このページは1998年12月4日に大分市のトキハ会館5Fで開催された豊予海峡架橋シンポジウムのパネルディスカッションの記録です。

 

「豊予海峡に夢を架ける」

 

 

 
コーディネーター 佐 藤 誠 治(大分大学工学部教授)
バネリスト(順不同) 伊 藤   学(東京大学名誉教授)
  秋 月 睦 男(大分経済同友会代表幹事)
  深 瀬 俊 夫(別府料飲協同組合理事長)
  田 北 裕 之(大分青年会議所理事長)

佐藤誠治 大分大学教授

早速ですが、「豊予海峡に夢を架ける」と題しまして、パネルディスカッションを始めたいと思います。

今日はバネリストといたしまして、基調報告をいただきました伊藤先生、それから県内から論客として3人の先生方、秋月さん、深瀬さん、それから田北さんをお迎えしております。私がコーディネーターということでございますけれども、日頃からおつき合いあるユニークなお考えをお持ちの方達でございます。

私がコーディネーターとしてまとめることが出来るかどうか、ちょっと自信ございませんけれども、一応進めさせていただきたいと思います。

最初に、今なぜ豊予海峡かということなのでございますけれども、先ほど池辺出納長、それから伊藤先生の方からも話がございましたけれども、今年の3月に閣議決定されました新しい全国総合開発計画「21世紀の国土のグランドデザイン」の中に、この豊予海峡ルートがはっきりと明示されたということでこざいます。

いわゆる四全総の中ではあまりはっきりした記述がなかったのです。該当するところを読んでみますと、九州と四国、あるいは九州と中国の広域圏形成のための交通ネットワークを形成するというような形だけで、豊予海峡に橋を架けるというような話はございませんでした。

ところが、今度の新・全総の中では「豊予海峡道路については、長大橋に関わる技術開発、あるいは地域の交流連携の進展に応じて構想を進める」と、いうふうに非常にはっきり書かれておるわけでございます。

技術開発につきましては、先ほど伊藤先生の方から報告がございましたように、十分可能であると。ただ既存の技術でいけば、ピアの間の2,000mが3,000mということになりますので、かなり飛躍的な技術開発が必要ではなかろうかというようなご指摘であろうと思います。

先生のお話の中にもございましたけれども、こういう先端技術に相当する部分というのは、やはり継続していかないとなかなか技術が残っていかない。先生の話の中にありましたように、アメリカではすでに近年開発されてないということでございますので、技術もほとんど蓄積がない。日本の場合もやはりこの豊予海峡にとどまらず、次のステップがいろいろあるようでございますので、やはり技術開発を進めていくということが必要ではなかろうかと思います。

それから、この新・全総の中に組込まれるまでの経過につきまして、これは太平洋新国土軸との絡みがありますので、簡単にお話いたします。かつては第二国土軸というふうに言っておりました。1989年1月1日の大分合同新聞の特集記事で変貌への道という特集記事をやりました。この座談会で平松知事が第二国土軸を推し進めるというふうな決意表明をされたわけです。

実は私もその座談会にでておりました。ちょうど10年前の12月に、この第二国土軸を推し進めるということが言われたわけでございます。

当初は国土軸というのが、これはワイズマンレポートに第二国土軸の記述があるわけですが、イコール交通軸という捉え方で議論されていたわけでありますが、その後の動きの中で交通軸というよりも、むしろ先ほどの伊藤先生の話にもございましたが、交流軸と言いますか、あるいは交流圏というふうな捉え方で進展してきたというふうに思っております。

それを受けまして第二国土軸関係の調査が行われましたし、あるいは西日本広域経済文化圏だとか、あるいは瀬戸内経済文化圏、さらには西瀬戸経済文化圏というふうな形でのコンセプトが種々出てきたました。

次に第2点目といたしまして、この第二国土軸というのはどういう意味を持っているのかということですが、後に西日本国土軸と呼ばれる第一国土軸に偏重した国土構造ではいつか破綻がくる。ワイズマンレポートの中にも、もう1本交通軸が必要であると言われておりました。これは国土が均衡して発展するためには、もう1本必要だということと同時に国土の安全性に対する指摘があったわけでございます。

私自身の意見を付け加えさせていただきますと、緊張した国土構造から、しなやかな国土構造への転換を果たし、日本がさらに一段上のステージに飛躍する、そういうことを保証するような国土構造に作り替えなければならない。

皆さんご承知のように平成7年の阪神淡路大震災では、第一国土軸が完全に麻痺いたしまして、太平洋新国土軸として提案をされている紀淡海峡から、徳島の方に長距離トラックが上がり、そして四国を縦断して佐賀関の方に長距離トラックが上がってくるということがかなりの長期間にわたって起こったわけでございます。

それから3点目といたしまして、交通ネットワークの構築により、大分県を地域の中心に持ってくるというコンセプトが出されました。

いわゆるネットワークを縦横に張り巡らせることによって、今までは端っこの方に位置していたところが一気に中心に躍り出るということが可能になるということです。

こういう交通ネットワークと通信ネットワークというのがよく比較されますが、例えば通信ネットワークですと、すでにそれを張り巡らせている光ファイバーだとか、あるいはメタル系の通信網がヒエラルキー構造といいますか、要するに段階構造を踏んでいたといたしましても、そこを交流する情報というのはいわゆるハブ構造といいますか、我々は完全グラフ構造と言っているのですけども、常にあらゆるそれを構成するものが自分を中心として意識できるような、そういうネットワークになるというような特徴があるわけでございます。

そういう可能性を持った新国土軸であり、豊予海峡ルートでありますけれども、現状ではどうかといいますと、豊予海峡ルート推進協議会が平成7年度に作成いたしました西瀬戸レインボープランでは、その主要なコンセプトは九州、中国、四国の西瀬戸7県、これがインターフェイス交流圏、インクーフエース交流というのは、顛と顔を突き合わせた直接的な交流をやるということだと思いますけれども、そのためにスーパーリングを必要とすると、こういうふうなことが書かれております。

そのスーバーリングというのは、中国と九州、それから中国と四国、それから九州と四国、この3つを結んで一つの輪を作っていくということですね。関門海峡につきましてはすでに橋梁とトンネルがある。それから11年度には尾道・今治ルートが開通する。

