● 行事( 宇佐神宮 )とは・・・

 宇佐神宮の神様の大きな行事は、1年に放生会と行幸会の2つが行われる。

 放生会は法蓮が始めたと伝えられている。この行事は全てお坊さんが般若心経をあげてお祀りすることである。もともと放生会というお祭りは、隼人の乱の時の祟りが起こらないようにお祀りする行事である。隼人の乱とは養老4年( 720 )〜( 723 )に起こった。そしてその隼人の霊を慰めるために、「 放生会をすべし。 」とお告げが下り、天平16年( 744 )に放生会の祭典が執り行われた。

 行幸会というのは巡行( 仏教でいえば、巡礼のこと。 )のことで、いわゆる八幡神が彦山周辺のお宮から旅をして、薦神社の方に来て、そこから今度は宇佐の方に来て、宇佐から今度は国東の方に広がっていく。そして最終的には奈多八幡に来て、瀬戸内海に出て行く。だからそういったことを考えたら、結局山の神が海の神と合体するということだろう。

 薦神社では、ご神体として『 薦枕 』をつくる。なぜご神体になるかというと、あの池の薦を刈り取って、それで八幡神の枕をつくるからである。そしてそれを持って、八幡神に縁の在るお宮の八ヶ所巡りを行い、その1番終点が奈多八幡である。奈多八幡のご神体である八幡神は始め、人口のご神体だった。普通、神様は見えないものなので、神様に像はなかった。だが仏教が入ってきてから、神様も仏像のような像をつくるようになり、それを神像として祀っている。

  

 

※このページは 大分大学 工学部 福祉環境工学科建築コース 木質構造研究室 の製作です

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