このページは1999年10月15日に大分市のオアシスひろば21、音の泉ホールで開催された駅南まちづくりシンポジウムのパネルディスカッションの記録です。


シンポジウムのポスター


シンポジウム風景




    テーマ : 「豊の都市〜県都大分のまちづくり」
    コーディネーター    
                 秋口 守國 氏 (財)都市みらい推進機構専務理事
                           (元国土庁地方振興局地方都市整備課長)
      パネラー      
                秋月 睦男 氏  大分経済同友会代表幹事
                佐藤 誠治 氏  大分大学工学部教授
                平木 協夫 氏  日本経済新聞社営業推進本部担当部長(元大分支局長)
                サラ・マックラム氏  元大分県国際交流員

秋口氏
 それでは、シンポジウムを始めたいと思います。
 今日は大勢の方にご出席いただきまして本当にありがとうございます。また、ご多忙の中、パネラーの方々、お集まりいただきましてありがとうございます。今日はビデオがあって、市長さんのご挨拶があって、それから礒崎先生から基調講演として、「広場」ということについてお話をいただきました。
 私はあまり哲学的な思索ができませんけれども、先生のお考えのように、ヨーロッパで広場、要するに市民の集う場所、こういうような場所は日本では多分広場という広がりというよりも、宿場町だとか門前町というのがありますけど、日本はどうも「道」というようなところに人が集まって、なんとなく動いたり漂いながら、そうして交流してきたのかな。こういうような点で言うと、道と広場というかスペース、これがこれからもう少し仲良く握手していった方がいいのかな。特に、先生のおっしゃったような駅前広場であるとか、建物の前の広場、これは緑がきれいで見るだけという感じなんですけど、できたらそういうところに入りみんなが上手に使っていく。こういうことが求められているのかなと、そんなことを私個人では感じたりしました。
 今日は、パネルディスカッションということで、4人の先生方に色々とお話をしていただこうと
思います。時間をなるべく4時半の時間で区切りたいと思っておりますので、色々と当初準備してきたんですけど、その部分は少し駆け足になる点お許しをいただきたいと思います。なるべく皆さんの思っておられる、この大分の駅南ないしはシンボルロード等についての気持ちを忌憚なくお話ししていただこうと思っております。
 私が大分の街の構造なんていうのは生意気かもしれませんが、最初のビデオにありましたように、西大分の今フェリーターミナルのある湾岸の交流新都心。それから、海である湾岸の新都心、駅の北の商業業務中核都心、駅南の情報文化新都心、そして丘としての上野丘とか都心の森、更には南大分の健康文化都心とこういうような形で、北から南に一つ大きな軸を大分としてはまちづくりで意識して、そこに色々な21世紀に向けて、或いは22世紀に向けて情報発信していこう、こういうようなことが大きな狙いであろう。というのが、ビデオをご覧になってもおわかりいただけたのではないかと思います。
 今回の「狙い」ということにつきましては、既にパンフレット等でお配りしてございますので、くだくだと私がご説明するよりも、パンフレットをご覧いただけたらと思います。いずれにしても、今まで鉄道で分断されていた南側について、駅南の情報文化新都心ということで、21世紀に向けた新都心の形成を期待しているというのが最大のポイントだと思います。
 ただ、この新都心は黙っていてできるものではありません。これを形成するということに当たって、市民の方々の参画をいただきながら、まちづくりする必要があるんだろうと。これまで市の方では、駅南のまちづくりであるとか、市長さんが先程おっしゃっていましたように、公聴会とか色々な場を踏んだり、区画整理では地元の説明ということで、色々と市民の方と接渉ないしは説明を繰り返していただいていることと思います。
 こういうようなことを踏まえた上で、更に一つの面で今回シンポジウムを開催して、題名にありますが、「緑あふれ 夢ふくらむ 都心の広場」ということで、駅の南にどういうような都市の機能、都市の施設、ないしは広がりを持ったらいいのか、更には先程のパンフレットの裏にもございますが、今まで都市計画で決めていたというか、こういうふうにしようと考えていた広場ないしは100メートル道路の使い方、これを今まで関係者の方々の意見を聞いて、一つ案を作っております。そろそろここら辺を計画として、ひとつなんとか集約していきたいということもありましてそういうことを含めて、今日は黄色いアンケートの中には、そういう部分について色々とご意見をいただきたいということを書いてございますので、時間の関係で皆さんとご質問をという時間をそんなにとれないと思います。そのような中では、できればお考え等につきまして、率直にその黄色いメモの方に書いて残しておいていただければ幸いでございます。
 今日はそのような点で、駅南のまちづくりの方向性、そして広く市民の方々に知っていただきたい、そして積極的な提言をいただきたい、これが大きな狙いだということをご承知いただけたら幸いでございます。
 それでは、パネルディスカッションを具体的に進めていこうと思います。まず最初に、私の方から何回か、例えば県都大分の位置付けであるとか、駅周辺総合整備事業にどんなことを期待するのかということについて、お話を4人の今日のパネラーの方にお伺いいたしたい。若干時間があれば、それについての質疑をする。その次に、それを具体的に進めるにはどのようにしたらいいのか、ないしはどういうことに気をつけたらいいんだろうかということについて、第2幕でそういうお話をしてみたいと思います。それから第3幕で、できればお二人程度になるかもしれませんが、実際私どもの説明した内容等にご質問等があったらお聞きしたい。そして第4幕として、それらを踏まえて各パネラーの方々に、実際に市とか市民の方々へということでのコメントをいただく。最後に私が一言付け加えさせていただいて、我々の役を終わりたいと、こんな段取りで進めたいと思います。どうぞよろしくお願いいたします。
 それではまず最初に第1幕といたしまして、県都大分の位置付けと、大分駅周辺総合整備事業に期待することということで、秋月さんからコメントをいただいていきたいと思いますが、どうぞよろしくお願いをいたします。