残る一つは豊予海峡ルート、新・全総の中に地域の交流連携の進展に応じてということを書いてございましたが、私は確かに交流の進展は必要でありますが、作ることによって生まれる交流というのもあるわけで、ニワトリが先か、卵が先かというような議論になりますが、私はニワトリを先に作って、そして卵としての交流がさらに進展するということを願ってやまないわけでございます。

ちょっと時間が長くなりましたけれども、私の発言をこれで一応終わりにいたしまして、バネリストの方々のご発言を承りたいというふうに思います。

まず、秋月さん、よろしくお願いいたします。

 

秋月睦男 大分経済同友会代表幹事

私は、経済界の代表というよりも、製造業の代表というふうな形でお話申し上げたいと思います。

私ども大分県は戦前は農業県でありました。戦後になってはじめて農業工業並進ということで、工業関係のいろんな施設が出来ていました。ご存じのように大分や別府湾の深い港湾を利用した、いわゆる臨海型工業地帯、いわゆる新産都企業群が整備されました。そしてまた大分空港の整備に伴いまして、臨空工業地帯、いわゆる県北国東テクノポリスの工場群が整備されました。東九州自動車道や九州横断自動車道の整備によりまして、中津、宇佐周辺のそれぞれに田園型工場地帯。IC関連の工場地帯の進出が見ております。

大分県の製造品の出荷額というのは2兆5、6千億円、平成9年は2兆9千億円というような数字がでておりますが、この中の大半を占めるのは依然として素材型の新産都中心になっているわけです。我々製造業としては、なんとかして基礎産業から加工組立型、いわゆる付加価値型の産業構造にしなければならない、こういうのが私たちの課題でございます。

このような時に豊予海峡ルートの問題がでて来たわけでございます。

ご存じのように豊予海峡は昔から愛媛県と大分県が結びつこう、結びつこうというふうにあったそうです。愛蝮県の佐田岬に野板神社という神社があるそうです。これは速水の尊、速水の男の神様ですね。神様を祀ってある。それから佐賀関は速吸日女の尊ですね。ご存じのように速吸の女の神様を祀ってある。こういった佐田岬の男の神様と、佐賀関の女の神様が常に結合したい結合したいと言いながらこういう神社があるわけですね。そういう意味で私は佐田岬と佐賀関が結合する、架橋することによって、伊予と豊後の産業構造というものが大きく変わるのではないかというふうに思います。

これも聞いた話ですけれども愛媛県の伊予風土記に大分、速見の温泉のお湯を樋で引っ張って道後温泉が出来たというのがあるのだそうですね。いわば昔からこの両地域に住む人はお互いに結合しようとしていたわけです。

皆さんご存じのように国道197号は愛媛街道と言いますね。佐賀関から大分までは愛媛街道ですよ。豊後街道じゃない。やはりそういったように昔から愛媛と大分というのは、交流や人流、いろいろあったのですね。これがどうも疎遠になっているということは交通体系、陸上交通の整備といったようなことから原因しているのではないでしょうか。

そういった時にこの豊予海峡ルートに橋が架かってエンドレスに人流や交流があることによる地方振興というものが大きく期待できるのではないかなという感じがします。

ちなみに現在、架橋ができて、先ほど言ったような太平洋新国土軸になりますと、地域連携、地域に対する参加と参入ですね。参加と連携これが必要になってまいりますね。松山市と大分市ともほぼ人口が44、5万人。交流人口を入れますと松山は348万人、そして大分が568万人。愛媛・大分には1,000万人の交流人口があるのです。これは別府を除いたものです。それほどの人口があると言われております。

これほどの人口を持つこの経済圏の構築を一体我々はどうしたらいいのか、これが今後に課せられた問題であり、私は両県がこの豊予海峡を通じて考えなければならない問題ではないかと思います。

それからもう一つ、国土セキュリティーの問題。阪神淡路大震災で痛感されましたように、ああいうふうに大震災が起こると、日本の交通、輸送形態がストップするわけですね。

残念ながら、いま九州と中国は関門海峡1カ所のみで結節されているわけですね。もし、関門海峡に直下型地震がやってきたら、九州は島になるのです。これではいかんですね。やはり東京一極集中に対して西日本を経済圏、あるいは西瀬戸経済圏をどうするかといったような場合には循環交通体系の整備というものが必要なのですね。

来年は新しい第三のルートとして尾道・今治ルートができますね。そうするとあと残されたのは豊予海峡ルートだけなのです。これはすぐにできるとは思いません。先生のお話によるとかなりかかると思います。

しかし、我々大分に住む人間としては21世紀の大きなロマンとしてこういうプロジェクトを考えていきたいと思います。

私はたまたま3年前に関係者と一緒にドーバー海峡のトンネルにも行きました。ノルマンディーの橋にも行きました。その中から出来るだけ早く、佐賀関・三崎間を架橋で、そして四国と九州の連結を図って西瀬戸経済圏、あるいは東九州自動車道、あるいはそれを経てアジア、東南アジアといったような連携の結節点にするべきだということを痛感する一人であります。

 

佐藤誠治 大分大学教授

どうもありがとうございました。それでは次に深瀬さんよろしくお願いします。

 

深瀬俊夫 別府料飲協同組合理事長

別府の料飲協同組合の理事長をしております深瀬です。私はまた観光協会の副会長もしている関係で今日は観光業というような立場からの夢を架けてみようかというふうに思います。

いま、秋月さんから出た結合願望というのは非常に秋月さんらしいというか、らしくないというか、非常に愉快なことです。そうすると四国が男性で九州が女性になるわけですね。

私ども観光の立場から言いますと、正直申し上げていま東九州の道路を血管に例えるならば非常に毛細管化しているというふうに思います。

今後やはりどんどん動脈が増えてなければならないけれども、かつて船が主要な交通機関であった時代には九州の入口として別府は非常に大きな役割を果たしておりました。海路、瀬戸内を通ってここへ船が着くたびに、すごい数のお客様たちが上陸する。それから阿蘇をご覧になり、雲仙の方へ回るというような九州の観光の入口であったわけですが、これが船から陸に移り、陸からまた空へ移って行くというような交通の変遷とともに、はっと気付いてみると我々のところはどうも取り残されてきたなというような感覚を皆さんお持ちになっているところじゃないかなと思います。もっと言えば私どもはいま裏九州に位置してしまったのではないかというふうな感すらするわけでございます。

