シンポジウム 「世界へ発信〜コアOITAの夢空間」

このページはは2001年11月13日に大分市のオアシス広場21「グランシアタ」で開催された大分駅周辺開発に関するシンポジウムの記録です。このシンポジウムにさきだって、建築家磯崎新氏による大分駅周辺希望誘導空間構想「県都コア構想」が発表されました。


コーディネーター
今井 晴彦 氏 (NPO法人日本都市計画家協会理事)

パネラー
石井 幸孝 氏 (九州旅客鉄道株式会社 代表取締役会長)
中谷 健太郎 氏(湯布院町まちづくり審議会会長)
佐藤 誠治 氏 (大分大学工学部教授)
宮崎 緑 氏 (千葉商科大学政策情報学部助教授)


 

今井氏  それではシンポジウムパネルディスカッションを始めたいと思います。  先程、磯崎先生の新しい構想が発表されまして、なかなか刺激的で、ちょっと興奮が残っている中で進めさせて頂きたいと思っております。  この大分駅の開発のプロジェクトというのは、恐らく、日本全国の中でも有数の大きな開発事業でございますし、多分、大分の歴史の中でも後世まで残るような、大変な事業ではないかと思います。そういう、まさしく21世紀の幕開けですけれど、新しい大分の歴史の幕開けを、今どうしようかということをこれから考えていくという時期にあたるのではないかと思います。特に、非常に面白い方法、希望誘導地区というもの。これは他の都市にはない非常にユニークな方法を大分は採用されてまして、ここでこういう素晴らしい模型が出来たということですので、多分、他の都市とは違った、新しい魅力ある拠点が出来ると思っております。先生の話にもあったんですが、駅の所で鉄道を高架にして、周辺を区画整理するということですが、全国で行われております。しかし、一生懸命、巨費を投じて事業をおこなった結果、出来上がったのは他と全く同じような街が出来てしまう。これは全国の至る所でみられます。これから、21世紀の中で、大分がアジア、或いは、世界の文化の発信拠点になっていくということを目差すとすると、全国どこにでもあるような街が出来て、少しもそういうことに寄与しないんではないかと。もっと魅力的で美しくて、住んでいる方も訪れる方も楽しめる街というのを、大分が実現していくというのが大事ではないかと思います。  それで、本日のパネルディスカッションですけれど、それぞれ多彩な方々にお集まり頂きましたので、今日の磯崎先生の提案を受けて、これから「じゃあどうするんだ。」というようなことを中心に話していきたいと思います。  それで、最初からそういくと結論になるんですが、最初は皆さん「どういう街がいい街だ。」と考えておられるのか、或いは、今、魅力的な都市を創ろうということなんですけれど、これは、人によって「どういうのが魅力的か。」というのは色々違うんです。そういうお考え、或いは、「大分ってどういう街だろう。」と考えておられるのか。  まず、最初はそういうことからお話し頂きたいと思います。それで、トップバッターとして、JRの石井さんにお話し頂くのですが、ビデオも用意されているということなんで、一つそれを拝見しながらお話を伺いたいと思います。よろしくお願い致します。