秋月氏  
 秋月でございます。私は大分の滝尾の生まれでございまして、子供の頃、滝尾から滝尾橋を通って坊ヶ小路、外堀そして光西寺、竹町へと行った記憶、それから中学生の時には、上野の丘から顕徳寺を通って、そして大分で遊んで、大分駅の表改札口から乗って滝尾駅に行く。又、終戦のときには、8月の29日だったと思いますけど、あの廃墟に化した大分駅に復員して帰って参りまして、周辺を見渡しまして、「これは大変だなあ」とこういった感じを持って、滝尾橋を通って滝尾に帰った、という思いを持っておりますので、そういった思いを抱きながら今日のシンポジウムに参加した訳でございます。従いまして、若干、佐藤先生以下若い方とニュアンスが違うかもしれませんが、その点はよろしくお願い申し上げたいと思います。
 今日は駅南まちづくりですが、駅南という名前は一体いつ頃できたのだろうか。私どもの地域には人の営みがあり、そこに歴史があり、文化があり色々ある訳ですね。じゃあ駅南はどうだろうか。駅南というのはやはり駅ができたから駅南ができたんですね。じゃあ大分駅はいつできたか。これは調べてみますと明治44年の11月にできているんですね。だから明治44年以降、この駅南というような名前ができた。要するに大分駅の後背地、これを駅南にした訳ですね。じゃあこの大分駅ができる前の大分はどうであったか私は振り返ってみたい。
 大きく分けて大友時代、徳川時代この二つに分けてみますと、大友時代には、もう宗麟の名前で有名ですが、あの当時府内には8千戸の家があった。そしてこの賑わいは、フロイスという宣教師が、ヨーロッパに「府内は豊後の中心である」と紹介しているんですね。恐らく大友宗麟は南蛮貿易を通じて色々な街の賑わいを見せたでしょう。先日、上野の大友館に行って来ました。恐らく大友宗麟もあの丘の上からこの大分の賑わいを見たんではないかと思います。
 続いて、徳川時代になって府内藩になりました。そして府内藩はご存知の通り殿様のいる荷揚城を中心として、いわゆる城下町を造った。あの城下町から上野の丘陵一帯は、のどかな田園地帯だったんですね。この府内町の賑わいを貝原益軒という人は、「府内は広い、そして万の物が備わっている。」と見聞記に書いた。府内は、大友時代そして徳川時代はそれなりに栄えてきた街だと思います。
 私は大分には古くから二つの顔があったと思います。一つは海の顔。みなさんご存じの沖の浜、あるいはかんたんですね。貿易で栄えた港という一つの顔。もう一つは陸の顔。これは上野丘陵から元町に至る、石仏があり、宝戒寺があり、そして祇園様があり、大友館がある、いわゆる歴史、文化、そういった一つの顔があった。この二つの顔がずっと今日まで来ているんではないだろうか。
 ところがこの顔とは別に大分が二つに分断されるような時代が来たんです。南と北が分断されたのです。それは明治44年の12月に鉄道が敷かれたことにより大分駅が出来て、大分駅の後背地を駅南というようになった。私が子供の頃、中学から下りてくる駅南には国鉄の貨車庫があり、修理場があり、石炭庫があり、操車場があった訳ですね。笑い話で、駅の裏にいる雀は黒かったと、こういう話を聞いたことがあります。今までは分断されてきた大分市が今度はこの立体交差によって一つになろうとしている訳ですね。大分駅付近連続立体交差事業がそれです。
 じゃあ、この駅南のまちづくりに当たってどうしたらいいか。私は駅南にはいくつかの特徴があると思います。一つは駅南の連続立体交差事業による駅の高架、そしてその周辺の整備による踏切の撤廃ではないかと思います。踏切というのは遮断機がありますが、本当に遮断なんですね。調べてみますと、日豊線上り列車、下り列車が何本あると思いますか。80本ずつあるんですね。だから上下160本ある。私も通勤するとき踏切を渡ります。30秒から40秒止まるんですね。そうしますと、単純計算しますと1日に2時間位止まるんです。大分市内の南北の交通や物流は瞬間的に遮断されるんですね。今度の高架によって、その踏切が、遮断機がなくなり、街路化する訳です。私は明治44年から今日まで、或いは出来上がるのが平成20年ですから、約90年間はJRによる大分市の南北分断時代があったと思います。ところがそれが、交差事業によって南北が一体化する。恐らく、遮断がなくなりますから、人、物の流通量が増えるでしょう。或いはスピードも上がるでしょう。そういった意味での大きく物の流れというのが変わってくるのではないかと、これが第1点。
 第2点は、この駅の裏をずっと見ていきますと、非常に東西南北に街路が配置されている。今後区画整理によって更に立派になる。特に東側には県庁前古国府線、西側には国道210号線。南側には庄の原佐野線、北側には国道10号線。いわゆる、街路による回廊になっている訳です。その中に補助道路として末広東大道線の街路がある訳です。非常に交通的にも恵まれていること。
 第3点は、国鉄時代は操車場とか修理場とか石炭庫とかありましたが、これがなくなりました。野球場もなくなりました。あそこは現在広い空き地であります。あれだけの広い空き地が手付かずの空閑地なんです。これを一体どうするか。加えてここには区画整理事業が今進んでいる。この大規模空閑地を高度利用するには一体どうしたらいいのか。 
 第4点目は、上野丘、元町の歴史、文化ゾーン。そして竹町、都町、中央町、5番街等々の商業集積地ゾーンとの結節ゾーンになる訳です。特に遮断機がなくなることによって、物の流れが絶え間なく流れていくようになる。これは大きな点ではないかと思います。
 第5点は、区画整理事業が大いに進んでいるという利点もあるのではないかと思います。まちづくりとして、こういう基盤をどうやって活かしたらいいかと、これが今後における我々の課題ではないかと思います。
 現在、大分市は人口が43万6373人だそうです。それが、徳川時代、府内城の時代は1万1621名だったという。そして大分市になった明治44年は3万1249人。現在、14倍の人口です。もちろん、これはいろいろな合併がなされた結果でしょう。しかも、県都であり、地方中核都市、こういったなかで全体として大分をどうするか。依然として、大分は二つの顔がある。海として西大分を中心としたウォーターフロント。陸として駅の高架を含む駅南の街、上野の丘陵に見るあのゾーン。これをどうするか、これを是非大分を代表する二つの顔にしたい。
 では、陸の顔としての大分の駅南まちづくり。端的に言って、大分市民の中庭づくりをしたらどうかと思います。磯崎先生の庭の話がございました。中庭という言葉も出ていましたが、私は大分市の2010の検討会議とか、大分地域の活性化委員会に参加しました。丁度8つの地区の委員会の人の話を聞きましたが、各地域の方々が集まりやすいところが欲しい。それには大分駅を中心としたところが良い。そして集まるには広場がいる、緑がいる。それにはこの駅南という地域が最適の場所ではないだろうかという感じがします。特に、まちづくりには歩く、人が集まる、おしゃべりをする、そして楽しいところだということが必要だと思います。あそこに行けば誰かに会える、面白いぞと、こういうふうなまちづくりをしたいものです。同時にこういう色々な特性を持つためには、大分市民の中庭としてどういう機能を持ったらいいかということが問われてくると思うんですが、これはまた第2幕でお話し申し上げたいと思います。結論は駅南、上野にかけたゾーンを大分市民の中庭として人々が集まる場所にしようというのが私の提言です。以上です。

秋口氏
 ありがとうございました。大分市民の中庭に、100mのシンボルロードを含めて一つ軸を通そうということでございます。それでは佐藤さん、よろしくお願いします。

