2003年デザインキャンプ記録

Film & Architecture  -Spatial Identity of East Asia-

佐藤 誠治


 

今年も、7月28日から8月2日までの6日間、昨年と同じ韓国の古都慶州で行われたデザインキャンプに参加した。学部生4人、大学院1年生5人、2年生3人の12人、引率指導教官は佐藤と李研究員である。韓国側はで39人であるから合計51人である。今回はSARSの影響で中国の参加が不可能となり、若干寂しいイベントとなったが、参加者の積極的な意欲にわれわれ指導教授陣も大いに触発されたイベントとなり、きわめて実り多いものがあった。

学生達は先立つ7月26日にビートルで釜山入り、慶州でのプレツアーに参加した。私は27日に釜山泊、28日のオープニングに合わせて慶州に入った。韓国側の対応は申し分なく、十分な準備に裏打ちされて順調な滑り出しである。

 

7月28日(月)

午後3時からオープンセレモニーで、蜜陽大学長代理の教務拠長(教授)や慶南建築士会会長、建築学部長の李教授の挨拶の後、参加者全員の紹介の後、オリエンテーションが行われた。日本の学生と韓国の学生を適当にミックスさせて17チームを編成。スケジュール等の説明。その後、今回のデザインキャンプのメインテーマである映画と建築のために、映画監督より講演があった。映画の作成過程におけるキーワードや建築とのかかわりにおいて繰り広げられる映画の作り様を事例を通して詳しく紹介された。しかし、建築を映画化することの日常性に対して、映画を建築化することの困難性は感じられた。夕食後、日本映画「ぽっぽ屋」が上映され、イメージの富化に努めた。その後各部屋に分かれて飲み会とディスカッションが行われた。

 


開会セレモニーで挨拶する李敬煕学部長と司会の李仁煕教授

 

7月29日(火)

 朝食後、伝統建築のツアーがなされた。独楽堂、玉山書院とデザインキャンプのテーマの敷地であるTchoksaem Villageを視察した。

 

    渓亭をまさに渓流から眺めるの図               玉山書院の門

 独楽堂は1532李彦迪の作になる建築である。渓流沿いに建築された渓亭は自然のシチュエーションを十分に読み込んだ傑作である。日本の建築は自然を作りこんだ庭園の中に建築を配置するのが常であるが、韓国の場合は直接自然とのインタラクションを可能にするように配置している。玉山書院はかなり規模の大きな建築群である。独楽堂から下流にある。メインは4つの建物と、それに囲まれた中庭である。入り口に近い位置の建物は階上が広間になっている。このように、用途において、いわゆる亭の体をなす建築のおおいことにいまさら感心させられる。自然との共生を大事にした朝鮮の先人の意気込みを感じさせられる建築の数々を見せてもらうことができるのは幸せである。

 天馬塚の横の変形な3角形の敷地に着いたのは11時をかなり回っていた。細長い3角形の頂点に位置する泉から地区に入る。無計画に、陣取り合戦のように入り込まれた敷地はモザイク模様を呈して、あたかも迷路のようである。一部はすでに取り壊しがなされている。しかし、迷路を克服するためにはかなりの荒療治がいるが、地域のアイデンティティがこれだとするとかなり厄介なことになる。

 ホテルに帰り、食事のあと、2本の映画を見る。ひとつは、「家に帰る道」、中国映画で、村に赴任した若い男性教師と村の娘の純愛を描いた作品で、1952年、中国革命直後の中国、おそらく東北部の山間の農村が舞台である。もうひとつは、「私の心の中のオルガン」、韓国映画であるが、これは若い男性教師と小学生の恋である。小学生の一方的な恋であったが、どちらも成就する。建築と映画について考える作品としては映画の舞台である周囲の環境が建築的なものを適度に含んでおり、格好かもしれない。

 映画のあと、19時から歓迎レセプションが行われる。かなりのご馳走である。スポンサーの建築士会のメンバーも交えてにぎやかに行われ、持参した工学部からの土産を渡す。

 この後、学生には受難の時間が待っていた。部屋でおこなわれた飲み会では我が日本軍の大敗であった。

7月30日(水)

 朝から、テーマや敷地についてのレクチャーを行なった。古い迷路のような路地と新しい道路ネットワークが構成するダブルストラクチャーで行くことを了解してもらう。これにはコルビュジェのチャンディガールを引き合いに出す。これは結構いけたレクチャーであった。とにかく、こちらサイドの意見を一方的に出して、

あとは学生がわに任せることにして、李研究員と李敬煕、CHOI氏と4人で浦項の吾徳一里マウルを見学に出かける。かなり広い谷の一方に展開したヤンバンの集落で、約500年前に作られたとある。敷地の入り口から中庭(マダン)に至る空間の連続は、今はかなり荒れて手入れが行き届いていないが、そのソフィスティケートの度合いは韓国伝統建築の真骨頂である。愛隠堂や四友亭など、今は農家住宅に固有名詞が付いているところは当時のヤンバンのプライドと思想レベル高さが伺われる。

 

愛隠堂はいまは農家の住宅である。高い教養の基盤が感じられる。          マウルの風景

 

