● 大分県の小藩とは・・・

 大在から佐賀関までが肥後藩で、そこから南に行くと臼杵藩になる。坂ノ市は肥後藩だが、正確には半分くらい臼杵藩になっている。特にあの辺りは肥後藩、延岡藩、臼杵藩、府内藩が集まっていた。それから野津原は肥後藩である。熊本から参勤交代で来た時に自分の藩の領土を通っていくという形が取られていた。後藤家があるのは岡藩である( 竹田藩と呼ばれることもあるが、岡藩が正しい )。だから鶴崎の三佐は岡藩である。あの狭いところに九州のさまざまな藩が入っている。豊後高田は島原藩である。中津はどちらかといえば、細川忠興が来ているので肥後藩であったり、豊前であったりしたようだ。ちなみに黒田長政は宇佐神宮の造営をしたことでも知られる。

 

 

※このページは 大分大学 工学部 福祉環境工学科建築コース 木質構造研究室 の製作です

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