佐藤氏
 今回、このパネルディスカッションが始まる前に、秋口さんから色々注文がありまして、かなり用意はしてきたんです最後まで話せるかどうか。
 位置付けと今回の総合整備事業に期待することということで二ついただきましたので、まず位置付けの一番大事なところは何かといいますと、大分市が国土の中、或いは大分市自体の発展過程の中でどの辺に位置付けられるのかというのを押さえておく必要があるのではないかと思います。
 大分市に限らず、都市の歴史的な発展時代区分というのは色々考えられますが、大分市の場合は昭和40年代、1965年以降、非常に急速な発展を遂げる。これは、市町村合併をし新産業都市に指定され、急速に発展し人口が増加する。そういう都市の発展期から1980年、90年代に入りまして成熟期を迎えているのではないかと思います。都市が成熟するという、一般的に成熟という言葉からイメージすることは、豊かになっていく、或いは骨組みに肉が付いていくというイメージがあるんですけれども、私は大分市が骨組みの整備が終わって、それを活かして肉を付けていくという時代に入っているのではないかと思っているんです。今回の大分駅周辺総合整備事業につきましても、そういう成熟期であるということを十分認識して整備する必要があると思います。
 二つ目に国土の位置付けといたしまして、昨年の3月に閣議決定されました21世紀国土のグランドデザインの中で、3つの国土軸が新しく設定された訳ですが、その中で我々が考えて一番大事だと思っているのは、太平洋新国土軸なんですけれども、この太平洋新国土軸の西の端に位置付けられる大分市である。恐らく国土軸が姿を現すときには、大分市は中心的な位置付けになっていくはずだということを考えていく必要がある。そういう中で、現状で日本の中でどういうふうなイメージで受け入れられているかと言いますと、45万になろうという都市なんですけれども、日本全体の中ではそういうイメージを持たれていない。要するに、45万都市としての実力が全国的に認められていないということではないかと思うんですね。45万位の都市で例えば北陸の金沢を見ると、非常に有名な都市として認められています。色々な調査をやる中で、金沢は全国の人達が住んでみたい都市のかなりトップクラスにあげられている。
 次に、色々ある中で九州における位置付け、或いは大分県における位置付けというのがあるんですが、大分県における位置付けを考えてみますと、これはよく言われるんですが、大分には県全体のいろんな機能が集積し過ぎているんではないかと。都市機能、地域機能、中枢管理機能というものが大分に集中し過ぎていると。この<オアシスひろば>にしても、なんで大分にこんな立派なものを造るのかと、もっと別なところに分散した方がいいのではないかという議論もありますし、それから今建設中のワールドカップが開催されるドームにつきましても、そういうふうな傾向がある。だけど、大分県全体を考えてみたときに、大分市が県全体のリーディングエリアとして役割を果たす必要があるだろうと思うんです。その為にも大分市は頑張って色々な都市機能を整備する必要がある。そういうものの中に、今回の駅南の整備事業も位置付ける必要があるのではないかと思っています。
 そこで、具体的に駅南にどういうことを期待するかということですが、大分市だけでなく、県都の都心空間にふさわしい、他の地域に対しても誇れる都心にすべきだと思います。私はあまりテレビを見る時間がないんですけれども、朝、各地のリレー中継なんてものをよくやりますけれども、それを見ますと、あまり大分が中継されたことが少ないですね。天気では出てきますが、大分市のいろんな都市空間だとか、景観だとかそういうものが我々が見ることの出来る意味でのリレー中継というのはあまり見ないのではないかと思います。それから例えば絵になる景観というものが大分市にはあるのかと。大分市は九州の県庁所在地の中で定期観光バスが走らない唯一の都市だと言われているんですけれども、そういう意味で他の地域に発信できるような良い景観というのがあまり見られない、経験することができない。それから街の中で子供が写生する場があるのかと。先程まで2階に小学生の皆さんが見に来られていましたけれども、街中で小学生が写生をしている場面というのにほとんど出くわさないですね。実は今年の9月に、イタリアを廻ってみたんですけれども、たまたまミラノの街角で日本人の子供達が20、30人写生をしている場面に出くわしました。日本はよほど写生する場所がないのかなと思ったんですけれども、子供達が写生するような場面を作る必要があるのではないかと思います。
 それから都市を紹介するような本もあまり日本では見ないです。観光ガイドはありますが、その都市の造られ方とか、その都市が自慢するものを編集したような本もあまり見られません。そういう本はヨーロッパに行きますと、先ほど磯崎さんが紹介されてましたフィレンツェだとかミラノだとか、そういうところに行きますとかなりたくさん本が出ていますね。そういうものが日本、大分にはほとんどない。外国に行きますと、都市計画の博物館というものも結構ありまして、その街がどういうふうに造られたのか、どういうふうに設計されたのかということをひとつの博物館の中で紹介しているというものも見られます。こういう都市が誇るべき空間を持てるような事業に、今回結びつけていって欲しいなと、本を作れる、或いは子供達が写生できるような都市空間を造って欲しいなと思います。
 期待することの2番目なんですが、市民の日常生活に対して変化が期待できるような事業。市民がワクワク出来るような空間であるべきだと思います。今我々がいるオアシスひろばは、大分市民に対して非常に大きなインパクトを与えたと思います。私も基本構想の策定に参加させていただきましたけれども、その時に構想したことというのは、大分県民、市民に対して新しい都市生活の一面を提供できないか、できるようなことは何かということを考えたんですね。例えばアフターコンサート、コンサートホールがありますが、コンサートが終わった後に楽しめるようなこと。それから着飾って街を楽しむ。或いは、このオアシスひろばと街空間の関係を理解できるような仕掛けはないかと、そういうようなことを考えました。ホールだとか劇場と街の関係
を見てみますと、日本では東京の渋谷と東急文化村だとか、それから新宿と第2国立劇場、東京オペラシティーですけれど、そうような関係。それから、イタリアではミラノのガレリアとスカラ座とかですね。まさにこのグランシアタとガレリア竹町というのを私達は考える必要があるのではないかと思います。
それで、駅南をどういうふうな街にするかということを考えたときには、いわゆる広場だけということではなくて、広場を取り囲む街空間、そういうものをもっと議論していただきたいと思います。ただ今回は、シンボルロードが主体の議論ではありますけど、私はそういうふうに思っています。そういう街空間の中にシンボルロードがオープンな広場として空間を占める。オアシスは閉じられたクローズドなアトリウム、いわば広場ですけど、駅南の場合は非常にオープンな開かれた広場であるべきではないかと思います。
 期待すること三つ目なんですけど、交通結節、或いは交流だとか文化情報、景観や都心居住そういう21世紀の都市の姿をリードする都心としての役割。これは駅南だけでは成立することではありませんので、駅の北側との連携によって都心の魅力を十分演出できるようなことを考えるべきだと思います。
 
秋口氏
 ありがとうございます。ワクワクするような空間とか絵になる景観ということなんですけど、後の方で、佐藤さんから海外や他の例をしていただきました。少ないとおっしゃいましたけど、大分で例えば写生できるこういうところがあるじゃないかというようなところを、ちょっとこの4人の終わった後に一言触れてみて下さい。そうじゃないとなかなか想像がつかないというようなこともあるかもしれません。ありがとうございます。それでは、平木さんどうぞよろしくお願いします。
 
平木氏
 私はちょうど今から6年前、93年の8月にこの基本計画が発表されて、その直後の9月1日付けで赴任いたしました。それから2年半いたんですけど、9月3日にこの駅の南の地区にある石井工作研究所さんという会社の本社ビルの落成式に参りまして、その時市長も知事も見えられたんですけど、大分の右も左も分からないうちに真っ先に参りました。その日は大変な大嵐になりました。13号台風。日田の方とか色々ありましたけど。ということでこのテーマに関しては当初から非常に関心というよりも、いつも気になっていました。
 さて、その後、市のご説明やパンフレット等を拝見し、実際に何度もあちらの方にも見学に行ったり、色々な人のお話を伺ったりしているんですけど、今日のお話の中でも何度も出てきているんですけど、幅員100メートルのシンボルロード。ところでこのシンボルロードとは何のシンボルなのか、まだどなたも説明をして下さってないですね。こういうのが行政とこういう優れた計画を立てる専門家の方々、当然わかっているのだろうということでお書きになるのかも知れないのだけど、実は市民にとってちょっとわからない。文句を言っている訳ではないんです。今日みたいなこういう場を通して、これを大分のみんなの何のシンボルにしていくのか。誰かがこれは何のシンボルですよと教えてくれている訳ではないので、逆にみんな一人一人で、或いは外部の人、内部の人、地域に住んでいる方みんなで、これ何のシンボルにしていこうかということをじっくり考えていきたい。更に100メートルという幅員はどうして100メートルにお決めになったのか。これも私説明を受けていないので、これも言い換えれば、2000年を迎えるので2千円札を出そうという総理大臣もいる訳ですから、100メートルというのは、100年の大計で大分自ら築き上げていくんだ。それ位じっくり構えてですね、100年の大計を考えたら最初から少し大きめに造っておいた方が後中身も盛り込んでいきやすいですから。100メートルを否定するものではありません。むしろ大きめに確保しておいて、それで中身を整備していったらいいのではないかと思います。
 それで、シンボルという言葉の謎かけを私されてた気分がずっとあるものですから、私の方からも言葉遊びをひとつ。秋月さんや佐藤さんのお話も踏まえてですけれど、皆さん大分市の地図を思い浮かべていただきたい。私は当時転勤族で、住んでいたところが事務所の上で場所が県庁の目の前です。転勤族というのは大分に来た人ですから、大分から大分県の隅々、更には九州の取材に行くのが役割だったもので、私は大分に関して南北の感覚がひっくり返っております。ですから海の方が北ですよね。海の方が南というような地図です。
 私はこの大分のまちづくりのキーワードといいますか、シンボルという言葉を説くカギはAからC、Aの時代からCに発展させていくんだと、これが言葉遊びです。ちょっと考えていただきたいんですけど、大友館から県庁の前を通って府内城址に行きますね、角を曲がって大分市役所、それから大分銀行の所を曲がってトキハの前を通って大分駅これで終わり。Lという字になっていますよね。今度の駅の高架化と駅南の整備というのは、これをLで止まっているのをUにすることだ。Uというのはアーバンですね、都市にちゃんと整えることだと。それでその北側には文化ゾーンである上野丘、美術館など散策しながらまたぐるっと廻って来られる。そうするとOになる。大分になる訳ですね。そんなふうに考えていますけど、さっきはAからCと言ったのにCではないじゃないかと。今大分のOのままではやはり外に開かれてはいない。そしたら筆記体のBにしたり、Oもこう(@)書いてみたり、ちょっとヒゲを付けると外とのつながりも出てくる。AからCと申しましたけど、Oをちょんとすると高速道路の大分のインターチェンジとつながって、九州の色々なところとつながる。Bと書くと別府を通って大分空港の方ですね。
 そもそも大分の都市の歴史的な発展、或いは経済発展、これも最初Lと書きましたけど、こう(A)いうふうに筆記体で書きますと、過去の450年前の栄光の中心地から県主導で色々ことが進んできた時代、特にAで新産都で大きく発展し、そしてそれが実は駅の南の方には行かないで大分空港にはつながっていく。或いは海の方につながる。これをCという形に整えていくのが、これからの大分のまちづくりではないのかなと思います。実は、在任中散歩しながらもそういうことを考えていました。Aと言うのは大分が新産都のことを初めとして大きく規模的に拡大していくことを目指した時代。ラージの頭文字ですね。これからはCというのはクオリティーの頭文字。規模の拡大を目指すことももちろん大事でしょうけれども、質の高い暮らしとか、質の高い環境とか、そういうクオリティーを大事にしていくまちづくり、それが大分のこれから目指すまちづくりの物語じゃないかなと、私は勝手にそういうふうに考えています。Aの時代からCの時代へひっくり返しますとクオリティーライフとなります。ひとまず。

