市営竹瓦温泉

 大正から昭和初期の市営温泉は、非常に個性的で特徴的なものが多く、そのなかでも、本建築は、 当時の温泉建築を代表する建物のひとつである。この竹瓦という名は、竹瓦葺であったことに由来すると いわれ、歴史の深さを物語っている。創業は明治12年であるが、明治25年、明治35年、大正2年、昭和 12年と改築を繰り返し、現在に至る。ほぼ、現在の様式となったのは、大正2年と昭和12年の大改築 によるもので、大正4年版の「別府温泉案内」によると、「竹瓦温泉は、2階建の広壮な建築に改築され、 2階は畳80〜90枚を敷きつめ自由に休憩が出来る」と記録されている。
 本建物の屋根は、なんといっても格式高い外観であり、威風堂々としたそのファサードは、これが 温泉建築であるとは想像にもおよばない。また、入母屋造りの裳階付きや寄せ棟造りの変化に富んだ 母屋の屋根と玄関にかけられた唐破風造りの屋根とが、さまざまな表情を演出する。
 内部の構成は、主として、1階がホールと砂湯、男湯、女湯であり、2階が格子天井の大広間で、 現在は公民館に使用されているが、当時は、湯治客の憩いの場として賑わっていた。時代の流れとともに、 取り壊された温泉建築は多いが、当時の温泉を知る意味で貴重な遺産であるといえる。