軸ということで捉えなくても交通ということで考えてみれば、実に明らかでございまして、そういう点で観光という部分も向こう側の長崎から、熊本、鹿児島にいたる方向、そして福岡という部分の線が非常に太くなっています。

四国の松山などを見ておりましても、尾道・今治ルートが出来るということで明らかな交流人口の増が見込めるわけです。そしてそれに向けて皆さん準備をなさっているという状況がひしひしと伝わってまいります。例えばいま松山は348万という秋月さんからの報告がございましたけれども、これが来年になればもっと増えていくのは間違いないわけです。

豊予海峡架橋がなされるころ、いつ頃になるのでしょうか。それは相当先のことになるわけですけれども、その時にはもう十分な交流人口で四国の方はにぎわっているということだけは間違いないことのように思われます。

3つの橋ができ、実際にもう陸続きになってしまった四国というと、これは私どものところとはずいぶんと違う様相を呈するのではないのかなと思われます。

先ほどちょっと毛細管化というようなことを申し上げましたけれども、例えば九州にとどまらず、向かい側の佐田岬、宇和島など四国側を見ておりましても、やはり毛細管化現象は十分起きているのではないかというふうに思えるわけです。とにかく血管が小さくなっちゃっている。そこにスピーダーという伊予と別府湾を結ぶ船を走らせていただいたわけですが、それも言わば点滴の滴のようなもので、毛細管と毛細管の間に一つだけ通っていっても、大きな効果には結びつかず、残念ながら運行を取りやめました。

我々の観光という側面で見て参りますと、やはり交通のあり方というのは非常に重大でございまして、第一にそれが整備されなければならないわけですが、いま大分県の中では観光地としては本当にカのある湯布院とか、いろいろな地域がそれぞれの努力をなさっています。その中でもちろん別府が中心的な役割を占めなければならないわけですけども、やはり別府の町自体を見ておりましても、旧楠港から新しい港に移り、船の交通がだんだん落ちていき、都市計画のデザインに重大な影響を与えられることになっています。それが実際にでているのが今の別府の街であります。

やはりここ20年の別府を見てもわかりますが、ここに今この夢の橋が架かるならば、どれほどの効果を持つかということはもう私が語るより皆さんの頭の中での方が非常に楽しい夢が膨らむのじゃないかと思います。

例えば、いまラジオを聴いてもテレビを見ても向かい側の電波が入ってきますよね。愛媛のラジオやテレビがすぐに聞こえると。つまり、愛媛は隣の県だというふうに認識しておりますが、実際に陸上を通じて行ってみようとするともう隣の県じゃないわけですね。間にはなんと陸上で行こうとしますと福岡県と山口県と広島県の三県が間に入っている。三県も間に入っている向こう側の県なのですね愛媛県は。

愛媛県で会議がありました。全国12社、私どものような会社が集まりまして情報交換をしていますが、一番北が札幌から来ていました。私は関西汽船で行ったのですが、愛媛に一番早く家をでているのが私なのですね。前の夜船に乗っている。他の地域からは全部その日のうちに届いている。

一極集中の東京というハブを中心になら動けるけども、よく知事が申されますが、隣の宮崎に行くまでいま何時間かかるのでしょうか。隣の県都まで行くのにこれだけの時間を要しているような交通行政の貧困とでも言うと、ここで怒られるかもしれませんが、そのあたりを本当に我々は真剣に捉えていかなければならないと思います。

先ほども伊藤先生たちとの雑談の中でもでたのですが、もし橋が架かっても今のままだとしょうがないねと、やはりアクセスが悪すぎるじゃないか、つまり毛細管のところにただ大きな血管を付けたってパンクしちゃうよというようなことですね。やはりそういうようなこともにらみながら、本当に立体的なそして夢のあるデザインを全体として捉えていかなきゃなら,ないだろうなというふうには思います。

いずれにしましても今の私の考えとしては、ここに橋が出来、目の前にある近くて遠い四国と、これが本当に何十分かでさっと渡れるようになった、その日には素晴らしいことが起こるのではないのかなあというふうに思っております。

 

佐藤誠治 大分大学教授

どうもありがとうございました。近くて遠い四国から、近くて近い四国にしていきたいというふうなことですけれども、二回目の発言の中で一つだけ私の方から注文があるのですが、確かに非常に長期的なスパンで考えなければならないと、ただその間に四国は交流人口を増やしていくだろうという危機感ですね。ただ、待ってはいられないので、何とかして交流を現状のインフラの中でもしていかなければならないかという部分もありますので、その点も第二回目の発言の中で、いい案がございましたら、発言していただきたいと思います。

それでは次に田北さんよろしくお願いします。

 

田北裕之 大分青年会議所理事長

こんにちは。青年会議所の田北と申しますどうぞよろしくお願いいたします。

経済効果につきまして、先生の方からご説明もありましたので、私も中小企業の者でありますし、又製造業者です。それから青年会議所という団体は町づくり等をやっておりますので、どうしても経済効果ということに非常に関心があるわけで、その辺のお話についてはもう出尽くしたというか、たくさんお話が出されたので、少し違った視点から発言をさせていただこうかと思います。

この西瀬戸といいますか、九州、大分、このゾーン。本当にこれからの新しい時代の新しい生活様式に耐えうるポテンシャルを備えたエリアじゃないかと思います。

東京に一極集中をしているのを何とか地方に分散し、そして地方を活性化させようという施策の流れの中で、いろんな地域が手を挙げていくということになるであろうと思いますけれど、その中でも最もこのエリアというのが非常に高いポテンシャルを持って素晴らしい地域になる可能性があるのではないかと、私どもはそういうふうに思っております。

まず、自然環境といいますか、外から来られた方というのは本当にこのエリアのことを非常に素晴らしいというふうに思っていただく要素がたくさんあります。もちろん食べ物もそうです。関アジ・関サバ、フグ、城下カレイもありますし、景観にしても山あり海あり、気候も温暖であります。そういった元々持っている素材の良さというのはこのエリアには十分にあるということであります。

そしてこの橋でありますけれども、先ほどからお話があるようにただ単体としての橋だけではもちろん駄目なわけで、その中身、産業の集積、物流の集積、また情報というものが、ローカルでもコントロールが可能になってくるならば、むしろ東京にいるよりもロ←カルに居た方がいい。極端な言い方をすれば、そういうエリアになりうるゾーンではなかろうかと思います。