秋口氏
 ありがとうございました。多分皆さんは大分のここで住み働いておられますからAだ、Uだ、Cだ、Oだというのは頭に思い浮かばれたと思うのですが、今のような部分をもう少し次の時に付言をしていただけたらと思います。ないしは実現化というようなところでもう少し話をしていただけたらと思います。
 それではサラさんよろしく。レディーファーストなのに今日は一番最初、後にして申し訳ありません。

サラ氏
 全く素人の外国人の意見で申し訳ないんですけど、どうして県都の大分市の位置付けが一番理想的に思っている理由をいくつか申し上げたいと思います。
 最初は明らかな理由なんですが、外国人と日本人の観光客が大分に来るとき、最初に大分駅に着きます。そして駅を出ると他の日本の都市と同じようにデパート、ネオンの看板や高層ビルの景色を見ます。ですから、どうせ中心的な大分市に来るのであれば、大分駅の南口にも出てもらい、緑あふれるリフレッシングな新しい都市づくりを見てもらった方がいいのではないかと思います。
 二つ目の点につきましては、県内の人口の一番多い大分市には、都市生活の便利さなどの利益をエンジョイできますが、自然が少なくてストレスと疲れがたまりやすい傾向があります。そしてもし外でくつろぎたければ、大分市を出て湯布院や九重に行かなければなりません。ですけど大分駅の裏に公園や広場ができたら、市民にとってこれは近くて便利なストレス解消ができる場所でもあり、家族が遊んだり、よくコミュニケーションをとったりする場所でもあり、とにかくこういう事業を大分市でするのは様々な人々にとってはプラスになるしか考えられないと思います。
 三つ目の点につきましては、大分駅高架事業と大分駅周辺総合整備事業によって、大分市と大分県ももっともっと現代的なイメージになるにつれて、県民のプライドを高めさせる影響を与えるのではないかと考えられます。
 最後になりますが、期待する点につきましては自分の経験から言わせてもらいます。大学生の時、1年間京都に住んでいました。私のホームステイの家は京都の植物園に近くて、天気の良いときとか一人でゆっくりしたいとき、必ず植物園に行きました。普通の公園でもゆっくりできますが、植物園はおしゃれな感じがするし、デートスポットとか観光名所になる可能性もあるかと思います。そして外国の感覚で言うと、もし大分で公園にしても植物園にしても大分県になかなかない日本の伝統的な庭を造って欲しいです。大分には京都ほどの庭の歴史はないかもしれませんが、洋風の公園をするよりも日本、そして大分の特徴を活かした方が、私を含んで外国人にとって面白いのではないかと思います。以上です。

秋口氏
 ありがとうございました。ちょっと後の方で、街の中で植物園のような公園、確かに100メートルのシンボルロードだとか広場がある。だけど、そこを例えば磯崎先生のおっしゃったように、オープンスペースにして人がにぎわうという考え方もあるし、木を植えてデートスポット的に使うというのもあるみたい。オープンスペースにした方がいいか、木があった方がいいのか、こういう部分を佐藤先生に先程のお話を聞いた後、サラさんにお願いしたいと思います。
 それでは、佐藤先生先程の大分で絵になるとかいうことについてお願いしたいと思います。

佐藤氏
 本当にないのかというと、そうではないんです。ちょっと刺激的な発言になりすぎましたが。
 都市景観を研究しているということで先程ご紹介いただきましたけれども、実は大分の府内城が今、火災で消滅して何百年か経っているんですけれども、大分の中心部の景観ということを考えたときには、府内城の跡地が非常に重要なポイントだろうと思います。私どもはあれを復元すべきだと考えている訳ですけれども、今でも結構石垣も非常にきれいだし、唯一、景観の要素というか、大分市全体を含めても非常に重要なポイントだろうと思います。あれは写生の対象になるかと思っています。
 それと、大分市は小さい景観の要素だけではなくて、地形の構造だとか、いわゆる大景観と言っていますけれども、そういうもののおもしろさというのは結構、あるんじゃないかなと思っています。例えば高い所から見ますと、非常に迫力のある景観が広がっているというのは、これだけの都市では珍しいのではないかと思っています。

秋口氏
 ありがとうございました。どうも、そうすると、上野丘の公園には美術館もあり、脇は墓地ですけれども桜の季節がきれいだと聞きますが、そういうところを是非とも活かして、海に向けてひとつの軸線というこの構想をもう少し内容を盛りつけながら、こういうことでしょうか。

佐藤氏
 都市の軸というのは非常に大事だと思いますので、重要な位置付けだと思います。

秋口氏
 ありがとうございました。サラさん、先程のオープンがいいか、木がいっぱいあった方がいいかということについて何か感想がないでしょうか

サラ氏
 そうですね、できれば両方がいいですけど、とにかく大分市内に自然が少ないじゃないですか、木とかお花が少ないと思います。だから植物園風の公園ができたらいいなと思います。別にデートスポットだけじゃなくて、恋人同士が行く所じゃなくて、友人達や家族でもいけるような所を造った方がいいんじゃないかと思ってます。
 
秋口氏
 ありがとうございました。なぜその質問をしたかというと、これからシンボルロードであるとか広場ということをどう造ったらいいか、どういうふうに使ったらいいかというと、たぶん皆さんの中で非常に広い意見が出てくるだろう、そういうことの中で、意見を色々聞きながら、多数決で決めるのは良いとは思いません、なるべくいろんな意見をもらい、段々重ねて集約していくことが必要かな。そうすると広場はオープンか木をいっぱい植えるかというのは、ひとつの全く違った概念だけれども、位置を変えるなり、作り方で工夫するとかということもあり得そうで、計画の話の中で色々突き詰めた話を、設計の中で活かす工夫をしていくということで、計画を具体的に進めていただけたらと思います。
 時間の関係がありまして、私がしゃべると非常にタイトになりますので、今日の1幕の話からすれば、21世紀の都市の姿をどうするか、ないしは都市構造という形で、Aの形からUにして、Oにして、例えばクオリティーというCの形にして、もう少し外に向かって開こうとか。それから、今回造るようなシンボルロードと広場を含めた駅南の所、これは、高架によって分断されていたけれども、北と南が握手して、人が集まりやすい、そういうような磯崎先生がおっしゃったような、あるプラザと言いますか広場、こういうような概念がどんどん広がっていった方がいいのか。このようなことがいくつかポイントになったような気がします。
 それでは、次の幕に移りたいと思いますが、今の様に考えていることをどの様に実現するか、そういうことで気をつけたりする点、ないしは先程の点で他の方々のおっしゃった話に触発されて、ちょっと一言あります、というような点が有れば触れていただけたらと思います。今度は、逆にいきましてサラさんからお願いいたします。

