この記事は自治大学校発行の月刊自治フォーラム1999年12月号の特集「歴史や文化がまちををつくる」に掲載された論文です。


 


地域の活性化と歴史遺産の活用


1.はじめに
 文化財や歴史的町並みの修復や再生など、歴史的遺産を重視した活動は各地で取り組まれている。その目的は何かと問われれば、歴史の継続は歴史遺産としての文化財や町並みの継続を通じてしか実現しないものであるし、歴史の継続は自明の価値をもっているのであるから、歴史遺産を重視することはこれまた自明の理であるというのであろう。
 とはいえ、これまでの歴史遺産の再生については、より卑近な目的を求められてきたのである。とりわけ公的資金を投入する場合は、費用対効果を常に求められるし、効果なしと判断される場合はその再生にはきわめて困難が付きまとってきたといえるであろう。とりわけ歴史的町並みなど、いわゆる<文化財>とは異なった領域においては歴史的価値が認知されにくく、そこで地域活性化に効果ありということで逃げを打つのが一般的である。
 地域の活性化とは何かを添加して、アクティブにすることである。したがって、この場合は歴史遺産を地域で顕在化して利用し、地域をアクティブにする事といえば、なんだかわかったような気になるのではないだろうか。
 したがって、地域活性化に役立つといえば、それはあいまいながら一定の説得力をもってきたといえるであろう。地域の活性化はそれぞれの地域によって固有の特性をもっているのであるから地域活性化とは何かと問うても、さまざまな答えが返ってくるのである。地域の資源や社会環境、産業の態様はさまざまに異なるのであるから。観光振興、商業活性化、工業活性化、コミュニティ活性化、そして中心市街地活性化、等々である。
 地域活性化とはことほどさように、あいまいに使われてきたが、それでは、地域の活性化は意味のないことなのかといえば、それはまったく逆でこれほど地域にとって重要な課題はないのである。とりわけ、歴史遺産が賦存する地域において活性化との結び付けは保存活用の理論武装には絶対に必要な事項であろう。本稿では、地域活性化と歴史遺産の活用についてその意味や、事例など、いわば試論として展開するのでご批判を仰ぎたいと思う。

2.歴史遺産をどのレベルで考えるか
 歴史遺産とは何であろうか。ここで考えておかねばならないのは、歴史遺産とは何かである。民族の歴史の流れの中で残されてきた諸々の遺物ということでいいのであろうが、地域活性化ということになると、活用する資源にはおのずと限られてくるのではないだろうか。ここで考えられる歴史遺産を列挙してみよう。
  歴史遺産というときの歴史とは過去ということととらえたい。一般的には歴史といえば時間的には考古学の対象とする時代以後ということになるが、ここでは時間的に過ぎ去った過去が我々に残した様々な物という曖昧な定義しかできないであろう。
<埋蔵文化財>
 生活用具や生活痕跡など埋蔵文化財は豊富な種類がある。しかし埋蔵文化財そのものが地域の活性化の役割を直接的に果たすことは考えられないだろう。歴史資料館などの施設整備によって地域活性化に役立てることは大いに可能である。
 大分県国東町では弥生時代の安国寺遺跡を復元して資料展示から体験研修施設まで備えた一大ゾーンの形成を構想し、地域活性化に役立てようとしている。
<石仏、野の仏、石塔>
 石の文化財は摩滅への耐性が大きいから、遺産として残る確率は大きいわけである。また、いわゆる文化財的価値でなく、民俗的価値からの見直しで、名も知れぬ野の仏や石塔までもが注目を集めている。
 大分県臼杵市では国宝臼杵石仏を利用した火祭りを8月に開催して地域活性化に大いに貢献している。
<神社・仏閣>
 歴史遺産としてわれわれのもっとも身近に感じられるものは神社仏閣ということになろう。しかし、これは信仰や地域の祭事など、現代的な意味で機能しているわけだから、必ずしも遺されたという意味での遺産ではないかもしれない。
 これらは、いわゆる門前町のにぎわいを通じて地域の活性化には大いに貢献してきたわけである。たとえば、四国の金比羅宮の門前町はその典型であろう。
 <城郭>  加藤清正が築城した98ヘクタールの城郭をもつ熊本城の全体を対象に、往時の姿に復元整備する計画が進行している。また大分県竹田市では、滝廉太郎の荒城の月で有名な岡城の大手門を平成11年の12月までの3ヶ月の期間限定で模擬復元している(写真1)。この復元で岡城が起爆薬となって観光入り込み客が数万は増えるであろうと試算されている。また、大分市では府内城や戦国大名大友宗麟の居館である大友館を復元しようとする機運がある。このように城郭の復元を地域活性化の起爆薬として活用する事例は多い。

<写真1> 模擬復元された大分県竹田市の岡城大手門

 

