研究目的

研究背景

 近年、木材利用の重要性が改めて認識されるようになっているが、国産材利用は低迷し続けている。低迷し続ける理由として、国産材は運搬にコストがかかり、卸価格が高くなることが考えられる。それにより安価な外国産材が多く利用される結果を招いている。 また、学校などの大型建築物の多くが鉄筋コンクリート造で建てられ、住宅も軽量鉄骨構造の建物が増えていることで木材の需要自体もが低迷していることも原因としてあげられる。
 そのため山間部では人工林の手入れが行き届かなくなり、その結果、若い木が育たなくなり、老木は二酸化炭素の吸収をしなくなる。このようなことから、地球温暖化に拍車をかけ地球環境に悪影響を及ぼしている。大分県の山間部地域は、林業を経済の基盤としている地域も多く、地域経済への影響はさらに深刻である。
 このような状況の中、国や地方自治体では国産材の利用を促進するため、学校・道の駅といった大型の公共建築物を木造で建設されるようになり、民間による木造建築の建設も促している。また建築支部会が独自に建築賞を設けるなど、建築に携わっている人々の活動も盛んになってきている。それらの建物の中には、体育館や三階建ての集合住宅などこれまでに一般的な「木造建築」では考えられない構造をした建物、ユニークな意匠を施している建物が増加してきている。


 大分県の歴史的建築物については、731年、宇佐神宮が官弊社となり天台仏教と結びつき、最盛期には65箇所もの寺が建立するほど、県北部に多くの寺院が集まっていた。
 
また1593年、大友義統が朝鮮出兵の際に不手際をおこしたことにより、江戸時代から明治維新にかけて小藩が分立し、最も多いときには8藩7領にまでなった。すなわち大分県内(豊後地域)に、7つもの城と城下町(杵築・日出・大分・森・岡・佐伯・臼杵)が存在していたことになり、それぞれに歴史的な建築物が残っている。
 
さらに近代、大分県内に数多く存在する温泉地の中でも別府温泉では、時の有力者達により競って華麗な別荘建築が造られた。
 大分県はこれらの歴史的背景から、時代ごと、地域ごとに特色ある歴史的建築物が残っている。

 

現状

 しかし現状では、これら木造建築の情報を入手することは困難である。大分県内の木造建築物についての文献は少なく、近年手軽な情報入手手段としての地位を確立したインターネットの場合でも、文化財に登録されている建築物を検索にかけても数件しかヒットしない。ましてその他の木造建築物に対しては、まったく情報が手に入れられないことが多いという状況である。

 

目的

 大分県内の木造建築についての情報をインターネット上で公開することで、一般市民や建築を学ぶ学生にたいして、木造建築への関心・理解を深め、そこから、木造建築の保存と振興を目指します