サラ氏
 これから実現するのに気をつける点といいますと、まず一つは、公園とか風景の施設を造るときに、将来を考えた上で、例えば50年間、100年間後、県民にとって意味があるもの、そして大切にしたいと感じさせるものを造るべきだと思います。
 二つ目は、さっき言いましたが、せっかく日本、大分で造るのですから、日本と大分の文化、そして建築、歴史を活かした方がよいです。
 三つ目は、この施設とか公園が大分駅に近くて、初めて大分に来る観光客が多いと思いますから、大分についての情報センターもできたらどうかなと思います。そしてできれば、英語や韓国語で書いてある情報を提供できるサービスがあれば、外国人も非常に助かります。
 最後になりますが、外国人の私にとって緑の芝生はくつろぐ場所です。以前日本の公園で芝生の上にいたら、注意されたことがあります。アメリカで考えられないことです。見た目だけじゃなくて、本当に市民がくつろげるように芝生を多く造って欲しいと思います。以上です。

秋口氏
 ありがとうございます。要するに、そこにただあるということよりもそれをどうやって使うか、だから楽しむんだということですね。
 ありがとうございます。平木さん、お願いいたします。

平木氏
 大分の一つの良さというのは、人口規模に比べて今まで中心市街地の規模が小さかった。当時のことを思い出しますと、大分のことを紹介する特集を書くときに、「高校生都市大分」というふうに書こうと思って市長にお話を伺ったら、「いや、中学生です。」とおっしゃった。60万都市を目指しているけど、まだ20万都市の中心機能しかないからだ。そういう意味では、これから色々夢を語り具体化していくんだと、そういう趣旨だったんですけどね。まだ高校生から大学生位かなと思うんですけど、実はたくさんの団地があったりして人口規模は非常に大きい、大分県の3分の1がこの大分市周辺に集まっている。だけどあの小ささというのは歩けるんですね。私もよく遊歩公園を歩きました、目の前でしたから。遊歩公園を歩きながら、府内城を通ってトキハに買い物に行ったりしました。
 ちょっと余談ですけど、遊歩公園の彫刻を並べ替えて下さいと市長にお願いしたこともあります。リフレッシュ事業第5弾ですか、いずれお願いしたいと思います。今色々彫刻が並んでいますけれど、大分のことを人に説明するのにも良い。それを先程のAと言いますか歴史軸から言いますと、大友館の方というか金池の方から府内城の方まで、できたら歴史順に並べて欲しいなと思います。それからもう一つ、遊歩公園で思い出しました。今度のシンボルロードをどういうふうに造るかという時の非常に身近な参考になるものが遊歩公園だと思います。遊歩公園は、真ん中を歩いている人は意外に少ないんですよね。砂地で歩きにくいということもありますけど。道路を県庁側にして公園部分をもっと府内町側にくっつけて欲しいとお話ししました。それは私の所にくっつけて欲しいというよりも、若者が集う府内5番街とかこちらの中心地に付けた方が便利というか良い雰囲気だと思います。駅南のシンボルロードを考える時のひとつの参考になるかなと思っています。
 それで、やはり何のシンボルか。上野丘を目指すということが、クオリティーの高い大分にしていくということが、これからのシンボル的な意味があるのではないかと思います。ここで非常に重要なことは、皆さんまだどなたもおっしゃっていないので申し上げたいのですが、駅南地区に今もたくさんの方が暮らしておられる。開発にもう皆さん地域で同意されて、土地区画整理事業など着々と進んでいますけれど、やはりそこに住んでおられる方がより住みやすい、住み心地の良い街にしていく、そしてこれからあそこに住みたいなと思う街にしていく、そういう街だから人が集まってくるということが原理原則ではないかな、まちづくりのことを考えるとそれが大事ではないかと思います。
 それと、サラさんにもちょっと伺いたいんだけど、文化を目指す、環境の良い都市を造っていく、そういう象徴の意味合いがあると思うんですけど、デートスポットにするには木はどの位植えたらいいんですか。(笑) この大分市内は歩いて楽しめながら行ける、それで駅を越えて南側に行って、また文化交流施設にプラザができて、そこと道路が一体化して、そこら辺は広々とした芝生で、段々デートしやすいように少し木を植えて、そしてそのまま景観的にも段々緑を濃くしていったら上野丘にきれいなグラデーションでつながっていく、そんなアイデアはどうですか。
 住んでいる人と、行きたくなる街ということでひとつだけ言わして下さい。市や不動産会社さんとかそういうところに、きれいなコンクリートでビルを周辺に建ててもらうのではなくて、それも大事かもしれませんけど、駅の南の雰囲気のひとつに居酒屋。芝生の近くは先程スライドを見せていただいたようなカフェに人が集うような感じ、ちょっと一筋入ったらちゃんと居酒屋がある。そういうのが息づいてる街ではないかと思います。今の南の雰囲気も或る面大事にしながら住みたい街にしていきたいなと思います。

秋口氏
 大人の街ということですかね。

平木氏
 そうですね。大学卒業したら、大学生も飲んでいますけど、高校生は飲んじゃいけませんが、もう高校生都市からお酒の飲める街にする。

秋口氏
 はい、それでは佐藤さん、お願いします。

佐藤氏
 先程、平木さんがシンボルロードが何のシンボルかとおっしゃiいましたけど、実はこれ事業名でシンボルロード事業というのがあって、それがそのまま使われているんじゃないかなと思うんですが、私としては別に大分の何かの象徴をここで実現しろという意味でのシンボルロードというよりは、むしろこれはこの道路、或いは広場が大分のシンボルとなるという意味でのシンボルロードというふうに考えた方が良いんじゃないかと思います。
 それから先程、広場の話がずっと出ていますが、磯崎さんの結論は「日本には広場がなかった」ということなんですね。これは磯崎さんの話の中にありましたけど、いわゆる市民階級というのが日本にはなかった。だから民主主義的な討論とか決意をやる場としての広場がほとんど必要なかったという意味だと私は理解しているんです。広場を必要とした社会システムが無かったということですね。今はいわゆる直接民主主義がなくなって間接民主主義ということで、議論の場が議会の中に入ってしまった、いわゆる都市のなかの広場の使われ方が大きく変わってきているんだと思います。そういう意味で、使われ方が変わってしまった広場、これはやはり今から我々が模索すべきではないかと考えます。
 それから先程、木を植えるか植えないかというお話があるんですが、これは公園にするか広場にするかということで大きく違ってくると思うんです。やはり人々が集う場所、交流する場所ということから言いますと、リフレッシュする場所としての公園と広場は違っているだろうと思います。ですから今回のシンボルロード事業のどの部分を広場的にするのか、或いはどの部分を公園的にするのかということは考えておく必要があるのではないかと思います。先程、平木さんは北の方から、駅に近いところから公園に向かって緑のグラデーションが実現することが良いのではないかとおっしゃいましたけど、要するに北の部分、より駅に近いところが広場的で南の方に行くと公園的である、そういうつながりが良いのではないかということは、私もその通りだと思います。
 それから同じく平木さんのお話のなかに、県庁横の遊歩公園が真ん中にあるから非常に使われにくいとおっしゃったんですが、あれも公園という位置付けですので、広場としてはああいう形では無理だと思います。やはりどちらかに寄せるということの方が良いだろうと思います。
 皆さん方のお手元に配られていると思うんですけど、この駅南まちづくりシンポジウムリーフレットの裏側に、駅南まちづくり会議とか駅南まちづくり公開公聴会での意見に基づいた一般的な整備イメージ、左の方に二つ絵があるんですが、一般的な整備イメージとそれからその下に公開公聴会等のご意見による整備イメージというふうに二つ絵があるんですね。この大きな違いは何かと言いますと、シンボルロードと駅南の情報文化新都心に位置付けられる一番重要な施設であります複合文化交流施設ゾーンをうまくくっつけるかどうか、くっつけた案が下ですね、全く両サイドに道路を付けてシンボルロードが島になっているというのが上の案です。下の案の方が良いんじゃないかと事務局の方で作られている訳です。広場としては下の方が良いなと私は思います。先程、磯崎さんのスライドのなかにもフィレンツェの広場が出ておりますし、あれを見ましても広場に接して市庁舎がある、或いはウフィーツィ美術館があるとか、要するにあの広場の中を車が通り抜けることもできるんですけど、広場的な空間とそれを取り囲む施設がかなり上手く接しているといいますか、逆に言いますと広場と建物の間に、車の空間でもない通路空間でもない広場空間でもない、いわゆるグレイゾーンみたいなものがありまして、そしてそれが上手くつながっているという関係性があるんですね。そういうことから言いますと、この道路で分断するよりもつなげていった方が良いんじゃないかと思ってます。ですので<シンボルロード>と赤い字で書いておりますところを公園にするのか広場にするのかというのは、これをくっつけるのかくっつけないのかの非常に大きな分かれ目になるのではないかと私は考えております。
 それから、これを実現するためにということで申しますと、情報文化新都心となっているんですが、先程私申しましたが、それを取り囲む魅力的な街空間、魅力的な界隈を創り出すことが大切ではないかと考えております。事業の手法といたしましては、区画整理事業を適用しているんですけど、区画整理事業というのは基盤整備には非常に効果的な役割を果たしているんですけど、まちづくりという観点からいいますと、やはりなかなか難しいですね。ですので今回のこの事業のなかで、区画整理事業を1歩も2歩も踏み越えた高い水準の計画に持っていくということが必要じゃないかと思っています。以上です。

