おおいた木造建築ファイル 000
普光寺護摩堂 岩壁に立つ護摩堂
![]() |
護摩堂は左の大地に建立されていたが何回か建直され6代中川久忠公が享保9年に建立したもの。 明治36年に現在の位置にそのまま移転した。 普光寺は6世紀の頃、日本書紀に書かれてある敏達天皇(びたつ)の時代に日羅(にちら)という百済から渡って来た僧が開いたと伝えられる古い寺である。 印象深い情景を演出している。全国でも珍しい寺境である。 ただし最初からここに造られたのではなく、明治36年に現在地に移築されたものである。 1892年(昭和57年)快い見物をして頂こうと、磨崖仏護持寺会を結成し、仏像周辺の清掃と、紫陽花(あじさい)の植樹を始めた。今では、紫陽花寺として有名である。 環境とよく似合った古風な寺である。 現在修復工事中(懸の基礎部分がずれてきたため)2003年護摩堂懸の修復工事終了したが、まだ舞台のほうが残っていて立ち入り禁止。 |
DATE | ![]() ![]() ![]() |
|
町指定有形文化財 所在地/豊後大野市朝地町上尾塚1225 設計者/大分住宅研究室(修復) 施工者/1724年棟札:大工 河野平七 甚左衛門 矢七 伊平次 小右衛門 源助 助出亟 甚太 惣右ヱ門 竣工/1724年(享保9年)竣工。1903年(明治36年)移築再建。 建物用途/寺院の護摩 構造規模/正面三間 側面三間 宝形造り 厚板葺 懸造(かけづくり) |
※このページは 大分大学 工学部 福祉環境工学科建築コース 木質構造研究室 の製作です
※記事・写真の無断転載・使用を禁じます ※2004年11月22日取材