 周囲に展開する農村景観と集落の関係性は風水など周囲の環境を十二分に意識したことがわかる。雄大な地形に包み込まれ一見のどかなこの地においても過疎の波は押し寄せているのだろう。無住の家、それにおそらくは老人の1人住まいと思われるひっそりとしたたたずまい、生活臭の少ない住宅があちこちに見られる。夏休みの帰省客で一時的な賑わいを見せている家も見られるが、やがてもとの静寂にもどるのであろう。もともと安東(アンドン)に行きたかったのであるが、有意義な半日の旅行であった。浦項の町では魚市場に行き、食堂で十二分に刺身、茹でカニなどを李教授にご馳走になる。

 それにしても、韓国では伝統建築に比べて現代建築、とりわけ住宅建築はどうして平面計画がpoorであるのか。これは大きな謎であった。しかし後で李研究員との議論でわかったことであるが、1つは住宅研究の未成熟、2つは研究を現実化するシステムに不足していることである。また社会システムが一部に握られていること。社会システムが未成熟のまま経済発展を急速に遂げたために起きたこと。そういう結論に達したが胸に手を当てて考えれば日本もかつては同じことが無かったか、これは社会発展段階における落とし穴ではないのか。

 それにしても、韓国のアパートの平面はいただけない。面積は50坪、60坪という日本では考えられない面積であるのに、玄関からのアプローチ、トイレ、洗面、浴室周りは問題が多い。トイレを利用するにもシャワーで濡れた便器周り、その上シャワーを使っている間はトイレを使えないなどなど・・・・・・。

7月31日(木)

 朝から学生達はスタディを続けている。10時からTeam Meeting を開くことにする。それぞれの作業グループの進捗状況を見ながらコメントをくわえる。要点は2つ。

1つは伝統的な路地を残し、それに加えて新しい軸である街路を入れた。開発はその2つの軸をどのように融合させるかにある。しかし、多くのグループが伝統的な路地にとらわれすぎて、再生のための軸を作りきれずにいること。大胆に設定し、そしてそれを厳密に適用することが大切であること。

 2つは、いつまでもラフスケッチに終始し、作業のレベルを上げないために、最終形まで行き着いていないグループが見られること。スケールを意識してスケッチを建築としてコンクリートしなければならないこと。以上のコメントを整理して学生に伝えた後、20:00のopen critics を告げて作業を再開させる。昼過ぎ、李研究員は帰省して女児出産の夫人に会いに堤川に出発。

 20:00開始予定のcriticsは作業の進捗が大幅に遅れて21:20ごろの開始となる。A1C5の17グループが順番に発表し、コメントを加える。途中でコーヒーブレイクを入れたが、終了は8/1(金)の朝3時近くまでかかる。5時間のハードな作業でクタクタになる。部屋に戻って李仁ヒ教授、建築家のCHOI氏と3人でビールと酒を酌み交わしながら5時過ぎまで議論を展開する。話題は韓国と東アジアの建築、それにデザインキャンプ、大学のことである。

8月1日(金)

 昨日、いや朝まで学生達は作業を続けた。食事時間になっても我が方の学生は一人も姿を見せない。早々に食事を済ませて学生の部屋に行く。みんな爆睡状態である。部屋に戻ってしばらく睡眠。10時過ぎからワーキングルームへ。

 戦争状態が続いているが、まだ戦争状態になっていないグループもある。ずーーーーーーーーっと作業が続く。まだ整理がついていない学生グループには適宜サジェッションを与える。

 昼食は「ツクミ」。イカ、野菜を唐辛子で煮込んだスープを飯の上にかけたもの。色はハヤシライスを少し赤みにしたものであるが、甘すぎる味付けで食事にならない。学生達は問題ないようであるが。

 食事の後も続くが、仕上がりに差が出てきた。いくつかのグループにはサジェッションを与えるが、この時点ではもう逆効果になる恐れがあるのでなるだけ控えることにする。部屋で休むことにするが、体調が少し悪い。

 早朝、睡眠中に李研究員が帰ってくる。学生の戦争に参戦したようだ。

8月2日(土)

 朝から猛烈な戦争が続く。そこここに、学生が寝転んで短時間の睡眠をむさぼる。すでに仕上がっているグループから、猛烈な追い上げをしているグループまで様々である。とにかく、14時のゴールまで全力を尽くす。

 15時から修了セレモニーが開かれる。コメントを求められて短い挨拶をした。要点は、

0.密陽大学の李仁煕先生ほかの関係者に対する謝意と敬意の表明。

1.歴史的な記憶を残すためにほとんどのグループが考えたこと。路地、韓屋、壁、泉などがその要素となった。

2.新しい機能を入れること。住宅、コミュニティ施設、観光施設、ショッピング、新街路、これらは現状では無計画で混沌として、都市に対してほとんどはっきりした位置付けがない当該敷地において、都市における位置付けを明確にできたこと。

3.新しい機能を加える、挿入するに際して、どのような新しいルールを見いだしたか、提案できたかが大切であること。これを見いだしたグループが良い結果を出せたこと。

4.今後も継続して行くことを期待すること。

 A−Studioの模型写真                         デザインスタジオの風景

 

 イベントの詳細については、http://www.miryang.ac.kr/%7Esamlih/summer/sam.htmに掲載される予定であるので参照されたい。

 ちなみに、我が大分大学グループは、銀賞1つ、銅賞3つに絡んでおり優秀な成績であった(全体では、金賞1,銀賞2,銅賞3)。

 慶州から密陽に移動、最終のパーティを終えて、各自ホテルへ。

8月3日(日)

 密陽から釜山に移動して、大分大学の学生グループと別れて光州に向かう。学生諸君は4日に帰国予定である。