秋口氏
 ありがとうございました。このパンフレットの裏に書いてある部分について、これは今まで市が関係する専門の方々とか市民の方々とか色々と話をしているなかで、その意見を段々集約して、こういうようなものがふさわしいのではないかというような形におよそまとめつつあるというような状況だと思われます。その部分について詳しく背景も含めてお話していただきました。
 ありがとうございました。秋月さんお願いします。

秋月氏
 私は先程、駅南のまちづくりを大分市のいわゆる中庭にしようと提言しました。中庭というのは、人が集まり、しゃべり、語らいそして楽しむ、このような雰囲気が必要です。そういう街にしたい。同時によそから訪れる旅人には、大分の駅から降りて歩いて何か印象に残ったなといった味わい、雰囲気を与えるようなまちづくりにしたいと思います。
 具体的にどうするか、私案をご紹介します。やはりシンボルロードを中心にしてまちづくりをすべきではないか。先程歩くということをお話しいたしましたけど、やはりシンボルロードの整備をしていただいて、そこは100メートルありますのでそぞろ歩き、子供を連れて歩ける、或いは老人の方が奥さんと歩ける、そういったところにすべきではないだろうか。それから、上野、元町のいわゆる歴史、文化ゾーンから歩いてきて、竹町の方に行ける。こういった一つの歩くロードにしても良いんじゃないかと思います。同時に先程街路が幾つもあると申しましたが、街路以外に2カ所、大道北児童公園、金池南街区公園がそれぞれ0.3ヘクタール程度あるんですが、例えば、大道北児童公園を四季の草花公園にする、そこを全部草花にする。あそこに行ったら四季の草花が見られるよと、こういった公園にする。それから金池南公園の方は、今戸次の吉野には石工さん、石の彫刻家さんが多くいますが、その方々が自分の作品を展示する。あそこに行けば、大分の彫刻が見れるよ、こういった一つの目玉を作る。そうすると街路を通り、シンボルロードを通り、そして先程話しました囲む街路を通り、歩く回廊ができるんではないか。同時に駅から竹町の方に行ける。歩く回廊づくり、こういった歩き方があるのではないか、これが一つ。
 もう一つは、集まるということを私は言いました。事実、人が大分市の各地から集まります。集まった場合どんなことをしたらいいか。私は複合交流施設として児童館を造る。各地域から子供連れのお母さんが来る。この児童館で絵本を読む、或いは子供とゲームをする、そういった楽しいひとつの施設がいるんではないか。また年寄りが囲碁をする、将棋をする、或いはおしゃべりをする、簡単なワープロも学べる、そういった研修場もそこに設けても良いんじゃないか。そうすると、集まり、おしゃべりができると思います。
 それから、楽しむということにたった場合には、広場を色々な催し物に解放することです。例えばがらくた市があるでしょうし、朝市もあるでしょうし、或いは大道芸人も来るでしょうし、今大分市では夜若草公園辺りでギターを弾いて歌っている青年がいますね。ああいう青年にそこでやってもらって大道芸人的な賑わいを持たしたら良いのではないかと思います。
 もう一つは、この周辺を行き交う人々に美しいという感じを与える必要があります。そこに居住する人の玄関前を草花や植木できれいにすると、よそから来た人は、大分の駅の南に行ったら街並みは良いし、各家々にはきれいな花があったよという印象を与える訳ですね。ドイツではそういう街路に面した家のガラスには必ずお婆さんが拭くようになっているそうです。お婆さんが毎日外からきれいに見えるように拭いてるんです。そういった市民感覚を私達も持たなければならないと思います。
 こういう開放的な広場、或いは施設を造る場合、できたらここに造る施設はログハウスといいますか木材を使って頂きたい。大分県は間伐材がたくさんある。駅の南側に行ったらほとんど木材の建物があって非常に心の安らぎが感じられる、温もりが感じられる、そういった一つの道具も必要ではないかと思います。
 それから、できましたらあそこは歩くということを前提といたしますので、できるだけ自動車の利用は最小限に抑えていく必要があるのではないかと思います。それと災害時の危機管理の問題なんですけど、色んな事故が今起きています。やはりあそこの広場はいざとなれば住民の避難場所になるんだといったような措置も必要ではないのかと思います。以上です。
 
秋口氏
 ありがとうございました。コーディネーターは時間と内容の両方を考えながら行動しておりまして、一言しゃべりたいんですけど時間が惜しいものですから、どういうことに気をつけたらいいのかということについて4人の方にお話ししていただきました。
 それでは第3幕の方に移らせていただきますが、今日のこのパネルディスカッション等で色々とご意見やご質問、ご提案についてお二人程度できましたらいただいて、今日のパネラーの方々で応対をしていただこうかと思います。どなたかおありでしたら手を挙げていただければ幸いですが。

参加者
 市内に住んでいる石川といいます。先程、佐藤先生から話が出たんですけど、シンボルロードの取扱いでございますね。今日パンフレットを見て非常に良い案といいますか、新しい案が提示されているみたいで、この広場の有効な活用の方法とか具体的な案が出ているんですけど、計画自体はどういうふうに進んでいるか分かりませんが、是非こういう効率の良い案で進んでいただきたいと思います。具体的に道路の位置が変わったりしますので、パネラーの方がどう評価されるのかを一言お聞きしたいと思います。私は今まで行政の方は、いったん計画が決まったら絶対変えないと思っていました。訴訟でもやらない限り基本計画を変えないという印象を持っていたんですけど、これだけ市民の意見を吸い上げていただいて、市役所の方で柔軟に対応していただけるような姿勢が出ていますので、非常に我々市民としては楽しみにしているというか、そういう思いがあります。そういうことも含めまして行政の対応、それからこういった広場の有効な活用の仕方をパネラーの方に一言お願いしたいと思います。
 それともう一つ、この絵には載っていないんですけど、先程から緑地と広場の一体的な使い方ということで、この下の方の絵によりますと中間地点で道路に分断されているようなんですけど、大分の平和市民公園は国道197号線を人工地盤で上をまたいでいますね、ああゆうイメージでつなげてもおもしろいと思います。そうゆうことを含めて評価がありましたら、一言お願いいたします。

秋口氏
 ありがとうございました。
 これについては、佐藤先生、申し訳ありませんがお願いしたいと思います。一言その前に、行政は計画を変えないという部分に関しては、昨今は時のアセスメントという言葉のなかで、長く事業をやっていても果たしてそれを続けるべきかどうかというのがひとつの根でしょうし、磯崎先生がおっしゃっていたように、今まで建築家として都市計画に色々言いたいこと、もしくは提言したいのに聞いてくれなかったという部分は、大きな時代の流れのなかで、やはり協働ということでというか、今までは住民参加ということでしたけど、参画、協働とこのような形になってきているとも思います。今回の場合も言ってみれば、市はこうやって計画を立てたからやるぞというよりも、今までも色々な話し合いをし、但しご不満は完全に100パーセント無くなるとは思いませんけど、少なくとも聞きながら一生懸命ハンドル操作をしていくというのがこれからのまちづくりの大事なポイントかなと思います。
 佐藤先生、今の点について総括的で結構ですからお願いします。