石井氏  JR九州の会長の石井でございます。地元の皆さんに日頃から大変お世話になっております。また、最近では中国の鉄道ともお付き合いしているのですが、今日は武漢からもみえてるらしくて「ニーメンハオ。」  それでは最初に「JRってこんな仕事をしているんですよ。」ということを、4分ですけれど、ビデオを流させて頂きたいと思います。 (ビデオ上映)   最後に〔グッドデザイン、グッドビジネス〕というスローガンが出てきました。これは私共の特急列車がデザインの国際賞をいくつか受賞しているんですけれど、そのブルネル賞のスローガンです。JR九州は色んな交通機関の競争が激しいものですから、本州の鉄道みたいに独占的な色彩はございません。それで、「デザインをよくしないといいビジネス、お客様はつかないよ。」ということでデザインに力を入れている訳でございます。私は都市もそういうことだと思います。  今日の磯崎さんの今回のプロジェクトというのは、私としては、大変、意義があることだと言うことと、都市というものの魅力と、それから大分についての感想を述べたいと思います。 日本の都市でも全部そうですけど、都市っていうのはそこに住んでいる人が先ず、誇りと楽しみがなければいけないし、また、訪れても楽しくないと思います。日本の都市は、建物一つ一つは非常に凝るが、通り全体のデザインとか調和っていうものが、従来、行われてこなかったが、今回はそれが行われようとしている。それから、大分について述べさせて頂きますが、私は時々、来るのですが、周辺の開発が進んでいる割に、都心の方が相対的に魅力が低下しているんじゃないかという感じがします。九州の都市観光の中で、ビジネスはともかくとして、「大分へ観光に行ってきた。」という言われ方が少ない。これはやはり、これから人口増えませんから、交流人口を増やしていく上で非常に大事なことじゃないかと思っています。やはり、その都市は「楽しさ」と、それから「きれいだな。」という「美的な興奮」と、大友宗麟とかポルトガルとかという「知的な興奮」とこの3つがないといけないと思います。  私は、大分は観光客にとっても大変、素晴らしい素材はあると思っています。特に、味覚は、私共、食いしん坊なものですから、郷土料理が大好きで、だご汁とか、とり天だとか、琉球だとか、城下カレイとかなんとかありますね。お料理も大変美味しいものがたくさんございます。それから、お酒も美味しいです。そんなことでこれから、素材がたっぷりある大分市が、新しく再出発する時期を迎えていると思います。

今井氏   それじゃあ、続きまして、湯布院の中谷さん、お願い致します。

中谷氏  磯崎さんのお話が面白くて、『わくわく』しています。気をつけないと『わくわく』のまんま流されてしまいそうです。  私が小学生の頃、大分は天国のような所で、日曜日に父親から「大分に連れて行くぞ。」と言われると、土曜の夜から水やお茶などを飲まないようにしておりました。(笑)大分でおしっこに行かない為です。(笑)それ位に、外の村から大分に行くっていうのは夢の出来事でした。トキハデパートのカレーライスの美味しさは、いまだにうなされるように覚えております。中学生になってからは、貨物列車を改造した列車で通いました。戦後のきつい時期で、今日お話があった計画地の辺りには機関庫があり、はすの池がありまして、そこで食用ガエルが「ぼぉーぼぉー」鳴いておりました。お腹がすくと、食用ガエルを獲りに行って食べた思い出があります。  しかし、今は「夢ではちきれる大分市」っていうイメージは薄くなりました。何か『わくわく』する夢の部分、無理してでも大分に行こうっていう部分が弱まってきているような気がします。  都市が持っている夢の部分、自由な部分、或いは、訳のわからない部分が弱まってきているのではないか。そう思っていた矢先に、今日の磯崎さんの提案を見せて頂だいたので、すっかり『わくわく』しているところです。   列車で駅に着いて、そこから街が始まるという、そういう感動は私の中でずっと生き続いてます。昔、スペインのヘレス・デ・ラ・フロンテラという町に行った時に、駅のホームに降りた途端に「ザァー」っとシェリー酒の香りが降ってきたのです。その印象だけで、ヘレスの町は決定的なものになりました。近いところでは10年ほど前に、石井さんや磯崎さんのお力を頂いて、由布院駅が出来ましたが、あれ以来、湯布院の呼吸機能っていうのか、「出ていく人の『わくわく感』」と、「入ってくる人の『わくわく感』」、人間で言うと肺のような機能が非常に活発になってきました。お客様は年間三百数十万人、そのうち、お泊りの方が百万人位ですから、お泊りの方の4倍近くの人が入ったり出たりするという、そういう呼吸機能の最初の力を呼び起こしてくれたのが駅でした。そういう訳で、今日は過去の『わくわく感』からもう一度、生々しい『わくわく感』を日常生活に取り戻してゆく、その為に駅がどういう役割を果たしてくれるのか、などなどを考えながら、後の時間を過ごしたいと思います。