<芸術作品・美術品>
 イタリアはミラノのサンタ・マリア・デッレ・グラッツィエ教会に、本年復元がなったレオナルド・ダ・ビンチの「最後の晩餐」は内外から多くの観光客を集めている。
<歴史的町並み>
 歴史的町並みは、地域活性化に活用される歴史遺産の典型であろう。数え上げれば枚挙にいとまがない。別稿で町並みの保存についてはふれられるであろう。町並み保存のテーマは、古くは木曽の妻籠から、ほとんどは町の活性化であるといってもいいぐらいである。
<集落遺跡>
 現代に残る町並みはせいぜい江戸末期から明治くらいである。それより古い町並みをみることはほとんどできない。考古学的な意味では集落遺跡ということになるだろうが、その典型事例は佐賀県吉野ヶ里遺跡の復元がある。多くの観光客を集めた時期が過ぎ、今は一段落したきらいがあるものの地域の活性化には大きな役割を果たしている。また大分県の豊後高田市では中世荘園集落遺跡を保存して、現代の観光のトレンドであるグリーンツーリズムと結びつけた地域活性化を模索している。

<写真2> 観光客でにぎわう佐賀県吉野ヶ里遺跡

 

 そのほか、いわばインフラストラクチュア遺産であろうが、古道、石畳、参勤交代道路、水路、港湾、石橋、水道橋など、歴史遺産の保存と活性化を結びつけた事例は多い。さらに産業遺跡では棚田がいま注目されているし、水車や近代化遺産である石造の発電所建築などもある。
  ところで、近代建築の部類に入る建築は歴史遺産として活用されている事例は多いが、現代建築も保存と活用について考える時期になってきたといえよう。大分市にある県立大分図書館は市出身の磯崎新氏の設計で著名な現代建築であるが、図書館の建て替えで取り壊しの危機にさらされたが、美術館(アートプラザ)として再生され市民に親しまれ、地域の活性化に一役買っている。駅舎を美術館に転用して生き残ったパリのオルセー美術館を引き合いに出すまでもなく、用途を変えて生き残る建築が地域活性化に大きな役割を果たした事例は数多い。地域が要請する空間ニーズは変化するわけだから、建築は用途を変えて生き残ることを考えておかねばならないのである。

3.歴史遺産ははなぜ活性化に効果があるか
    ------ 歴史遺産と活性化を媒介する<ゆらぎ>と観光 -------
  歴史の蓄積がない都市の無味乾燥といったらない。それは、戦災によって破壊された都市と戦災を免れて歴史的遺産を温存できた都市の違いを思い浮かべるだけで十分である。日本の都市の多くが先の戦争で大量の歴史遺産を灰にしてしまった。
 新しい都市は歴史的蓄積を得るまで、かなり長い時間を必要とする。したがって、建設行為やそのほかのストックを得る可能性を十分に活用しなければならないし、時間的に新しいものでも保存していかねば歴史ストックにはなりえないわけである。
 まったく新しい都市を建設する場合、すなわち、ニュータウンの建設に際して歴史的な雰囲気を出すことに腐心することがあるのも歴史遺産の重要性を都市設計者が十分に認識しているからであろう。20世紀の初頭、現在のニュータウンの先べんとなったエベネザー・ハワードが提唱した田園都市の第1号であるレッチワースがロンドンの北に建設された。設計を担当したレイモンド・アンウィンとバリー・パーカーはデザインのモティーフとして農村集落を選択した。それは、彼らが現代建築のデザインを拒否したのではなく、歴史的な農村住宅のデザインにある種の感慨を抱いていたからであろう。彼らはその後も田園都市や田園郊外のデザインにこの方法で望んだのである。100年後の現在も、それらの都市は活力を持ちつづけている。
 その50年後、これとは全く反対に、建築家ル・コルビュジェはインドのパンジャブ州の首都チャンディガールの設計をネルー首相から依頼され、現代建築で埋め尽くされた都市を設計し建設した。
 これらの都市を経験するときに、全く異なった印象を受けるし、前者では深いところでの人間の心理とのシンクロナイズ(同期)を感じるものがある。
 これは、<ゆらぎ>といわれているもので、簡単にいえば、人間にとって心地好いリズムを感じるのは、空間や環境が特殊な周波数特性を持っているからであるという学説である。歴史遺産の多くがというか、全部がこの<ゆらぎ>をもっている、とくに、いわゆる<1/fゆらぎ>であるというのが私の主張である。そして、歴史遺産が人間心理に深く影響を与えて、地域の活性化に結びついているのである。
 中国の江南の地に水郷として有名な蘇州がある。ここは古くから水運が発達した、いわゆる南船北馬の南船の方である。町中に張り巡らされた水路とそれを取りまく民家の素晴らしさは作家の故司馬遼太郎氏が、シリーズ「街道を行く」で取り上げている。氏は<ゆらぎ>のことは知らなかったであろうが、文中にはそれに近いことが記述されている。私は近年蘇州の都市空間の<ゆらぎ>について研究するなかで、歴史遺産と活性化を、<ゆらぎ>が媒介することを確信するようになった。蘇州の水路空間は解析すると、確かに<1/fゆらぎ>をもっている。そして、いま蘇州市は水路と民家の保存や再生に乗り出している。活性化という言葉や概念は中国にはないかもしれないが、目指す方向は同じであるようだ。

