はじめに

 

 

京都の町屋による街並みや、妻籠のような街路沿いの宿場町の街並み、飛騨高山などに代表される商家の街並みなどは現在、街並みの保存という点から急速にその価値の見直しがされている。一軒一軒は良く見ると違っていても、いずれも同じ建築技術と工法が使用され、街全体に一体感があり共通の価値観によって支えられている。

街並みとは本来、このような共通性の上に成立しているのであって、それによって街路や地域に対する強い愛着心が生まれるのである。

さて、街並みの形成にあたっては建築の外壁が重要な役割を果たしていることは論をまたない。イタリアやギリシャの組積造の建築においては、逆な言い方をすれば、建築の外壁こそが街並みを決定しているのである。それにひきかえ、我が国の商店街などの街並みを観察すると、そで看板のような建築の外壁から突出しているものが非常に多く、視覚構造としての街並みを決定しているものは建築の外壁ではなく、これら突出しているものである場合が多い。その上、その突出しているものの中には一時的な目的のものや、ひらひら動くものまであって、固定的で安定した街並みの視覚構造をつくることをますます困難にしている。道路にとびでた置き看板などのような、動いたり臨時的なものから、鈴蘭灯、電柱、電線、電柱看板のような道路の邪魔物や、高く、低く、折り重なって見えるそで看板にいたるまで、それはそれは種々雑多である。

都市や街並みを、建築その他の実存する具体的な実体によって捉えようとする考え方にたいして、その実体が知覚される形態の構造を心に描かれるイメージとして、都市や街並みを考えようとする新しい考え方がある。それはある特定の個人の心象ではなく、都市の住民の大多数について、共通に抱かれるイメージのことであってMITのケヴィン・リンチ教授は、これをイメージァビリティーと呼んでいる。彼は論文の中で、都市の実存的な環境がどのように子供達の心象に残るかアンケートによる調査の結果、舗装面、築地塀、樹木のようなものが永く記憶に残るということを書いている。

街並みは、そこに住みついた人々が、その歴史の中で作り上げてきたものであり、その作られ方は風土と人間の関わり合いにおいて成立するものである。であるから、この地球上に現存する街並みは、その人間存在の時間的空間的な自己了解のしかたと深く関わっているものである。街並みの基本を変えたり、住まいあり方を簡単に変えたりできないことは、風土を変えたりできないのと同様に至難なことなのである。

 

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