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当研究室での研究活動にスムーズに参加するための準備運動(その1)

研究室での研究およびゼミ参加のための心構えに関する本を紹介します(専門の入門書はゼミで)。

当研究室は設立当初から「研究は格闘技(できれば集団球技であるラグビー、2002のワールドカップ以降はサッカー)」としてきました。この姿勢は紹介している本の内容と相通じています(下記抜粋p.134参照)。2000年度卒論生は「いきなり荒海へ手漕ぎボートで出されたような、、」と表現しました。彼のセンスはきっと正しい=>研究の荒海で溺れないために、タックルされて泣く前に、自分はリボンの舞で笑いを取りたいだけだったのになどとこぼす前に、各自、この本を読んでおくこと:

   遥 洋子著、「東大で上野千鶴子にケンカを学ぶ」筑摩書房

(大分大学生協書籍部にあります(きっと)。¥1,400、まずは下の抜粋を読むこと)


<<コメント>>

*この本は読書家である O 九州女子大教授から「とても興味深い。あなた読んだ?」と言われたものです。本屋で手にし、直ぐに購入しました。

*この本を読み終えて「結構、面白い」と感じた人なら、おそらく準備運動はできています。それでは早速、レジュメの海に入りましょう?

*上記の「いきなり荒海へ、、」と言った卒論生も、既に卒論発表と建築学会での研究発表を立派にこなし、大海原を走り廻っています(時に、ジョーズと化しています?)。今後も、さらに大きな波に向かっていくものと期待しています(何度か難破もするでしょうけど)。

*また、この本では社会学系の研究について記してありますが、工学系の当研究室とは少し違う点もあります。例えば、データの重視、その入手プロセスの重視、などです。これも少しずつ身につけてもらいます。

*工学系では、(大分大学工学部の学生に多い)口下手をこのデータや数式、図面などで補うことも可能、必須です。議論を戦わせることと数式を変形し示し合うことは本質的に等しいのではないでしょうか。

*(下記、p.50に関連して)理系では「答えは一つ」じゃないの?と疑問をお持ちの方へ:「<真理>などがどこかにあってそれを刻苦精励の末探究し追い求めるのが学問、などというのは古き良き時代、、論理の連鎖が数学だ、、」と数学者(故・小針aki宏先生、確率統計入門、岩波書店)でさえ喝破している。「何を仮定すれば何が結論されるのかの連鎖が学問、、どの仮定が「真理への道」かなどという詮索は不毛:さて、工学ではどうだろうか?

*なお研究室の「日常的な雰囲気」を知りたい方は、「動物のお医者さん」シリーズを通読されるのもいいかも知れません。これは生協にはありません(おそらく)。

*ついでに、「マスターキートン」シリーズも当研究室の研究生活に近いものがあると思います。世界的な広がりのある view of life と「保険の重視やその場にあるものを駆使して生き延びる」spiritです。これも生協にはありません(きっと)。


遥 洋子著、「東大で上野千鶴子にケンカを学ぶ」筑摩書房より抜粋

抜粋p.

(注:抜粋は筆者が本来意味するところと異なる場合があるので、必ず原文を読むこと。強調文字もこのページ制作者によるものです。)

44

いつものように「レジュメ」と呼ばれる、私にとっては難解な、発表者が論文のあらましをまとめたプリントが配られた。

なにより最初に私がすることは、私の理解できる日本語を探し出すことだ。

、、私にとってのレジュメは英語と変わらなかった。、、

45

 

ここに来て驚いたことだが、今まで、学問は教え乞うことだと思ってた

が、どうやらここでは学問は研究者を批判することだった。先人達が正しいのではなく、先人達の犯した過ちを指摘し、先人達の歩めなかった道を切り開くという作業がゼミだった。

46

「わかってるの皆の話が?」

「わかりません」

「じゃなぜ質問しない?」

「わからないからできないんです」

「だから質問するのよ」

47

 

(文献をたくさん読んで)「あえて言うならわかったことはただひとつ。あれだけいろいろあると物事は一概に言えない、ということくらい」

「、、答えを知らないと、反論できない。一概に言えない、じゃ討論が成り立たない。」

「議論は一面的な物言いから始まるのよ。引き出しはたくさん持っていた方が強い。」

「たくさん持っていても、情けないことに持つシリから忘れていくんです。あれだけの量、とても覚えていられない。」

「忘れなさい。」「忘れてしまうような文献はその程度のものです。、、、、物事が多面的であることを知っていれば、一面的なものの言いようを否定はできる。」

48

「私達は皆、独学できたのよ。」

50

「すでに知られていること」が何かを知ること。

それと自分の考えていることがどう違うかを分析する能力を持つこと。「異見」はそのようにして創られる。

すなわち、知れ、そして、考えろ、解はひとつじゃない。

86

発表とは文献批判である。

私にはいつまでたっても、「学問は教えいただくもの」、から「批判するもの」、への変更がままならなかった。

134

学問という格闘技

135

学会って何だ?、、で、それやって、何になるのか、やるのではなく見るのか?作るのか?

楽しみなのか、辛いのか?

139

 

「正当な評価を学会でうけなきゃステップアップできないの。笑いをとってもだめなの。」

、、大学というところはコーチつき自己鍛練の場で、学会はオーディションか。

研究者はこの「言説の権力闘争」に否応なしに加担している。

その「権力闘争」のなかでどこに位置するか?それこそが問われている。

、、学会が言説の格闘技場であるのなら、そりゃ、力つき果て倒れることもあるだろう。

ようやく私にも「ガッカイイク」の意味がわかりかけた。

144

オリジナリティは情報の真空地帯には発生しない!」これは上野教授の言葉だ。

194

知性とは、何よりもまず、知性そのものの限界をみきわめる力にほかなりません。、、(知性のために、蓮見重彦)

201

 

私のように何年たっても上達しない、まわりの庇護のもとにゼミ生活を送る立場の人間には、東大を笑い飛ばすことは、、、(できない)

「そこに絶対的な能力の格差があるのがわかるから、、、」

「、、どこに、あなたの言う絶対的能力の格差があるのか。」

「みんな、わたしの知らないことを何でも知ってる。」

そんなのただの物知りじゃないの。能力なんかじゃない。、、」

204

 

学問は訓練であること。社会学は枠組みを疑う訓練。法学は法という枠内での訓練。

それぞれの学問にそれぞれの専門的訓練があること。

「疑う」という訓練を積むことで、枠を超えた発想が可能となること。そして、と、教授はつづけた。訓練よりもっと重要なことがある、と。

直感力。

205

どれほどの教養をつんでも、この直感力がなければ、一生勉強したってダメ。

211

ゼミでは議論がある。実社会でも議論がある。

決定的に違うのは、ゼミの議論は、反論を待ってくれる。そこでは意見はキャッチボールであるという常識がまかりとおる

実社会では誰も待ってくれない。

225

上野の、研究者への攻撃は、その人の一冊の本でも、○○ページの○行目の○○という言葉の指摘から始まる。

、、なんでそんな細かいところから、と思うのではなく、小さなスキから突いていく。

、、些細なことから山は崩れることもある

229

ケンカの仕方十箇条 その10 「勉強する」

1から9まで、、これなしにはどの項目も成立し得ない。質問が攻撃性をおびるか単なる謙虚な質問に終わるかはここにかかっている。

すべて、あらゆる固定観念と戦い、勝ち、説得力をもつためには理論が必要なのである。

そのためには勉強しかないのだ

研究室には「研究の関取」あるいは「研究のジョーズ」が数名棲息しているようです。そのタックルは相当厳しいそうです。しっかり健闘して下さい。