されるんですけれども、あんなのじっと見てて、最初は感動するんですけれども、二度目はそんなの早くやめてよと、僕の欲しい情報だけが欲しいんだということになっちゃう。あんまり凝らない方がいい、シンプルイズビューティフルだと思うのが一点と、それからメールの使い方、これが大事なんじゃないかと思うんですね。  人と人との交流、それからキーマンと、キーマンの連携が一番大事ではないか。  例えば明治維新がどうしてできたか、それは吉田松陰がいた。あるいは高杉晋作がいた。彼らがあの歩いていかなきゃいけない徒歩の時代にちゃんと交流をしていたわけであります。  交流連携をするのに一番大事な人と人がどう結びついているか、そしてこんなことをやろうといった時には、やろうということになっちゃうかどうかによるんじゃないか。
 そういう意味でキーマン、例えば高知のキーマンがいる。あるいは愛媛のキーマンがいる。そして鳥取のキーマンがいる。これがメール上で常に連絡を取り合っていたら、何かをやろうという時に簡単にわっと行ける。大分県のキーマンと愛媛県のキーマンが、こういう理事長さんが入ってメールのやりとりをしてる。何かやろうという時に、この間お会いしましたね、1年前でしたね。そうしたらまた名刺を出して何かやりましょうかと言っても何も起こるわけがない。  ところが毎日のようにメールをやりとりしてると、毎日会ってるわけですから、そうしますと何かやろう。それはいいねということになって、わっと火が着く可能性は十分あります。  これはメーリングリストというんですけれども、そういうメーリングリストは電子会議室のようなものですけれども、それで交流を進めていくのが時間や距離を超えるうえで、一番私はいいのではないかと思っているのであります。
 それから、団体間交流ということにもう一度帰るんですが、秋月さんが大分県の経済同友会の代表幹事という大変偉い方なんでありますけれども、私はこの経済同友会とか、青年会議所が交流連携に加わるのは本当に素晴らしいことだと思っております。  日本海国土軸を我々が推進してきたときに、何をやったかと言いますと、私も鳥取県経済同友会の常任幹事なんでありますけれども、日本海国土軸で山口から青森までの経済同友会を全部つないじゃおうと、これで声を上げちゃおうと思ったら、なんと青森がない、それから新潟に経済同友会がない。これじゃ何もならないというので、青森や新潟の場合は知事にお願いしてすぐ作ってねって言ったら、本当にすぐできちゃって、それから連携ができたということがございました。  それから中四国連携の場合もそうでありまして、高知経済同友会だけがなかったんです。それまで鳥取、島根、岡山、香川の経済同友会で交流をしてたんですけれども、どうしても高知を入れなきゃ格好がつかないというんで作ってもらった。そういう連携が取れます。
 経済同友会の場合の連携の中で一番効果があったのが、たまたま岡山の経済同友会の代表幹事が山陽新聞の社長さんだったもんでありますから、情報交流が一番大事なんだと叫んでいましたら、そうだねということになっちゃった。何を始めたかと言いますと地元紙がみんな連携をして、毎週各地の記事を出し始めたんです。この情報の流れの影響力が大きかったと思います。
 人は情報のあるところに行ってみたくなる。そうした情報の活用という意味でも団体間交流などは、私は必要ではないかと思っております。  もう一つは北ロータリー連携軸ということをやってる。高知北と鳥取北のロータリークラブを一緒に連携しちゃおう。仲良しになっちゃおう。それに北クラブという名前の付くロータリークラブは全部入れちゃえというので、これを5年前に始めまして、この2月、40周年を記念して、併せて5周年を記念してシンポジウムをやったんです。  何をやったかといいますと、高知の市長と岡山の市長と、鳥取県の知事を引っ張り出して、鳥取からは全盲、目の全く見えない障害者。それから筋ジストロフィーの女性、この障害者の皆さんでパネルディスカッションをやった。