<写真3> ゆらぎを感じる蘇州の水路

 

 イタリアの水都ベネチアの水路をゴンドラで動くとき、また車が通らない細い路地のような道を歩くときに感じるのも<ゆらぎ>である。水路、街路、建築が演出する<ゆらぎ>は蘇州と共通のものである。そして、この<ゆらぎ>を求めて世界中から観光客が押し寄せる。活性化を実現しているのである。

<写真4> ベネチアの運河の景観

 ドイツではニュールンベルクをはじめとする多くの中世都市が第2次世界大戦の戦火で破壊され尽くしたが、驚くべき執念でまったく都市を復元してしまった。これも歴史遺産がもっている<ゆらぎ>の回復を求めた行為といえよう。

4.歴史遺産が果たす地域活性化には経済効果の追求が不可欠
 人々の心理を活性化する<ゆらぎ>は歴史遺産と地域活性化を媒介するというのが私の主張である。では歴史遺産によって実現する地域活性化とはどのようなものなのか。
 結論からいえば、経済化しなければ活性化したことにはならないといいたい。すなわち儲からねば活性化にはならないということである。歴史遺産がもつ<ゆらぎ>の効果を人々が評価し、そこに集まり、賑わいが発生する。それが経済効果を生み出すことによって、歴史遺産の拡大再生産が行われる。したがって、歴史遺産の活用が、経済効果が生み出す利潤によって、歴史遺産の拡大再生産というスパイラルなプロセスに組み込まれなければ活性化にはならないのである。
 歴史的街並みの保存が叫ばれて久しいが、その成功と失敗を分けているのは経済効果を生み出して再生産のプロセスに入ったか否かである。これは、いわゆる動態保存と静態保存という言葉にもその意味が込められている。
 歴史的街並みを、形だけを保存するのでなく、使いながら保存する。それは、経済効果を生み出すか否かという違いである。

<写真5> 滋賀県長浜市の黒壁商店街


 その典型的事例を滋賀県長浜市の黒壁通りに見ることができる。黒壁は、当地の建築の特徴であった黒漆喰の塗り込めの銀行建築を保存することから始まった。私は、この黒漆喰が長浜の<ゆらぎ>を形成していると考えているが、この黒漆喰の建築を保存して<ゆらぎ>を確保し、経済効果をガラスにもとめたコンビネーションの素晴らしさは称賛に値する。当初から、株式会社「黒壁」を立ち上げて経済効果を最大の目標として当地と縁もゆかりもないガラス工芸を移植したわけである。
 歴史的街並みは民間施設であるから、それを活用した地域活性化を構想する場合は、経済効果を生み出すということを徹底して構想すべきである。

5.中心市街地の活性化と歴史遺産の活用
 都市において歴史遺産が多く賦存するのが中心市街地である。中心市街地は当該都市においてもっとも早くから開発されてきた地域である。したがって、中心市街地は歴史的蓄積の厚い地域でもある。今般、中心市街地活性化計画が政府主導の事業によって各地で策定されている。この計画の中でも歴史遺産の活用が課題になっている事例が多い。
 中心市街地に立地する商店街にとって、大規模店舗や郊外立地のロードサイド店との差別化をはかって活性化の活路を見いだすには歴史遺産の活用やそれとの脈絡の中で、作って売るという商店街本来の活動を再び開始するしかないのではないか。
 大分県中津市では中心市街地活性化基本計画の中で、城下町としての歴史遺産を活用するべく各種の事業展開をあげている。その中では「溜(たまる)のあるまちづくり」を基本方針としている。この<溜>とは城下町の町割りのなかで要所を占めた勢溜(せいだまる)を現代的に復活させようという試みである。そして、市街地の中に多数存在する歴史遺産を「溜」というキーワードで結びつけることである。
 中津市では、市街地の区画整理事業も進行しているが、旧市街地に多数存在する町屋や煉瓦の建造物などの歴史的な遺産を保存して、新市街地と対照的に際立たせることによって活力ある中心市街地のイメージを作り出そうという構想である。

6.おわりに
 地域の活性化を実現するためのハードの効果的な手法は歴史遺産の活用である。それ以外にはないといったら極端な表現かもしれないが、かなりあたっているのではないかと思う。歴史的な遺産の活用をせずにハード整備で活性化をはかる場合は巨大な投資を必要とするのではないか。長崎のハウステンボスや宮崎のリゾート・シーガイアなどはその典型であろう。そういう意味では歴史遺産を活用することは、過去のストックの有効利用であり、きわめて経済的な行為といえると考える。