先日、私が商社におりました時の同期であった者がたまたま大分に来たので一緒に食事しながら言っておりました。

子供が喘息らしいのです。それで東京都内に住んでいたのですが、埼玉の田舎の方に家を移ったそうです。そうすると通勤が2時間強かかるそうです。しかし三ケ月でその喘息があっという間に治ったそうであります。自分だけ我慢すれば家族が安心して暮らせるというようなことで仕方がないと言っておりました。

これが今の東京の現状だろうと思います。メトロポリスというような、言わばコンクリートジャングルでありますけれども、情報でありますとか、商業、工業そういったものが非常に強大な、大きな形で集積された大都市でありますが、これからの21世紀、それからもっと未来に、私が我慢をすればいいんだというような感覚で町づくりといいますか、町であるよりも、ローカルにはもっとそういったものを総べて満足させる要素のある地域になりうるという、この可能性が非常に高いのではなかろうかというふうに考えます。

そういった意味で橋だけでは駄目であります。当然これにつながる東九州自動車道、こういったものの早期整備が必要でありますし、広くはこの九州の中の道路網というのは東アジアにつながる道路交通体系であるべきだろうと。そうすれば情報の集積も九州というところは有望な土地になってくると。その中でも九州の東側は発展性が非常にあるのではなかろうかと期待をするところであります。

一つ問題なのは、大分県は非常にアピールするのが昔から下手なところでありまして、これを愛媛県、あるいはそういった瀬戸内のリンクするところ、また宮崎、鹿児島こういったところと一緒になって外へどんどん必要性というものをアピールしていくことが大事ではなかろうかと思います。

東九州自動車道の早期実現ということに関して私どもは、北九州から鹿児島までマラソンリレーということで約630キロタスキを漬しながら走った覚えがあります。今回は海峡になりますので、泳ぐというわけにはなかなかいきませんけれども、豊予海峡という歌ぐらいは出来るだろうと思いますし、何かそういうようなムードづくりというものも非常に大事ではなかろうかなというふうに思います。

ハード面だけではなく、ソフト面でもいろんな問題がありますが、生活の面ということを考えても医療費が30兆円の時代でありますので、健康で暮らせたらきっと医療費もずいぶん浮くのではないかというふうに思います。

ぜひローカルに住んで、そして情報を持ってローカルから世界に向かって発信できるような、そんな夢架け橋になるようなことに待をいたしておるところであります。

 

佐藤誠治 大分大学教授

どうもありがとうございました。いろいろな側面から切り込んでいただきましたが、豊予海峡ルートを実現するのはかなり先の話のように見えますが、我々としては豊予海峡ルートが出来た時に、それを生かせるような、そういう条件づくりをすでに始めておかなきゃいけないのじゃないかなという、こういう間題意識を私自身お話を聞きながら感じておりました。

先ほど田北さんの方から、東京にいるよりもローカルにいる方が、居住条件がすぐれているのではないかというふうなご指摘がございました。 まさにそういうふうな町や地域を作っていかなければならないわけで、そういう地域が自立するような条件を作っておくことにより、新しく作られる豊予海峡ルートの効果がぐっと増していくのではないか、そういう感じを持ちました。

そこで、第2回目の発言といたしまして、また先ほどと同じ順序でいくわけですけれど、その前に、お三方の発言を受けまして、伊藤先生の方からのご意見を承りたいというふうに思います。

 

伊藤 学 東京大学名誉教授

私の立場はさきほど申し上げたように、いわば応援団の一人としての立場になろうかと思いますが、少し言い残したことも含めて、私の発言はいわゆるフイージビリティー、要するに架橋の可能性ということで、さきほど申し上げたのですが、これは技術的な可能性なのですね。可能性の検討というのはもう日本語にもなっていますけれども、よくフイージビリティースタディとか、あるいはFSとかいう言葉を使う人もいます。

技術的な問題、さっき申し上げたように、吊り橋の上の部分ですね。それから海が深いと申し上げたのですが、地盤は悪くないですね。だからその点は助かります。ただ伊勢湾口とか紀淡海峡も含めて、今までの本州・四国、瀬戸内海よりは地震とか風とかみんな当然厳しくなります。

要するに太平洋の方へでて行くわけですから、太平洋に震源のある巨大地震、昔の南海大地震とかには近くなりますし、台風なんかも直接アタックされる可能性もあります。

それからこれも技術的な可能性に含めていいと思いますが、いろいろ社会環境条件の制約、一つはさきほどの国立公園、自然を大事にしなければならないし、そういう制約がありますね。それからここへ橋をかける場合に、やはり漁業との折り合いというのが大事な問題になってくると思います。いろんな方々の理解が得られないと橋が架けられない。

それからもう一つのフイージビリティースタディ}は社会経済的なフイージビリティー、端的に言ってお金がなければいくら作りたい、あるいは必要だと言っても作れないわけで、外国でもそういうプロジェクトはたくさんあります。

技術的に可能であっても経済的にお金がなければ作れない。ところが日本の場合には今まではともかくお金をかけてもということで本四連絡橋まで来たわけですけれども、ここノ\来てそういうビッグプロジェクトというのは逆風が吹き始めているということは、皆さま方ご存じのことと思います。

要するに採算性の見通しがなければプロジェクトは出来ないと。例えば関門ですが、PFIとか、地元がある程度そういう財政的なことも協力してやるというようなのもありますが、今まで日本の事業というのはお金がかかっていたのは確かです。

これはやはり我々日本人の特性もあるのでしょう。安全のためにはお金はけちけちできないというようなことで、お金が積み上がっていく。それから狭い国土にいろいろなものを作るものですから、補償の問題とかでどんどんお金が必要だということがあったと思いますが、これからのプロジェクトというのはなかなかそれでは済まされない。もちろん作る費用、コスト縮減とこの頃公共事業で言われていますけれども、建設費を安くする。ただこれは危険な面もあるのですね。安物買の銭失いになると何にもならないので、こういう豊予海峡に架ける橋なんかは、100年以上は持ってもらわないととても理屈に合わないわけです。

そうするとやっぱり建設費の縮減というのもある程度限度はあります。そうするとどうすればいいか、そういうのに知恵を絞っていただく必要があります。それから当然ビッグプロジェクトをやるには広範囲なコンセンサスが必要だと思いますね。

