中山別荘(旧和田別荘)

日本郵船や三井銀行、鐘ヶ淵紡績などの要職を歴任、富士紡績経営建て直しなどにも寄与し、貴族院議員も 務めた和田豊治の別邸として1920(大正9)年に建設された。彼は中津藩和田薫六の長男として生まれ、 明治初期に渡米商務に就いた経験を持ち、別荘建設にあたっては、やはりアメリカに渡り洋風住宅の移入を推し 進めた宮崎県出身の橋口信助が経営した設計施工会社「あめりか屋」に依頼している。戦後は、アメリカ進駐軍 司令官宿舎に使用されたこともある。また、皇族の御用邸や離宮を手掛けた大分市出身の椎原兵市による作庭 が取り込まれている。