 そして鳥取の女子高校生がボランティア活動として福祉マップを作ってるんです。その地図を高知でも岡山でも作ってくださいね、そしてその地図を障害者の皆さんが携えて、それで連携をしましょうという筋書きでうまくいったわけであります。  それを進める中でも役に立ったのがメーリングリスト、電子会議室であります。メールをポンとやると高知でも岡山でも鳥取でもすぐにみんなが見ちゃうわけでありますから情報が共有化ができる。  一体これは誰かということがわかって、その企画段階からみんなが一緒になって、参加して相談していくという形になってる。これは大変効果がある。  それからもう一つはメールがどれだけ効果があるかというと、先ほどお話した全盲の障害者です。目の全く見えない人が我々と交流をするのは、インターネットのメールが一番なんです。このパソコンのメールが一番なんです。
 これは皆さんびっくりされると思うんですけれども、目の見えない人にとって、パソコンで入ってる文字は音になって聞こえるんです。キーボードを指で打たなきゃいけません。それはキーボードを覚えてもらわなきゃいけなんですけれども、その時にも「あ」を打ったら、「あ」といま音が出てくるんです。この普通のパソコンが出るんです。そうなりますと、昔、視覚障害者はコンサイスの辞典を1冊、それを点字になおしますと、こんな分厚いA4版の本が100冊になっちゃうんです。ところがいま、たったCDーROM1枚で、カシャと入れると音で聞こえるんです。そういう時代になった。それがバリアフリーにつながる。そして時間も距離も超える。ですから、どうかメーリングリスト等のご活用で、大分、そして愛媛の交流連携が始まることを祈るばかりであります。以上でございます。

佐藤
 どうもありがとうございました。
 徐々に終わりの時間に近付いてきているわけですけれども、ここで川勝先生のコメントをいただきたいんですが、先ほどGDP主義の克服ということで、お話がございました。いま皆さん方にお話いただいたようなことは地域のいろいろな資源を活用する、あるいは人的な交流を深めてGDPで語れない価値を生み出していこうということに集約できるかなという感じがしてるですけれども、そういう受け取り方で本当にいいのかどうかわかりませんけど、川勝先生、この地域のいろんなお話をお聞きになってGDPの克服はどんなことでやれるのか、あるいはそれに豊予ルートが絡むのかどうか、その辺をおうかがいしたいんですが。

川勝
 いま私達は愛媛と大分の間のことを議論してますけれども、昨年の秋に三重県でシンポジウムがあったんです。
 三重の人が最も望んでいるのが四国と紀州、及び九州と四国が同時に結ばれると言うことでした。ラブコールは思いもかけぬ三重地域からある。しかもそのシンポジウムに大分の方も来てられていました。  ですから、これは歴史文化の道だと、つくづく思うのです。四国は何か大きいように思いますけれども、四国は岩手県の大きさでしかないわけです。東北がみな面積が大きな県なので、岩手は小さく見えます。四国と九州を結ぶ、四国と和歌山を結ぶというのは青森と岩手を結ぶ、また岩手と宮城を結ぶと、あるいは四国と中国を結ぶというのは秋田と岩手を結ぶということぐらいでしかないのです。豊予海峡を遠いと思うのは、地域が自分たちの個性を明確に持っているからです。  その違いが交流をするメリットにもなってくるんです。
 九州と四国、四国と紀州とが結ぶことは岩手の北にある青森、西にある秋田。南にある宮城がネットワーク化する程度のことだということです。そのような器量を持ったらどうか。  保田さんが距離のことを言われました。大分から下関を媒介にして山陽道を通って大阪に行けば650キロある。ところが仮に豊予海峡を通って松山経由で明石を渡って大阪に行けば、470キロですから180キロの差が出てきます。
 180キロとなりますと、これはどんなに飛ばしても2時間、ないし3時間4時間の違いがあるわけです。ですから圧倒的に違います。全く違うルートができます。それは四国の位置付けを全く変えるでしょう。また大分の位置付けを全く変えてくると思います。  そのような意味でこれは十分に交流が増える。そうすると経済効果が出てくる。単体で大分県はどれだけだ、愛媛県はどれだけだというような見方もできますが、一方で人が交流すると、それぞれのところで消費をいたせねばなりません。人が動けば経済的な価値が生まれてくるわけです。  交流人口を考えますならば、いま日本の人口は2007年をピークにして、2020年には65歳以上の人たちが4分の1を占めるということであります。  