佐藤氏
 そうですね、先程私もちょっと触れた部分だと思いますけど、この上の案と下の案と決定的に違うのは、上の案は両サイドに同じレベルの道路を南北方向に向かって走らせている。それではやはりシンボルロードと書いてあります広場をイメージしたこの部分が孤立していくんではないかという問題。それともう一つは複合文化交流施設ゾーンとの結節が非常に悪いということで、この部分と連続的に使うことの方がもっと良い使い方ができるんではないかと思った訳ですね。
 下の案においても丁度庄の原佐野線、下をカットして溝のような形として当初計画されておる訳ですけど、これと木が植わっております公園的な部分と上野の緑をつなげていくようなことは非常に大事なことだと思います。いずれにしても下の案というのは、広場と街空間を一体的に使えるようなことをかなりイメージして作られているということです。
 それから、当然駅の南は整備が進んできますと交通的にも非常に重要な位置付けになってきますので、かなりの道路交通量になってくる、そういうことも予測しましてこのような案になったのではないかと思います。
 
秋口氏
 ありがとうございました。それではもうお一人。

参加者
 市内に住んでおります三ヶ尻と申します。先程、平木先生のお話のなかで、駅南に住んでいる方の気持ちということを触れられておりました。私も駅南に住んでおります。自分は一生ここで死にたいというつもりで家を造ってきました。しかし、こういう事業が始まりまして減歩という、家屋敷を取られるということ、無償ですよ、平木先生はその辺の我々の痛みを感じ取っておられたような言葉使いで大変ありがとうございました。
 もうひとつ、秋月先生の方にちょっとお話をしたいと思います。ずっと前は鉄道で南と北が分断されてどうだこうだということで、いかにもこの鉄道が邪魔になるといような印象を私は受けました。しかし戦前戦後、鉄道があったからそれで安い運賃で物を輸送したから、東京の街のなかで食べる米も大分の田舎で食べる米も値段が同じでした。それで今、平和があります。後の方の話でこのまちづくりについては、住んでいる人の家の前に花を作るとか何とかそういうきれいな言葉を言ってましたが、土地を減歩されてその上、花も作れ、きれいにしよとか言ったってそれはとてもじゃないですよ。あなたは我々の区画整理のなかにいる人間の気持ちが十分に分かっていないと私は思います。あなたが住んでいる南下郡ですか、あの辺は田んぼがたくさんあるから区画整理をしても痛くもかゆくもない。

秋口氏
 ちょっと恐縮ですが、質問か何かの件で集約して下さい。

参加者
 もう止めますがそういうつもりでね、区画整理にあう人の気持ちも汲んで発言をしていただきたい。  

秋月氏
 わかりました。私が先程分断と言ったのは、大分市は一体として昔は使われていたこと。ところが鉄道ができて踏切が出来たので、流れというのが若干遮断されたのではないか。今度流れが一本になるんで、物の流れとかいうのが変わりますよと。そういうことを前提として考える必要があるのではないかと、こう申し上げた訳です。別に鉄道があったからおかしいとか申したのではありません。
 それから先程の家の問題ですけど、やはり私は気持ちとしてはよそから来た人があの辺を散策したときに、何か印象に残るようなことをしたらいいじゃないかと。それがたまたま奈良に行ったときに、そういう街並みにきれいな花のところがあったので、できたらそういうようなことをした方が良いのではないかという私案ですので、別に区画整理の人がどうのとかいう意思は一切ございませんので、ご了解お願いします。

秋口氏
 ありがとうございます。平木さん一言何かございませんか。

平木氏
 今のフロアの方のお話に絡むかもしれませんけど、たぶん都市のデザインというのは、大きなデザインと中位のデザインと小さいデザイン、大、中、小があるんだと思います。例えば「大」というのは、大分全体の交通体系を見たときに地元の方の了解を十分に得ながら庄の原佐野線のようなものをきちっと造るとかですね。「中」というのは例えば市が駅南地区に情報発信拠点を造るんですか、何をお造りになるかわかりませんが、まちづくりの景観も含めて行政がある程度誘導しながらやっていくようなやや広域的なこと。「小」というのはそれぞれそこに住んでる方、そこで事業を進める方、そこでビルを建てる方、そういう方々が自ら全体を考えながらやっていくデザイン。そういう大、中、小がうまく咬み合ったときに都市ができるのではないか。「小」まで「大」の力で全部やってしまうと、それは人工的な街でしかなく生きた街にならない。「小」のままだと大きなことはできない。そういう意味では、カフェも居酒屋もある、きれいな大人の街、住んでいる人も訪れる人も、これが新しい大分のシンボルだと思うようなデザインをみんなで、但し100年がかりで造っていきましょうというのが私の意見です。

秋口氏
 たぶん都市計画も、「大きな都市計画とか父なる都市計画」といって、皆さんがいやだと言っても、例えばどこかに廃棄物の処理場とか造らないとならない、下水の処理場を造らなければならないことがある。それから非常に小さいと言えば、生け垣をどうしようかとか、お隣の住まいの仕方をどうしようかということまであります。果たしてこれを都市計画でやるか分かりませんが、かなり広い範囲で都市計画とかまちづくりをやってる。そういうようなことについてたぶん色々な人の意見を絡めながら、一歩一歩進めていかなければならない。そのようなことを今おっしゃった方々のやり取りとして感じられます。
 実はスタートも遅かったものですから、多分ご意見とか色々なものがおありかと思いますので、黄色いアンケートの所の下に自由意見という欄を入れております。どうぞ感想でも結構ですのでそれに触れて帰りに置いてっていただければ、またそういうものについて市であるとか、またここにおられる方々もそういうものを読みながら、より良い計画づくりを目指していけるんじゃないかと思います。
 それではいよいよ第四幕の方にいこうと思います。かなり時間が押してきましたけれども、パネラーの方、サラさん、平木さん、佐藤さん、秋月さんに、市ないしは市民の方々へ一言、ないしは今日のパネルディスカッションの感想を含んでコメントをいただけたら幸いです。お願いします。

サラ氏 
 3年間県庁の方で勤めたことがあるんですけれども、短い間でしたからあまり行政の勉強を出来なかった、残念ですけど。今日特に関心しているのは、大分市役所の行政はこんなに一般の市民とか私のような外国人の意見を大切にして受け入れようとしているのを本当に感動しています。ですからみなさん今日この機会を逃さずに、市役所の方に本当に思っていること、意見、ご希望を言った方がいいと思います。市民と市役所が一緒になったら、すごくみんながプライドが持てる新しい大分市づくりが出来ると自信があります。
 そして私の話になりますけど、今月こちら大分の人と結婚しました。
  (拍手)
  ありがとうございます。
  県庁の仕事が終わってアメリカに帰る決心をしたら、多分こういう話題を考える必要はないと思いますけれども、これから大分市民の一人として、こういう話題とか話を考えなければならない必要になってきていますから、私もできるだけ他の大分市内、大分県内に住んでる外国人とかに話してみて、どういう希望があるか、何を造って欲しいかという報告を市役所の方に伝えさせていただきたいと思っております。これからもよろしくお願いします。

秋口氏
 ありがとうございました。平木さんよろしくお願いします。

平木氏
 最初パネリストへの質問で、私、あえて一つ答えてないことがあるんです。大分はどういう位置付けの都市か。これは答えられません。逆にいうと全国の都市の中で位置付けがはっきりしているのは東京位です。位置付けというのは、大分が周りからどう位置付けられるかを自分達で創っていくことだと思っています。そういう意味では内発といいますか、もちろん外部の先生とか色々な交流を深める中で内発というのをこれから大事にしていって欲しいと思います。さっきAからCと言いましたのも実はAの時代はそうじゃなかった、違う力で大きくなってきましたけれどもこれからは内発の力で。赴任した9月3日に訪れた会社の名前を具体的にあげてしまいましたけれども、これはまた大分市、大分県の中にある内発型の良い会社の一例として具体名をあげさせていただきました。
 一つだけそういう事でいいますと駅舎をどうするのかなというのが気になっています。あの近くのスーパーマーケットが撤退していくような時代ですから、大きな箱を造ってどこかのデパートを誘致しようという発想はおよしになった方がいいんじゃないか。それよりも駅舎そのものがおしゃれだといわれるようなそういう駅、駅前を整えていただきたいと思っています。私もきれいになった所にまた来たいなと思っています。