今井氏  どうもありがとうございました。先程のJR九州の素晴らしい列車が、素晴らしい駅に着くだけで、もううれしくなっちゃう世界ですね。それでは続いて宮崎さん、お願い致します。

宮崎氏  はい、よろしくお願い致します。ちょっと風邪をひいておりまして、お聞き苦しいところをお許し頂きたいと思います。  磯崎先生の先程の夢空間の構想を伺いまして、大変すてきなイメージで思いをはせておりました。そうしたらこのパネルディスカッションの冒頭で、JR九州の素敵な列車の数々を拝見致しまして、九州の方々というのは大変豊かな生活をしているのではないかと、非常にうらやましく思いました。というのも、日頃、東京の都心部の人口密度の高い、殺伐とした街に住んでますと、電車に乗れば、山手線などは大変な混雑しております。電車の混雑度は、大体180%の乗客と言われた時には、座れないけれどもゆったり新聞が読める位の混み方ですから、そうすると、毎朝プロレスするみたいなあの「ぎゅうぎゅう」詰めでは大体270数%、300%前後の混雑率だそうで、データでは坪当たり、33.6人乗っているということです。1平方メートルに直すと10人です。ちなみに、列車で家畜を運ぶ時は、1平方メートルあたり、豚1頭と決まっているそうですが、そういうライフスタイルを余儀なくされている私自身の日常を思い浮かべますと、まさに、街というのがどういう生き方をデザインするのか、そこに住んでいる方々の思いとか、心とか、生きる姿勢とか、そういうものをどのように表現し、哲学として見せていくのか、これがまさに街ではないかという感じを抱いているところであります。  世界の美しい街とか、モデルケースになる街、これは反面教師も含めて、良いもの、悪いものを含めて、モデルケースと言われ、タイプ別される場合の街は何通りかあります。パリ型とか、ウィーン型とか、モスクワ型とか、ニューヨーク型とか。  それを大変、アナログで申し訳ないんですが、今ホワイトボードを用意して頂ましたので、これにちょっと書いてみたいと思います。  初めにパリ型。花の都パリですから、みなさん素敵な街だということで、憧れの目で御覧になっている方も多いんじゃないかと思いますが、パリの街というのは大体こういう形を言います。入り口に凱旋門というのがございまして、その周りがエトワール広場です。そこから、四方八方に、放射線状に道が出て街区を形成する重要なラインになっています。移動の手段だけでなくて、街を造る骨組みになっているというところがあります。そして、四方八方に出ている道路は、それぞれが特徴を持っていて、例えば、この通りを行くと高級住宅街とか、この通りを行くと大使館街とか特徴があるんですが、真ん中を通っているメインストリートをシャンゼリゼ通りと言うんです。このシャンゼリゼ通りは美しい並木道ですが、古い歴史的建造物があって、これをきちんとルールを決めて保護している。簡単に壊したり崩したり、住まい方を変えたりしてはいけないというルールが決まっている訳です。このシャンゼリゼが突き当たったところにあるのが、コンコルド広場です。ナポレオンがオベリスクを持ってきたりしたところです。その両側に官庁街があって、大統領府もあります。その向こう側が旧チュイルリー宮の庭で、シャンゼリゼを挟みまして左右対称に建物が建っていています。こちらが印象派の美術館で、その向こう側がルーブル宮殿です。そのように街を一本都市軸が貫いています。磯崎先生も都市軸ということを言いましたが、街を形成するものにハードソフトは両面有りますが、ハードの面でこの街の哲学を表現する部分が見える形で貫いているんです。