ところが2020年に交流人口がどれぐらいになるか、例えば世界はいま交流人口6億です。それが2020年になりますと16億です。ですから、小さな町でも交流人口が増えますと非常に活発になります。例えば私いま軽井沢高原に住んでおります。1万6000人です。ところが年間700万人来ます。そうすると、軽井沢町というのは1万6000人の町で税収がこれだけだという話と、その700万人の人が来るという時の経済的な意味、あるいは地域の持っている意味というのは全く違ってきます。  そのような意味で我々は交流をし、ネットワークを作るということの重要性を、これからの絶対的人口の減少ということと、併せて考えねばならない。
 交流をするためのインフラ整備というのは、それぞれのためになるに違いないのであります。  誰が主役になるかと、これはいま小谷さんが言われましたとおり、地域の住民です。司会者の佐藤先生が言われました、地方というのは嫌だと言われたその通りです。中央はこれから小さくなっていく。これ全体の流れですから、中央に対して地方というよりも、中心が小さくなるので、それぞれ地域間の関係ができる、地域間競争、地域間関係ができてくる。  その競争をより活発にするためにはネットワークがいります。地域間競争というのはGDP競争じゃなくて魅力の競争にもなるでしょう。そういう魅力の競争、私のところは素晴らしい。あなたのところは素晴らしい、だから見に行きたいと。このような交流を地域の住民が作らねばならない。地域の住民は男だけでなくて女がいる、子供がいるということですから、子供の交流のようなことも考えていいでしょう。
 修学旅行は小学校の終わりの時、中学校の終わりの時に1回だけ行くというよりも、授業とか教育というのも地域間でやってみる。違う地域を知ることによって己の地域に対する自覚を高める。文部省の教育行政からも自立をして、自ら教科書を作り、自らの信念でもって自分たちの血のつながってるもの、あるいは同じ地域の住民のものに教えていくということをやって見る。地域間で隣の地域、あるいは海を越えた地域、山の地域、海の地域、島の地域と交流できるに違いない。しかしその交流も安全な道がなければいけないとなりますと、改めてインフラストラクチャーの整備になってくるわけです。
 インフラストラクチャーの整備は、通常公共投資でなされるというような思いこみがあります。けれども、今は社会資本の整備というふうに言い換えられています。社会資本の整備は主体が民間であってもよし、個人であってもよし、つまり公共自治体と民間と住民が一体になって、いろんなことができるはずです。住民が参加すれば、自ら負担をしてくれるということが入ってまいります。  日本のGDP自体は世界で第二位ですし、さらにまた貯蓄も十分にある、1300兆円もあるということであります。しかもそれは大体50代以上の人たちが持っている。何とか子供たちに、それを有意義に使いたいというボランタリーの精神は山とあるんですけれども、使い道がわからないということになってます。それが自分の目に見えるところで使えるとなれば、元気になってくると思うんです。  そういう地域の自立の精神、プライドがあるかどうかがポイントになってるだろう。  それを私は愛媛にもなかんづく大分なんかには強烈な形で出てきていると思います。  ですからこれは呼ぶための装置と、見せるための装置、また同時に相手を見に行くための装置という意味で、豊予海峡に橋を通す必要が、海に架かる陸路、世界一美しい、世界一の技術によって作られる橋を作って、環瀬戸内ガーデンアイランズへのエントランスと橋にわかるようにすればよい。

佐藤
 どうもありがとうございました。  まとめに近いご発言をいただきまして本当にありがとうございました。  いま、あと5分弱時間がございます。簡単に私の方でまとめさせていただきまして終わりにさせていただきたいと思います。  
 
本日はこの21世紀の新たな豊予海峡交流圏の形成を目指してということで、4人のパネリストそれから川勝先生にはコメンテーターということでお話いただきました。  問題点と課題、それから交流連携の方策、さらに夢に近い部分まで語っていただきました。  幾つかのポイントがございます。まず問題課題といたしまして、秋月さんの方から地域経済の偏在の問題がある。地域格差がある。これをどう克服するのかという大きな課題があるんだということでございます。
