本地仏もしくは本地垂迹説で、神様を仏で例えたらどういった仏かというのがどの神様にもある。つまり神様と仏様を対応づけるわけだ。そして八幡神を仏教でいう仏としていうならばどういう仏かといえば阿弥陀如来にあたる。阿弥陀如来といえば、平安時代のいわゆる浄土信仰からきている。そして阿弥陀如来をお祀りしている、宇佐で1番格の高いお寺が善光寺である。それからさらに時代が下がると今度は西本願寺や東本願寺などもつくられた。いちよう信州も法然からの流れで親鸞などあたりまでずっと来ていて、そしてその流れが江戸時代の終わりまで続いていた。それを明治政府が神仏分離で分かれさせたのである。
本地垂迹というのは、本来の姿は仏教の仏、その仮の姿が神道の神、という意味である。つまり、本地仏というのは、神道の神様と仏教の仏様は同体だという理論においての、神様の本来の姿であるところの神様ということだ。
八幡神というのは神仏というけれど、やはり仏神である。ようするに神様というのは形がないのである。しかし仏像と違って、神像で形を現した時にはほとんどが僧侶の服装であり、報身仏( 阿弥陀如来等 )は似てくる。応神天皇はきちんと袈裟を着ているのでお坊さんである。だから神像を見たら、仏像と同じで、どの神像もいわゆるお坊さんのスタイルになっている。奈多八幡に行っても、宇佐八幡に行っても、それから奈良の休ヶ岡八幡宮という薬師寺にある八幡神もそうなっている。みんなお坊さんだから、やはり仏教の方をベースにしていて、それを神道がうまく利用して全国に広めた。そうでないと宇佐に天台宗・真言宗だけでなくあれほどいろいろな宗教はないだろう。
結局本地仏( 本来の姿である仏 )で、宇佐神宮を仏で現したら、阿弥陀如来にあたる。そして阿弥陀如来をお祀りしているのは信州である。西本願寺と東本願寺という、信州の両別院がなぜ宇佐にあるかということである。それは八幡神が阿弥陀如来にあたるから、阿弥陀如来をお祀りするということで八幡神を祀っているのと同じことになる。だから結局出発は道教で、それは彦山で、彦山から院内( 院内というのは安心院の院の内だから )を通って、そして院内で生まれたお坊さんが法蓮である。法蓮というお坊さんが宇佐の神宮寺=弥勒寺( 今はもう礎石しかないけれどお寺の中にあるお寺のこと )の初代の別当だった。普通は神官というけれど、宇佐の場合は別当という。法蓮は用明天皇の病気を治した人である。奈良に行ったら法蓮町という町があるが、そういう名前の付いた町が奈良の町の中にあるということは、ずいぶん奈良で知られていたのだろうと考えられる。また、彦山の中興の祖として仰がれている。
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