デザインキャンプ at 密陽大学校 in 2004
(大分大学工学部福祉環境工学科建築コース教授 佐藤誠治)

 大分大学の国際交流協定校である韓国の密陽大学が夏休みに主催するデザインキャンプに今年も設計指導教授として参加した。7月26日早朝に大分を高速バスで出発。9時30分のビートルで博多港を経由し、密陽には15時過ぎに到着した。

 デザインキャンプは例年、古都慶州のホテルで開催されるのであるが今年は大学が全面移転した真新しいキャンパスの学生宿舎(学生寮)で開催された。設計会場は地下の食堂を模様替えし、参加学生の宿舎は上階の寮室、設計指導教授には最上階のVIPルームが用意された。今年の参加者は韓国の大学にとどまらず中国の上海の同済大学、日本からは大分大学と全部で15の大学から約70名が参加した。一昨年と同様の参加者である。昨年は例のSARS騒ぎで直前に中国の参加が断念されたのである。今回の課題は密陽郊外にホームステイ村を設計することである。今年も密陽大学の担当教授の李インヒ教授によるオリエンテーションで1週間昼夜兼行の建築設計競技が始まった。少子化が急速な韓国の大学は日本の大学以上に改革を迫られ、大学独自のカラーをいかに出すか、差別化をどのように演出するかが求められている。このイベントは、韓国の建築系の学科の中ではかなりのアピール度であると聞いた。

 2日目には設計課題に関連して視察旅行もおこなわれた。韓国の寺院建築は儒教との軋轢で都市から遠い山間に立地し、厳しい精神性を感じる建築群と地形条件をもって訪れる者を迎える。そのうちのひとつ、密陽近郊の表忠寺(ピョンチュンサ)を視察した。広大な敷地は5つの段差に造成され、山門から上段に上がるにつれ緊張感を漂わせる空間構成である。その表忠寺に隣接した渓流沿いにホームステイ村の計画が今年の課題である。韓国一の暑さを記録し続けていた密陽で、もっとも暑い日に文字どおり汗だくになっての現地踏査であった。

 学生は会場に戻ると早速計画・設計にとりかかる。この敷地にはすでにホームステイのための民家もいくつかみられがどれも単なる民宿という機能にとどまり、しかもすばらしい自然条件や景観に恵まれているにもかかわらず、それを一顧だにせず、きわめてお粗末な環境を見せている。李教授の課題はこれらの改変にあるはずなのだが学生にはあらたな建築の、しかも現代建築様式にこだわる傾向が見られた。小生も学生の反応にあきたらず短時間でドローイングを試みた。李教授からの寄贈依頼でそれは密陽に残すことにした。

 別の日には韓国が誇る伝統的な集落、安東の河回村(ハエマウル)や建築学徒のメッカである屏山書院も訪問した。ハエマウルは洛東江(ラクトンガン)の上流域、大きく蛇行する川に三方を囲まれた農業集落でヤンバン(両藩)と呼ばれる上級階層の広大な住宅と農民によってに約600年前に形成された2・30ha程度の集落である。現在はかなり観光化が進んでおり、識者は眉をひそめるのであるがこれも維持しつづけるための苦しみだろうか。しかし、少なくとも看板のコントロールなどの規制は可能かもしれない。屏山書院(ビョンサンソウォン)はハエマウルから車で15分の距離の山麓の傾斜地に典型的な囲み型配置の平面形を示している。傾斜地の下側の楼は一段下に配置されているが一層目はピロティになっているから2層目のオープンなフロアは上段の中庭より少し高めのレベルである。観光客や建築学生が暑さに疲れた体を休めている。下の方には洛東江の褐色の流れ、対岸には岩の絶壁が景観に変化と緊張感を与えている。変化に富みながら、正統の韓国書院建築と理解できる建築と周辺環境である。

 学生は果敢に課題に挑戦し、有意義な成果を残した。また、日本・韓国・中国の学生との、短期間ではあるが、密度の高い国際交流の経験でもあった。記録的な暑さの中で実施されたデザインキャンプの一週間は学生と私にとって忘れられない思い出となるだろう。


デザインキャンプの設計会場の風景


視察した表忠寺の山門


表忠寺


河回マウルその1


ハエマウルの養真堂


草葺きの農家


ハエマウルの俯瞰


ハエマウルの俯瞰その2


屏山書院その1


屏山書院その2


デザインキャンプ後の集合写真