いま大分と愛媛だけで必要なので作るという具合にはすんなりとはいかないだろう。やはり日本全体として、あるいは少なくとも九州ではここのルートが是非必要なのだというようなコンセンサスが得られるということが、前提条件になるのではないかと思います。後半のことは、私の専門外のことではありますけれども、これはやはり地元の皆さま方にもいろいろ考えていただきたいと思います。

 

佐藤誠治 大分大学工学部教授

どうもありがとうございました。いわゆるフイージビリティースタディといいますか、実現性に向けての研究調査というのが必要であるというふうなご指摘であったと思います。

そういうフィージビリティースタディーというのが実は2回目の発言の中の一つのキーワードになるのじゃないかなというふうに思いますが、要するに社会経済的に非常に強く求められているということを実体の中で訴えかけていけるようなそういう地域の中の動きを作っていかなければならないわけですね。

 そういうことで2回目の発言をいただきたいのですが、豊予海峡架橋の必要性、先ほどのお話の中にもいろいろ含まれておりました。それから架橋が完成した後に21世紀の大分についてどういうことをもたらすのか、あるいは大分だけじゃ駄目だという伊藤先生のお話もございましたので、国土の中で、あるいは九州の中でどういうふうな効果があるのだろうかと。私、九州の中のいろいろな研究者なり、あるいは行政の方々と話す機会があるのですけれども、新・全総といいますか「21世紀の国土のグランドデザイン」に入る前の段階で、第二国土軸だとかあるいは太平洋新国土軸なんか言っても、福岡の方では「それはなんですか」みたいな反応をされる方が非常に多かったわけですね。今度のグランドデザインの中に入ってやっと広まっていく。認知されるということがあったように思います。

これを実現するためには、もっと大きなうねりを起こしていかなければならないのではないのかというふうに思いますので、架橋実現へ向けた行動、あるいは取り組みといった部分まで含めまして、2回目の発言をお願いしたいと思います。

秋月さん、よろしくお願いいたします。

 

秋月睦男 大分経済同友会代表幹事

先般、経済同友会の全国大会がございました。

たまたま私のテーブルの隣に愛媛県の代表幹事の方がおられまして、いろいろな話をしました。その人が松田さんという、松田製薬という家庭薬の会社の社長さんらしいのですが、いま愛媛県は豊予海峡ルートを通って、九州戦略をいろいろと考えていますよ。こういう話をするのですね。

えっ、と思ってどういうことですかと聞いたら、一つの例として佐田岬の根っこにあわしま堂という饅頭屋があります。これはスーパーの方がおられるとわかると思いますけれども、そのあわしま堂の饅頭は1年間に百億円売るのだそうです。そして九四フェリーを通って九州一円のスーパーに卸しているそうです。私もトキハインダストリーで見ました。あわしま堂と書いていました。たまたま九四フェリーに乗りましたら、あわしま堂のトラックが2台乗っていました。そのあわしま堂は今度関西の方にも店を出すそうです。たかが饅頭、されど饅頭です。そういった交通の便によって商圏をどうやってしたらいいかということを考えているのです。

それからもう1件は日本食研という会社がある。これは焼肉のたれを専門にしているそうです。年商2百億っていうのです。九州一円をやっているのです。それから丸井という月賦の会社があるらしいのですが、そこもいろいろと九州をどうやるかという戦略をしています。

松田製薬の人の言われるには豊予海峡架橋ができると非常に短時間になる。今はこれに時間がかかる。

今治から柳井に行って、それから回ったりするのだそうです。それを今度は豊予海峡ルートができると短時間にできるのだと。早くそういった体制になった場合に我々はいかにするべきかということを考えているというのです。

私も反省しまして、大分で田北さんに聞くと大分製紙も相当やっている。あるいは桃太郎海苔さんも四国戦略をやっているというのです。そのあたりをもうちょっと橋が出来た場合の対策というものを考えるべきではないかという感じがします。

先ほど豊予海峡に橋ができると、いわゆる産業構造としては素材から加工組立型の方に転換するいいチャンスではないかとこういうお話をしたのですが、大分県の工業出荷額は先ほどお話したように2兆6千億円、あるいは9千億円、ところが愛媛県は3兆6千億円なのですね。大分県より1兆多いのですよ。これはどうしてか、やはり加工組立型産業が多いのですね。

したがって、豊予海峡ルートで松山から大分まで橋が出来ると相当時間が短縮される。そうすると、臨道工業地帯、いわゆるハイウェイテクノロードですね。こういったのが完成されますと、特にIC関係の部品加工というものは大体50キロから100キロ以内だったら、もう場所を問わずに高速道で運撒できで組み立て加工ができるというのですね。田園型工場という、道路にしたがった工場配置もできるわけです。

そういった意味で私はハイウェイを利用した田園型工場、そういう配置ができるであろう。その大きな具体的な例としてとして私はやはり、この西瀬戸、あるいは豊予海峡ルートに期待されるものは自動車産業ではないかという感じがするのです。

現在、自動車産業というのはかなり減産に入っていますけれども、いずれにしてもモータリゼーションの世の中です。この環周防灘にはマツダがあります。それから日産があります。トヨタがあります.さらに中津のダイハツがあります。そして大分の日産も考えられております。このあたりの当初の計画を足しますと123万台なのですね。しかもそういう工場は日本、世界最新鋭の工場が配置されているわけです。

だから、例えば日産でも厚木の工場を閉鎖しても苅田は増強しようとしているわけでしょう。そうすると循環的交通体系ができ上る。そして自動車の部品というものは汎用品になる。できるだけ安い部品を提供しなければならない。そうしますと当然この環高速道路沿いの田園工場というか、町工場の部品が納入されていくという形になるわけですね。

そうすると今後アジアというのは日本に対する技術の支援協力を非常に熱望している。とすると九州はテクノマザーランド。こういった構想の一角を占めるわけなのです0そういった高速体系ができることによって、大分もその一環を担いうるとこういうふうに私は思うわけでございます。

先ほど、冒頭に申し上げましたけれども、もう我々は豊予海峡架橋ができた時に向けて、今から戦略をどうしたらいいかと、こういうことを考えなければならないかと。明石海峡は昭和30何年に具体的な着手をして40年かかっているわけですね。しかし明石海峡に橋を架けようというのは香川県の県議会議員が110年前に提案したそうです。それがやっといまできている。今からでも何十年かわからない。しかし我々が、力を合わせれば短時間にできる。少なくとも21世紀には具体的に、大分県からどういう発信をしていくか、こういうことを皆さん一緒に考えようじゃありませんか。