そこに沿って街が形成されている。但し、こういう歴史的な古い街ですから、これからの21世紀型、IT革命、高度情報通信社会、光ケーブルどうするだとか、衛生どうするかということになかなか対応ができない。そういう場合の新しいビジネス街区が必要になってきました。これをどうすればいいかといった時に、街を壊さずに、彼らはどうしたかというと、この都市軸を反対側に延長して、この先にデファンス地区という新しいビジネス街区を形成しました。つまり軸をぶらさなかった訳です。こういう都市軸というものが、明確に内外に向かって存在というものを説明している。 この形はベルリンなんかもそうです。非常にカリスマ性のある街ですが、ブランデンブルグ門があって、向こうはウンター・デン・リンデン、菩提樹の並木道ですが、これが一本貫いた都市軸に沿って、議事堂があったり、アーカイブスがあったりする。かつてはベルリンの壁が冷戦期に分断していたわけですが、こういうのがパリ型の基軸と言うことができると思うんです。  都市軸は一直線でなければいけないかというとそんなことではなくて、例えば、円形でもいいじゃないですか。軸が円形、これがウィーン型です。リンクと呼ばれます。円形の都市軸が街を形成しているという形になっている。中世の城塞都市なんかもこういう都市軸が輪になっているということが見られる訳ですが、では丸でも直線でも、一本でなければいけないかと言うと、そういうことはありません。例えば、縦横に軸が走っている碁盤の目状でもいいじゃないですか。整然と並んで座標軸ができているような街、これがニューヨーク型です。アメリカというのは多民族国家で、移民の国です、色んな地域から文化とか歴史とか社会体制とかライフスタイルとか、言語も違いますし、様々な価値観を持った人たちが集まってきて、人工的にそこに調和を芽生えさせようとして造った街です。例えば、右側通行の国からも左側通行の国からも来ている、どっち側通行か、というところの1から決めないと街として成立しない。非常にマニュアル的なところが出てくるんですが、こうしたマニュアル的な部分を、街というハードで表すとこうなる訳です。南北の通りをアベニュー、東西の通りをストリートと言い、そうすると例えば「5THアベニューの42ndストリート」とか言うとピンポイントで場所が分かる。これは文化もライフスタイルも言語も超えてこういうことがわかる訳です。そういうまちづくりというのがあります。  ここに高層ビルが建っています。摩天楼です。ニューヨークの摩天楼街という、これが富の象徴、成功の象徴です。アメリカの根本的概念というのは自由と平等で、かつてのヨーロッパの旧社会の仕組みの中から滑り出して、新しい理想の社会を創ろうとして形成された街ですから、基本は自由と平等、アメリカンドリーム、誰の上にもチャンスは平等なのです。努力しさえすれば、応分の成功が手に入る。その一つの象徴がこの摩天楼ということです。ですから、先日のテロは、まさにアメリカのアメリカたるものを狙ったという非常に深い意味があるのではないかと思うわけです。これがアメリカの街です。  ですから、都市軸はハードソフト両面で表現されているということが言えると思います。今のような、アメリカンドリームの表現をどうしているか、何を価値観として運営されている街か、これも両方で軸として表されている。では、その碁盤の目っていうのはアメリカの専売特許なのかというと全然そんなことはありません。例えば、我が国では、千三百年前からありました。それは平城京です。平安の律令制の都というのは、碁盤の目状の町だった訳です。