 ただ一方でGDP主義の克服、経済一本槍でなかなか計れない尺度がありますよということを川勝先生の方からご指摘いただきました。  そして地域がこの豊予の地域は海を介して歴史的には非常なつながりがあったんだと、それが現在かなり細くなってるという問題もご指摘ございました。  ただ、交流の要求はかなりあるわけで、保田さんの方からはフェリーの便数を増加すると、だんだん交流が増えてくるというご指摘もございました。  したがって、連携するための豊予のルートを、なんらかの形でといいますか、これは橋が一番いいんだという話ですけれども、作っていかなきゃいけないというご指摘でございます。
 それから四国の方はすでにエックスハイウェイという形で整備がかなり進んでおります。ただご祝儀効果といいますか、当初はいいんだけれども、それが継続的に持続的に効果を生みだしていってないんじゃないかというご指摘ございました。これはかなり重く受け止めなきゃいけないんじゃないかと思います。  豊予ルートは全国区になっていない、私は先ほど九州区にもなってないんじゃないかと申しましたけれども、宮崎とか、あるいは熊本とか鹿児島ですね。宮崎は豊予海峡ルートのこの協議会には入っておりますけれども、もっと積極的に参加していただくということを私たちは考えていかなきゃいけないんじゃないかと思います。  それから、この地域の特徴。先ほど小谷さんの方から、連携軸は温度差があるんだ、しかしこれは逆にいい効果を生むんだというお話がございました。  我々は地域の魅力をずっと磨き続けていくという努力をしていなきゃいけない。
 それがあって初めて連携のエネルギーになってくるというご指摘でございます。  先ほど東北地方のトンネルの話がございました。つなぐことによってドラスティックな展開ができる。今まで及びも付かなかった、考えが及ばなかったような効果がドラスティックに出てくる可能性があるという話でございます。  それから連携の方策ということですけれども、先ほど秋月会長の方から商工会議所の方で「豊予海域広域経済圏推進懇談会」の発会式がこの後5時から行われる予定になってるという報告がございました。
 また、小谷さんの方から団体内の交流よりも団体間の交流という形で、もっと幅広く交流の輪を広げていった方がいいんじゃないかというご指摘もございました。  それから現在、豊予の部分で、かなりの交流のボリュームがある、乗り降りの拠点になってるんだけれども、これをもっと別な活性化の方策としてグレードアップする必要があるんじゃないかというご指摘もございました。  それから道路整備が果たす経済的な役割、これをもっと我々は声高に主張していいんじゃないかということでございます。
 これも小谷さんのお話でございますけれども、高度医療ネットワークが高速道路を介することによって非常に緊密なネットワークとして構築できるということでございます。  医療に限らず、文化だとか、行政だとか、そういう幅広い公共サービスを非常に効率化する可能性がある。これは今日はあまりご指摘ございませんでしたけれども、地方分権との絡みがあるんじゃないかなと思っています。地方分権が進むためにはネットワークを整備することが必要であると感じました。  もう時間も過ぎておりますので項目だけ申しますと、地元紙の活用だとか、あるいはキーパーソンとキーパーソンのITを介した連携によります情報交流。これも大事だ、あるいはホームページも大事ですよということがございました。
 最後に川勝先生の方からのご指摘でございます。  地域自立の精神を我々は養っていなきゃいけない。それによって交流のインセンティブが生まれてくる。豊予地域はガーデンアイランズへのエントランスになるんじゃないかという非常に高い立場からのご指摘でございました。
 21世紀の新たな豊予海峡交流圏の形成を目指してということで2時間弱にわたりましてご議論いただきました。これが豊予海峡ルートを一歩も二歩も前進することができるようなパネルディスカッションになるように、今から行動を開始しなければならないんじゃないかということで私のまとめとさせていただきます。  長時間ご静聴ありがとうございました。