 

佐藤誠治 大分大学教授

どうもありがとうございました。

循環交通体系ができることによって、秋月さん従来おっしゃっております、いわゆる加工型の立地が進むだろうし、いまある加工型立地の大きな転換が望めるというふうなことであったと思います。

40年間かかりますと、10年前提唱したので、あと30年かかるということで、ちょっと困りますけれども、なるべく早く実現できるようなそういう運動を起こして行かなければならないのではないかというふうに思います。

それでは次に深瀬さん、私が先ほどお願いしたような部分まで含めましてよろしくお願いいたします。

 

深瀬俊夫 別府料飲協同組合理事長

先ほどのご指摘、何か厳しいことを言われたような気がするのですけども、もう一度その辺の心を。

 

佐藤誠治 大分大学教授

むしろ、深瀬さんが厳しいことをおっしゃったので、ようするに豊予海峡が出来るまで待ってられんのじゃないかと。

 

深瀬俊夫 別府料飲協同組合理事長

その通りですね。

 

佐藤誠治 大分大学教授

四国は3本日が本州とつながるということで交流人口が飛躍的に伸びることが期待されているわけですね。

1本目の児島・板出ルートができたときに、中国地方からの観光圧力が四国の方に来て、そして四国の観光圧力がさらに九州の方に上陸するということが現象的に見られたというふうに記憶しています。

そうしますと、今度尾道・今治ルートができまして、3本日が出来ますと、もっとその圧力が伸びると、そうすると九州の方にそれを引っ張ってこない手はないと、それがまさに新・全総の中にありました交流連携の展開を見て構想を進めるという部分につながっていくのじゃないかなというふうに思います。

その点を含めて、よろしくお願いします。

 

深瀬俊夫 別府料飲協同組合理事長

本当におっしゃる通りでございまして、例えば観光という側面でみますと、今回架橋という視点になってきました。最初に第二国土軸という話がでてきた時に、私どもはトンネルという話をお伺いしました。トンネルは観光にとって、それほどカはないのですね。やはりトンネルですから、窓の外がありませんから。皆さん青函を渡って走ってみてもそのように感じると思います。

いま一番深いとこなのだということは車輌の中でも確認出来るわけですが、それだけですよね。ちっとも面白くない。

観光という点については、やはり橋であることは大変ありがたいことで、今の部分では橋を渡すというよりその橋を見せるのですね。つまりそれが橋の景色を見に行くために例えば東京や横浜でも大きな橋が次々とレインボーブリッジまでできていく中で、橋を見に若い連中が車を走らせて行くわけですね。そしてまたそれを下から観光船が見るという形になります。

観光という視点から行きますと、これは船が再び復権できるであろうと。観光船の動きももっと良くなっていくであろうということも言えるわけですね。

それまで待っているというようなことは本当にとんでもないことでございまして、いま早速、今治ルートが開かれて来島のところの橋ができ上ると、四国へ入る観光圧力をこちらへも何とか船の道を使いながらも導入しなければいけない。

実際に船が最近見直されております。船の料金は安いのですよね。

例えば別府では何をしているかと言いますと、実は別府の観光の大偉人と言われる人に油屋熊八さんという方がおられまして、この方がとにかく別府観光のいろいろな部分の先進的なアイデアで別府をいまのような別府にしたわけです。

その方が実は宇和島出身なのです。そして私どもは観光協会として宇和島との交流を続けております。別府のお祭りなどにも宇和島からのグループに来ていただきまして、油屋熊八翁の碑前祭というのがありますが、そのようなこともやっております。

そんなふうな形で具体的なつながりを付けるとともに、もっとも大切なことはやはりこれは高速道路がつながることと同じことでございまして、やはり秋月さんも先ほどおっしゃられたとおり、自力をつけなければならないですね。何と言ってもやはり観光としての自力をつけていかなければいけない。魅力をもっともっとつけていかなければ橋がせっかく架かっても吸い取られるだけという形になりかねない。

そこのところを十分に認識した上で夢を見ていきたいというふうに思うわけです。

今度のこの「21世紀の国土のグランドデザイン」の中で、非常に大きくでているのは文化ということですね。第二章が文化の創造に関する施策という形で今度のグランドデザインは発表されています。

この文化という部分で言えば、観光もこれからおそらくは変化していく。もう変化が始まっているわけです。今度の「21世紀の国土のグランドデザイン」の最初にも国民意識の大転換というとこで、文章が始まっております。そういうことを読ませていただいても私どもはやはりそうだと思うのは、やはりこれからの観光は物見遊山というか、物を見るともちろん見には来るのですけれど、何を見るかというと、文化を見に来るであろうと。やはり文化が非常に大きな切り口になっていくであろうというふうに捉えております。

私どもの町づくりの中においてもやはり今まで経済というものを軸にした町おこし、町づくり、そういうような考え方で来ましたが、これが一番頭にきているのではあまりうまくいかないのではないかと。21世紀型というか、もうすぐですが、21世紀は。次の時代に町おこしにしても、観光にしてもやはり文化、あるいはそれに顛するようなものが一つの切り口となって、そして発想されていかなければならないのではないかというふうに、私どもは考えております。

我田に水を引くごときでございますが、実は先週別府でアルゲリッチ音楽祭という8日間にわたるクラシック音楽の大イベントがございました。これは8日間22のプログラムで構成されまして、世界からいま、素晴らしかったようだねということで写真はないか、何はないかというのがドイツ、アメリカからも引き合い事務局のほうに来ております。これはおそらくは日本の音楽史上に残るイベントであったろうというふうに思います。

東京からジャーナリストの筑紫哲也さんが来ました。家族でこられまして、アルゲリッチという人は大変インタビュー嫌いなものですから、インタビューはダメでもいいと、とりあえず音楽が聴けるならいいということで音楽を聴きに来たのが第一義でした。その後インタビューをうまくできたということでニュース23でもそれが流されました。

そのような形で東京からも、どこからもお客さんが来てくれるような、そういう文化という側面から、もちろん温泉というのは最も大切ですが、そこをもっと磨き込まなきやいけないことはわかっているわけで、それは大分県中全部一緒なわけですけれども、それぞれの地域のそれぞれの特性をもっともっと磨いていって、この橋に結びつけていくことであると思います。