しかし、これはアメリカの碁盤の目とは全然意味が違いまして、アメリカはマニュアルで座標軸を造ったが、我が国の昔の都というのは背景の思想がありました。当時は仏教だったのですが、社会を支える背景としての仏教のお坊さんがいて、その衣に袈裟っていうのがあります。サンスクリット語から出ている単語です。この袈裟というのは、端切れの布を繋ぎあわせて作って身にまとっていたのがそもそもだそうですが、これを細長く、四角く切り揃えたのを奇数で繋ぐそうです。ですから一番少ないのが三枚剥ぎになる訳です。剥いだところが縦に筋が残ります。縞模様になります。その縞目のことを条と呼んだそうです。ですから3枚剥ぎだと3本出来るから3条という計算になります。五枚なら五条、七条、九条というように、奇数でいく訳です。二五条まであるそうです。その衣をふわっと地面に投げかけて創った町です。だから衣の条というのが、道の条にも、ストリートの名前にもそのままつきました。ですから京都は今でも四条だ五条だ九条だ言いますが、あれはこういう意味があったのです。ですから同じ碁盤の目でも、意味が違うのです。そのハードソフト両面の軸をどう表現するか、というようなことが一つの街の哲学として表れるのではないか。そういう意味で磯崎先生が発表したシンボルロードはまさにこの事です。 一本街の哲学を主張する都市軸として存在し、見える形で街を語っている。顔のある街というのを造ろうとしているということです。私は大変深く感銘を受けた訳であります。  今から8百年位前に日本で初めて武家政権が成立しました。鎌倉時代。この頃、武士の都という特徴は、町が自然の要塞である機能というものを要求されることになっていた訳です。ですからはじめての武士の都である鎌倉の町というのは、三方を山で囲まれた地形をわざと選んでいる訳です。この真ん中の土地に都を造る。空いてる一方は海です。だから非常に外から攻めにくい。入る時も切り通しにはトラップなんかを仕掛けている訳ですが、但し、そういう地形ですから非常に狭く人口密度高い。袖つきあってすぐ喧嘩になって殺し合いになったり、かなり荒っぽい町だったようです。そこで人々の心をゆったりさせるために、どういう工夫をしたか。この町は、この山裾の所が神社です。鶴ヶ丘八幡宮という。そういう意味での心の拠り所であります。その横に幕府があったんですが、この八幡宮に行く参道、海から山の麓に真っ直ぐ通っているのですが、非常に工夫してあります。ここは頼朝が、北条政子の安産を祈って造った。盛り土をして桂石を敷き詰めたので、段桂と呼ばれている訳ですが、これが海の方から内陸に向かってだんだん道幅が細くなるように造っている。つまり遠近法なんです。当時海運が主流でしたから、外から来た、都からの人が来ただとか、あるいは貿易で大陸半島の方から人が来たという時に、初めて降りたった人がここからこう街を眺めて、本当の広さよりも「ぐっ」と奥行き深く感じるような遠近法になってます。実際、この二の鳥居と三の鳥居のもとで道幅を、私は測ったことがあるんですが、ぴったり半分になっています。こういう遠近法。そうすると土地が狭いからと最近の再開発とかでは土地が狭いからって用地買収どうしようかって収用法を発動させようということになるのですが、こういう工夫をすると、別に土地の広さを増やさなくてもいくらでも心理的空間の広がりってものが出来ていく訳です。こういうハードソフト両面の工夫、知恵とかノウハウとかそういうことを盛り込んで、いかにその街が街として、核の概念としているかという哲学を語っていくかというのがこれからのまちづくりの中心的な課題ではないかと思っています。