秋口氏
 ひょっとするとそのきれいな建物を建てるためには、いろいろなプライベートの方々の応援をもらわなきゃならないかもしれません。
  またそういう時は色々と前向きのコメントをいただけたら幸いです。
  佐藤先生お願いします。

佐藤氏
 やっぱり市民のコンセンサス、これなかなか難しいと思うのですが、いろいろな機会、あるいはイベントを通じてコンセンサスを得られるようなそういう仕組みを作っていただきたいし、それから計画というのは一度作るとそれが未来永劫に渡って変わらないという訳じゃないのですね。やっぱりその時代時代によって要請が違ってくるということもありますので、特にこういう長期に渡る計画については、変化するものであるということをある程度受け入れていく必要があると思います。
 それから広場にこだわる訳ですけれども、広場につきましてはどのような使われ方が出来るのか、どういう使い方を市民が望んでいるのかということをいろんな機会を通じて集めていく必要があるのではないかと思います。
 それから一つだけ、私は景観をやっている関係で、やっぱり視点場と言うか、景観を見る場所としていい場所を作るということを考えていただきたいと思います。先程上野の公園の話もありましたけれども、例えばこれは議論沸騰になるかもしれませんけれども、タワーを造るなんてこともこれは考えられることなんですね。ヨーロッパの都市に行くと必ずドームというのがあって、ドームというのは大きな教会を指しているんですけれども、そこに上りますとその都市の全景、その都市の作られ方、都市の構造が一目で分かる。このオアシスタワーのラウンジもなかなかいいんですけれども、例えば駅南のシンボルロードにそういうものがあってもいいんじゃないかな、これは色々検討しなくてはいけませんが。これは出来るかどうかわかりませんが一つの提案ということで。

秋口氏
 ありがとうございました。秋月さんお願いします。

秋月氏
 これから少子高齢化とか或いは国際化とか情報化とか色々な時代が来ます。しかし、大分は大分なんですね。我々が住む大分を我々の手で、一体どうしていったらいいかということで、お互いに智恵を出し合いませんか。恐らく先程話しましたけれども、駅の高架によって踏切がなくなり、遮断機がなくなると、人の流れというものは大きく変わると思います。この辺りを想定して一体どうするかということを考えていきたいと思います。
 一つ私はJRの方がおられたらお願いしたいのですが、JRの駅舎の作り方についてご配慮願いたい。というのは、下の一階に大分駅の大正時代の写真が展示されています。これは北側の駅の写真なんです。大分駅は昭和24年まで北側にしか改札口がなかったのです。今度南側に降りる訳ですね。お客さんが南に降りたとたんに、「ああ大分か」と何か印象になるような改札口にしてもらいたい。どういうデザインが良いかわかりませんけれども、来た人歩く人が印象に持つような改札口にしてもらいたいとJRにお願いしたいと思います。
 いずれにしても私は大分の人々が駅南の広場、シンボルロード等に行ったら、知っている人に必ず会えるとか、或いはそういう人と話あえるとか、何か目的の持てるようなソフト、ハード共にお互いに考えていきたい。そこから駅南の良さが広く県外まで情報発信できるという願望を持っている一人でございます。以上です。

秋口氏
 ありがとうございました。ほんとはもう一回こんな話をしたいんですけれども、時間を見ながらここで一つの区切りにしようと思います。今日のお話をお聞きいただきまして、もう場合によっては私が言わなくてもいいのかもしれません。
 繰り返しになりますが、一つは鉄道分断ということで、駅裏から駅南、そして新しい都心、こういう形で大分の街の造り方が変わっていく。但し、大分というのを一体どういう位置付けにするかというのは外から決まるんじゃなくて自分達で考えていく。その時に、大きい立場と、中位と、小さい立場とがある。それぞれ住んでおられる方もいるし、例えばこれから大分に色々な機会でビジネスチャンスを求められ来られる方もいるし、いろんな方々が大分を見ている。そういった中で例えば市の方々とか、公共事業体を含んでいろんな方々が、市民の方々と語りながら造っていただきたいなと。
 二つ目はどうやら量から質の時代だということ。具体的には今日はシンボルロードを中心に話をしてきましたけれども、大事なのはどうも量的にただ大きくなるということでなくて中身だぞということだったでしょうか。それから今日のこの絵にありました駅周辺整備事業、駅南の開発、整備というのは、21世紀の大分のまちづくりというのに極めて大切だということは、どうもみなさんのはっきりした共通認識だろうと。今日佐藤先生から色々と具体的に説明していただきました100mの道路広場、どうも本日の議論からすると魅力的で極めて有意義だというのは確かで後はどうもそういうものについてもう少し使い方だとか何かを含めてもうちょっと意見をいただいて、より良いものにしていただく必要があると。ないしはどうも、これは磯崎先生のお話にもありましたけれども、広場という形の中で広場というかオープンスペースがあるだけじゃなくて、その沿道の施設、場合には住宅等かもしれません、そういうものと上手に馴染んでいき、こういうようなものがやっぱり広場を育てていく、お互いに広場と沿道の施設が一体になって街が出来ていく。実はこのところでは交通をどうするか、自動車をどうするかということで不便が出てくると思います。確かに歩けるのが良いと言ったとたんに、自動車がいっぱい通って歩けない。だから実は都心環状をしている訳ですけれども、そういうふうな点で若干不便が出てくる点もあります。いや、そう大きな開発より自分は慎ましくと言った時に、例えばどこに住むか等、一度に区画整理の中で色々話が出てこざるを得ません。
 そういうふうなところについてお互いがやっぱり前向きに語り合っていただけたら、いずれにしても、上野丘まで一体的に100年の計という話がありました、まさに息長く、整備計画、そして色々な建物の整備を誘導していっていただけたらと思います。
 三点目、どうもそれをやるに当たって、プロセスというか過程の問題がある。絵が立派だというが一体どうやってやって行くんだというときに、どうも今回広場の話が大きくなりましたけれども、ここにはいろんな計画が重なっています。高架の事業がそうだし、シンボルロードだとか、街路、そういうようなものについてこういう場だとか色々な場を市の方が準備なさるようですから、積極的にそういうところで提言をしていただき、出来たら参加していただいて、より良いものを目指していただきたい。その中には必ず、大、中、小とか、いろんな点での共通認識を作るのに時間がかかるかもしれませんが、一歩ずつそれを進めていただきたいな。どうもコンセンサスとか住んでおられる方々、ないしは働いておられる方々、こういうような方々の手、これを一緒にしていかないと街は出来ていかないと、こんなふうに思います。
 一つ私自身ふっと思ったのが、「近きのもの楽しめば遠きの人来る」というような言葉がありまして、遠きは誰だ、近くは誰だというのは定義が難しいのですが、駅南の方であり、大分市の人がやっぱり大きく街を変えて、あそこに大きな新しい拠点を造っていくぞ、そうすると大分県内、ないしは九州という人達が「何だ、何だ。」とやって来る。その時やって来る人達より自分達が楽しめるいい街にするということを考えていただけたらと思います。
 どうも上手なまとめになりませんが、16時30分をちょっと過ぎてしまいました。コーディネーターの運営があまり上手ではありませんでしたけれども、恐縮でございますがこんな形で区切りによろしいでしょうか。

(拍手)

 どうもありがとうございました。それではこれでパネルディスッカションは終わりにさせていただきますが、くれぐれもこの黄色いアンケートに一行でも結構ですからご意見等書いてお帰りいただくと幸いです。
 それでは終わります。