この橋ということで言いますと、私ども大分のウォーターフロント研究会というのを民間の80社弱の会社で組織しています。その大分ウォーターフロント研究会で6年前に出した提言書でございますけども、「師とするものは滅私なり」という、これは三浦梅園のそれを指針にしてあるのですが、ここですでに3つの出入口というふうな表現で空の出入口、これは空港のことですね。海の出入口、これは別府湾ですね。そして陸の出入口ということでこの第二国土軸の佐賀関、これはトンネルというふうに表現されていますが、すでにこの中で我々は考えていました。

その時に、一体何をどうしなければならないか。つまりこれは空の出入口である空港から、この美しい別府湾を取り巻きながら佐賀関にいたる地域、この地域を一体とした、みんなで一体となって考えて、この別府湾を取り囲む美しい都市型の一つの地域として作っていけるのではないかと。

ここにはもちろんマリンバレスもございますし、別府がございますし、日出の方には城下カレイがあるというふうに、新しい観光、アーバンリゾートでは決してないのだけれども、アーバンなものに、そうして多自然な環境に取り囲まれた素晴らしい別府湾をまた再生できるような、そういうような考え方を我々としては6年前にすでに提言をしております。

そういう中にやはり6年かかつて、いまこういう話になるのだなということを感じているわけでございますけれども、やはり先ほど田北さんがおっしゃった、この地域に住むということですが、このグランドデザインの中にも新しい感触の言葉としてマルチハビテーションという言葉がでてきていますよね。ようするに多住居、都市に住んでいながら、多自然型の環境の中にも家を持ち、今後はそういうような形も進んでいくであろうというようなことも書かれています。

私どもはそういうような広い夢を描きながらそこへ向かってやっていかなければいけない。一つの切り口は文化であろうということ。そして大きな九州としての入口が、この橋ができることによって再び表九州になれるのではないかというふうなことを考えております。

 

佐藤誠治 大分大学教授

どうもありがとうございました。ちなみに、アルゲリッチ音楽祭、四国の方からはいかがでしたか。

 

深溝俊夫 別府料飲協同組合理事長

こられましたね。やはり。私の知人も2、3人まいりました。

 

佐藤誠治 大分大学教授

橋が架かったらもっと来ていただけるでしょうね。

 

深瀬俊夫 別府料飲協同組合理事

もう、それはですね。

 

佐藤誠治大分大学教授

はい、ありがとうございました。地域が自力をつけて架橋ができた段階で一気に地域浮揚が図れるのではないかという、こういう非常に夢のある話であったというふうに思います。

先ほどお願いしましたが、田北さんは青年会議所ということで九州全体の動きを非常によくご存じなのです。やはり大分県だけではなく、よその地域、九州あるいは全国の動きの中で、豊予海峡ルートだとか太平洋新国土軸が求められていくような動きを作っていかなければならないのかなと、先ほど東九州軸を実現せしめる方向としてマラソンをやったとか、そういう非常に面白いイベントを打っておられるのですけども、実現するための動きだとか、実現した時にこんな面白いことが出来るのだということだとか、先ほど情報の話もございましたけれども、情報というのは先ほど私も申しましたけれども、一気に人と人とを結びつけるような機能もあるなので、その点を含めまして、2回目をお願いしたいのですが。

 

田北裕之 大分青年会議所理事長

さきほど深瀬さんがおっしゃったアルゲリッチ音楽祭ですが、文化というのに触れようと思う人、好きな人は海だろうが山だろうが乗り越えて、ほっといても来るのです。やはり本当にそこの文化が定着するというか、拡大するという意味ではやはり自然と交流ができるという。ぐるぐると回るといいますか、そういう環境にないとなかなか定着していかないのではなかろうかなというふうに思っています。それはいまおっしゃられた情報ということだろうと思います。

人と物はいろいろな情報に沿って動いているわけで、最後にはその情報に沿って最短距離を人と物というのは動いていくというふうに私は思っております。

いま情報の流れというのはそのゲートウェイ、入口というのは家の中に入ってきています。お茶の間からどんどん世界中に24時間いつでも好きな時に発信できる仕組みはもうでき上っておりますし、これは異常なスピードでますます発達をしております。

世界中の人と今から麻雀しよう。4人そろうことは可能です。もう実際に若い人はたくさんやられています。そんな時代です。そういう情報というのはどこにいてもいつでも欲しいものが的確に入るという環境がどんどん進行している中でありますので、この橋というものは実際に物とか人というものが本当に動いていけるものでなければならない。そういうことでアクセス、東九州自動車道もそうですし、その他の国土軸、あるいは東アジアを中心とした、そういったアジアヘのアクセス。本当にこれから大事だろうと思います。

先ほど秋月さんもおっしゃっていましたけれども、付加価値を付ける。いわゆる産業や商業の集積地として、あるいは観光の集積地、そして農業あり、林業あり、水産業あり、そういったものがそれに乗って世界中にどんどん散らばっていく。大分のブランドが世界中を飛び回れるという可能性を秘めているというふうに思います。

そうすると単純に、大分に住んで仕事ができるではないか、大分に頭脳があってもいいのではなかろうかと思います。

その頭脳は温泉につかって物事を考えますから、大変素晴らしい発想の下、製品の開発、あるいはサービスの提供、そういうものを考えつきます。そういうものを、そういう環境の中で考えるということが本当に新しい付加価値を世の中に生み出していく大きな原動力になるはずです。ところが残念ながら大分は今のところどんどん外に流れ出て、ぼろぼろと流れ出ている状態ではなかろうかと思います。

大分に住みたいけれども、大分に住めない。それが現実であろう。そういうものをどんどん大分に、J夕―ンでも、Tターンでも、U夕―ンでも大分に頭脳を集積させるということの意味においても、こういった橋の役割は大きいかと思います。

深瀬さんのおっしゃったように文化というのがそこに産まれれば、それに元々ある人的な活力が結びついた時には、新しい物がそこに産まれていく。そういうことによって21世紀というのは、物の豊かな時代から心の充足感のある社会というものが豊かなのだという指標にこれから変わっていくというふうにいま言われておりますが、まさにそういったものが両立する。日本の理想郷がこの橋を軸に、このエリアに産まれる可能性があるのではないかというふうに考えるわけです。

