東アジア建築デザインキャンプに参加して

       大分大学教授 佐藤誠治

1.古都慶州のデザインキャンプ

 今年、2002年7月23日から28日、韓国慶尚南道の古都慶州で行われた日中韓3ヶ国の学生を招待して行われた国際建築デザインキャンプに本学の学生、院生を引率して参加してきた。主催は本学と国際交流協定を結んでいる蜜陽大学校建築工学科である。参加の主要大学は中国上海の同済大学、蜜陽大学、これに加えて韓国の主要大学から1、2名の学生、日本からは本学の建設工学科の学生および同専攻の院生で日本からは本学のみが招待され、参加総数は70名に達するという盛大なイベントである。プログラムは3国の指導教授グループの討議から始まった。テーマの設定から敷地の選定、設計条件は少なく、自由度を持たせた内容にして学生に提示し、いよいよスタートである。 まず、教授陣が2名ずつペアを組んで4のスタジオを設定し、これに3国のミックスした学生2、3名の6チームがそれぞれ組み込まれるという組織である。今回の統一テーマは"東アジアの空間と建築のアイデンティティ"としてすでに設定されておりインターネットで公開され、韓国の学生には自由に応募できるとなっていた関係で、応募総数は定員に数倍にのぼり、選りすぐりの学生が集まっている。与えられた設計のテーマは低層の居住クラスターを設定された条件の中で展開せよというもので、その設計展開の中でいかにアジア的空間や建築のアイデンティティを注入できるかが問われた。

 

2.デザインに没頭する24時間体制の1週間

学生は、24時間オープンの約300uのホテルのバンケットルームの中で文字通りの格闘が始まった。設計作業の合間には指導教授の中から3人が選ばれ、日中韓"3国の空間と建築のアイデンティティー"に関するレクチャーが行われた。私も「日本の空間と建築のアイデンティティ」と題して講義した。学生はそれらの講義や、持ち込んだ資料、それに日頃の思考訓練を組み合わせて、あらゆる知力とデザイン力をふりしぼって取り組んだ。 24時間、まさに不夜城と化したホールの中は熱気で包まれた。激励に訪れた主催大学学長や、建築関係の団体の人々は、若い学生たちのエネルギーに感動して賛辞をおしまなかった。古都慶州を訪れたスイス人建築家も飛び入りで参加し、ワンダフルを連発した。ソウルからのテレビ取材陣も途中から入り、後日全国ネットの特集番組を組むという。今回のデザインキャンプは1996年に第1回が開催され、今回が第7回目。自大学から国内的規模に、さらに国際的イベントへと成長させてきた密陽大学の建築学科の教授陣には本当に頭の下がる思いである。彼らのパワーと、結束力の大きさは高く評価され、このイベントに限らず、韓国内で行われる日本のトップ30の類の評価に対して、地方の小規模大学にも関わらず高い評価が与えられている。 イベントは途中のクリティークを繰り返して28日の最終プレゼンテーションでファイナルを迎えた。優秀作品には賞状と賞金が与えられた。

 

3.国際理解とデザインキャンプ

 さて、今回のベントに参加して、いくつかの感想と教訓が得られたのでここに記してみよう。 第1は、何よりも国際交流についてである。成果と急ぐあまりに、とかく形式的に流れやすい国際交流であるが、今回のように、かけたエネルギーと実質的な成果の大きさではしかも、人数のまとまりでは、少なくとも私自身としてははじめてであり、しかも最大のことであったと考えている。国際交流が量から質へ、その成果の内容が問われているということを心底思い知らされた。 第2は、その中で、国際理解の方法論の問題である。私たちは、共通言語として英語を使用することを義務づけられていたが、"東アジアの空間と建築のアイデンティティー"に関するディスカッションには英語はその微妙なニュアンスを伝えるには不十分である。私は私の研究室に在籍する韓国人の学振研究員(本学でドクター取得者)と中国人留学生の院生を同行して、中韓の学生とのコミュニケーションに当った。中国の学生とはそれらに補完して筆談という手段があるが、すでに教育現場で漢字教育を放棄した韓国の学生とはかなり決定的な困難に突き当たり、彼らとチームを組んだ日本人学生は相当に苦労をしいられた。今、東アジアでは、英語でコミュニケーションをとらねばならない現状である。相互に言語の学習を行い、アジアの言語でアジアのアイデンティティーを語り合う。そのことの大切さも痛感した。 最後に3カ国の学生がどのような作品を残したかである。 我々教授陣はデザインキャンプの途中から感じていたことであるが、中国の学生は極めて現実的に与えられた課題を解釈し、練り組んだ。平凡といえばそれまでであるが、プレゼンテーションの密度、スケッチの積み重ね、極めて実務的と思われる彼らの作業の中には、中国の大学の状況を読むことができた。すでに5年制に移行した同済大学では5年生の6ヶ月間を学外の企業や行政で給与を支給されながら訓練を積む。したがって出てくる作品は、実施しても良いものではと思われるような作品であるかわりに、学生らしいみずみずし発想に欠けるといえば言い過ぎであろうか。 一方、韓国の学生は極めて概念を重視する。これは学生に限らず、韓国の建築界、ひいては文化状況全体に通底する傾向であると感じられる。彼らは従って、設計のコンセプトをきちっと組み立てることからはじめるし、そして最後までそれにこだわる。これは当然のことではあるものの、成果を求められるコンペや、今回のように時間を限った催しには「少し形から入ってみては?」というサジェッションは、一面、頑固な国民性の彼らには通用しない。従って、ついに形を作れず、苦しみ抜いた学生もいれば、適切なコンセプトに到達して、早々と作品を仕上げたteamもある。 日本の学生は論理的な思考にこだわる。空間的建築を構成するロジックを見つけようとする作業を延々と続ける。ロジックに徹した作品を前にして、外国の教授陣は「日本の若い建築家の作品を見るようだ」などと評していたが、それも思い当る節がないわけでもない。論理にこだわる余り、アジアの建築が持っている深い味わいや、空間的韻律など、論理で説明のつかない感性に少し欠けたのではないかと思われた。 設計対象の敷地となったのはキャンプ地の慶州の郊外に広がる典型的な農村集落である。もともとそれらの集落の特性について空間的感受性に欠ける中国や日本の学生に対して、途中でこれも慶州郊外の両藩(ヤンバン)の古い集落、良洞(センドン)のツアーが企画された。

 

4.デザインキャンプの成果

とにかく、若さあふれる学生たちと、24時間付き合い、寝食を共にした結果、大学の日常の教育研究活動の中では得られない教官と学生との絆が生まれたと思うし、学生たちも国際交流の中で得がたい体験をすることが出来た。 28日の朝、70人の7日間の同士たちの別れの時がやってきた。目に涙するもの、抱き合って別れを惜しむもの、再会を約束するもの、バスに乗り込む前のホテルの玄関では学生たちの感極まった姿があちこちに見られた。本当に素晴らしい夏の一週間であった。最後にこの企画を立ち上げ、これまでに育ててこられた密陽大学の教授陣、これを支えた建築家の方々、建築士会の方々、大学当局、韓国の教育部をはじめ、多くの関係者の方々に対して深甚の敬意を表し、筆をおく。2002.7.30