ですから、それを推進するためにはやはり一人ひとりがこのエリアの人たちが一生懸命になって外に対してこの必要性をアピ←ルしていくということを他人任せにせずに、自分たちが自らやるというふうなパワーをそこに結集をさせるということをしていかなければ日本も動いていかないでしょうし、またそういったものがどんどんどんどん先送りされていくという結果になるのではなかろうかと思います。

水泳で愛媛の人と海峡を渡るかと、そんなばかな話はありませんけれど、それぐらい何かやって、やりながらそういう機運を盛り上げていくということがこれから橋を架ける一番の近道ではなかろうかというふうに思っています。

 

佐藤誠治 大分大学教授

ありがとうございました。情報の流れが人と人との直接の結びつきを欲求するような、そういう動きを作り出す可能性がある。先ほど秋月さんは、速水の尊と、速吸の姫、これが早く結びつきたいというふうな、そういうことを示唆しているのではないかというふうなお話でございましたけども、現代の我々としては、この情報交流によって、人と人との結びつきを直接実現するような、そういうことを求めているのではないかということだろうと思います。

まとめという形になるかどうかわかりませんけれども、実は、総合研究開発機構「NIRA」と一般的に言われていますけれども、太平洋新国土軸と大分県の地域活性化というタイトルで3年ほど前に、私も参加いたしまして報告書を書きました。その時にこの太平洋新国土軸、豊予海峡ルートの効果についてまとめたことがあるのです。

これは先程来から先生方がご発言いただいた内容とかなりダブっている部分もございますので、それをご披露いたしまして、まとめという形に変えさせていただきます。

この太平洋新国土軸とそれから豊予海峡ルートの効果につきまして、大きくこつ直接効果と間接効果というふうに分けて整理しておりました。

直接効果の一つ目は輸送時間の短縮効果ということで、これはお手元に配られていると思いますけれども、その資料の中に書いているとおりでございます。

交通ネットワークの整備によって極めて短縮される。先ほど先生方のお詰もございました通りでございます。

それからこつ目にこの輸送時間の短縮効果によって社会的便益というのが非常に図られる。特に経済効果といたしましてこれは、大分県から見ただけの話なのですが、年間千億円以上の効果が得られるというふうなことで整理されています。

実はこれは先ほど申しましたが、大分県だけの話で、九州全域、あるいは全国的にはこの効果というのは、数倍でしょうし、あるいは十数倍になるかもしれません。それだけの経済効果を生むということが期待されております。

それから間接効果といたしまして、これは先ほどの秋月さんのお話と共通しますけれども、私は地方に新しいタイプの産業を創出できるという、こういう効果があるのじゃないかなというふうに見ております。 特に既存のハイテク企業、これが第二国土軸、太平洋新国土軸の整備によりまして、さらに高次な産業活動を可能にする条件がでてくると。

それからこつ目は交通結節点が非常に多様にでてきます。したがいまして交通結節点というのは物流産業の立地を促すという、これはよく知られていることなのです。

それに加えて新成長型産業というふうに言われておりますコンテンツ産業だとか、あるいはバイオ産業、あるいはニューサイエンス産業というふうに言われている、新成長産業が交通結節点を中心として展開する可能性がある。さらにこの交通軸と同時にいわゆる情報通信軸の整備というのが期待されております。そうしますと、大規模な容量を持った情報通信軸を契機といたしまして、いわゆるバーチャルコーポレーションを初めといたしまして、あるいは先ほど申しましたような、新成長産業の立地が急速に展開をする可能性があるということ、これが間接効果ということになります。

あとは時間の関係で項目しかあげませんけれども、物流合理化と物価下落効果。 それから、先ほど田北さんのお話と共通するところですけれども、東京に括抗しうる集積効果が得られるという可能性です。

4番目に設定時間内のアクセス。短時間でアクセスできるような空港が増加すると、例えば我々がいま大分空港を使っていますけれども、ひょっとしたら愛媛県の空港を使うことができるかもしれない。これは例えば大分は韓国と結んでいるのだけれども、愛媛はロシアと結ぶというようなことがあれば、そういう広域の空港の機能分担というのが可能になってくるという、こういう話でございます。

それから力強く柔軟な地域連合の形成。既存の国土軸に対する負荷の軽減、これは先ほどお話した通りです。

それからリダンダンシーの確保、リダンダンシーというのは冗長性というふうな言葉なのですけれども、それによる安全性、国土の安全性の向上ということが期待できるということでございます。

大分が何をなすべきかということなのですけれども、やはりこれは本期成会を初めといたしまして、官民あげて総統的に実現を働きかけていくという「絶続は力なり」と、知事がいつもおっしゃっていることなのですけれども、そういうことをやっていかなきゃいけないと。

それから二番目は、これは新国土軸ができた段階で、それが東京一極集中をさらに加速するようなそういうことになってはまずいわけです。したがいまして新国土軸を有効に機能させるためのネットワークの形成を地域で進めていかなければいけない。

これは田北さんのやっておられます東九州軸、あるいは中九州高規格道路だとか、あるいは県内の幹線道路網の形成と、四国におきましてもそういうふうな圏域内のネットワークの形成が進んでいけば、最後は豊予海峡を結ばなければどうしょうもない。それによって一気に効果がでてくるのだというような、そういう時代状況を作っていく必要があるのではないかなというふうに思います。

これは新・全総の中にもあります地域の交流連携の推進ということでございます。

現在、大分、熊本、宮崎の77の市町村が日本でも初めてなのですけれども、交流連携の動きを作り出しております。

インターネットでも公開しておりますので、ご覧いただきたいのですが、こういう交流連携の推進をやることによって豊予海峡ルートの実現に結びついていくと、こういうことも重要ではなかろうかと思います。

最後にこれは深瀬さんのご発言の中味をいただきますけれども、やはり国民意識の大転換ということですね。これが重要だと思います。

先ほど伊藤先生のお話の中で、社会経済的なフイージビリティーというのを高めていくという必要があると、この国民意識の大転換によって太平洋新国土軸に限らず、他の3つの新国土軸、これを実現していく。そういう意識の醸成が必要ではなかろうかなというふうにまとめさせていただきまして、このシンポジウムを終わらせていただきます。

長時間にわたりまして、どうもありがとうございました。