今井氏  どうもありがとうございました。私も1u十人という世界からやってきました。どうもJRはその方がうれしいらしいですね。東京にはどこにも軸線がみつからないという、そういう都市から参ったわけですが、非常におもしろかったと思います。佐藤先生、今色々出ましたが、非常にみなさんデザインとか人間の感性を大事にした都市ということを話されました。先生はいかにお考えでしょうか。

佐藤氏  今井さんの方から2つの課題をいただいておりまして、一つは「都市の魅力とは何か。」「あなたにとって都市の魅力とは何か。」ということと、それからもう一つは「都市の美しさ、あなたにとって都市の美しさとは何か。」というこの2つをいただいておりますので、それに真正面からお答えをしたいと思います。  魅力という言葉を皆さん方よく使われますけれど、これはいったいどういう意味なのかということを少し調べてみますと、魅力の「魅」というのは「魑魅魍魎(ちみもうりょう)」という非常に難しい言葉があります。大分は大分合同新聞が漢字博士というのをやってるんですけれど、おそらく漢字博士でも書くのが難しいんじゃないかなと思うくらい難しい4文字熟語の「魅」であります。この「魅」というのは、化け物の意味なんです。「魑魅魍魎」というのは「山の化け物」「川の化け物」という意味で、魅力というのは、この「化け物」から引っ張られるという意味です。化け物が引っ張る力という意味なんです。そういうことから、都市の魅力とはいったい何かと言いますと、都市が持ってる化け物みたいな力を言うんじゃないかなと思ってます。まあ、都市というのは非常に「正の部分」「負の部分」、「徳の部分」と「不徳の部分」、或いは「善の部分」と「悪の部分」と言っていいかもしれませんけれど、そういう都市が持っている「悪の部分」と言いますか、何はこうおどろおどろしい部分というのがやっぱり都市の重要な要素でないかなと思ってます。  もちろん「善の部分」ていうのも非常に大事。まさに私自身が専門としております都市計画というのは、この「善の部分」「徳の部分」をどうやって計画するかということなんですけれど、その反対の部分がどのように都市に用意されているかというのが、都市の魅力を実現する重要な要素であるのではないかと思ってます。  外国の例が色々出ておりますが、例えばドイツのフランクフルトに行きますと、非常にきれいな町並みがあります。きれいな町並みと全く反対の不徳の場所があるのです。それがいいコンビネーションで街のおもしろさという魅力を形成しております。ロンドンに行きますとドーバー海峡トンネルを通ってフランス・パリに行くユーロスターの出発駅でウオータールーという、新しく造られた非常にきれいな駅がありますが、そのすぐ近くに行きますと、ホームレスがたくさん群れてるような場所があります。きれいなロンドンだけじゃない「負の部分」がある、これがやはり、「負の部分」だけではとてもその魅力ならないけれども、「正の部分」「負の部分」を持ってる魅力というのを、やはり我々は考えておかないといけないんだと思いますね。  非常にきれいな首都でキャンベラというオーストラリアの首都があります。そこはまさにきれいな部分、「正の部分」だけで構成された都市です。我々が行きますと、確かにきれいで美しいんです。だけどあまり魅力は感じない。観光客もそんなにたくさん来るわけじゃないんです。ただ心洗われるような美しさはあるということです。  それともう一つ都市の魅力を構成するものとしましては、匿名性とか、あるいは逆で署名性とか、まあそういう言葉があるのか知りませんけれど、そういう自分が隠れ住むことができる。あるいは逆に言いますと、自分がスポットライトを当ててもらえるような、そういう場所もある。それから、新しい情報を生み出すとか、あるいは緊張感と弛緩からくる刺激、そういうものがエネルギーになって、人に色々な可能性を与えていく。こういう部分が都市の魅力じゃないかなと思っております。  大分はそういう意味から言いますと、まだまだ都市の成熟ということについて、時がかかるんじゃないかなと思ってますし、駅南の開発が都市の魅力の一翼を担う重要な部分になってくるんじゃないかと思います。したがって、駅南と対になるであろう、「負の部分」をもっと考えていいんじゃないかなと思ってます。  さらに付け加えますと、いま各方面で指摘されている「中心市街地の活性化」、これを実現するのが都市の魅力の重要なファクターであろうと考えています。いま、全国で400を越える都市で基本計画が策定されていますが、居住するに足りる都心の魅力を構築するのが緊急な課題でしょうね。  それから都市の美しさということからいきますと、これも2つほどあるんですけれど、歴史の積み重ね、都市の活動、これをフローとし、それから蓄積された色んなその施設なり環境なりのストックが、きちっと整序されているか。整っているか、秩序だっているか。こういうことが美しさを左右することになるのではないか思います。大分県内にも歴史的な町がたくさんあります。そういうところの美しさというのを追求しようとしていろんな施策も進行しています。  大分は、戦争で歴史的な環境が全く失われてしまったということからいきますと、今からこの駅南の開発を通じて、新しい歴史的なストックをし、造っていかなければならないと思ってます。  それからもう一つ、都市の美しさということから言いますと、一人の建築家が都市を全てデザインするということでは美しい都市文化にはならない。都市は長い時間と多様な人々がデザインし、建設するから味があって美しくなるのだろうと思います。先ほど、磯崎さんもかなり押さえた発言で「私がこういうふうにデザインするんだけれども、これはすべてではないんですよ。」と、「これが一つの検討するための材料である。」と非常にエクスキューズした発言をされてましたけれど、まさに私も全くそのとおりと思うわけであります。この模型が果たす役割というのは、時間をかけ、大分駅南を超えて大分市全体の歴史的ストックを作る上での非常に大きなモーメントになると思ってます。

今井氏  どうもありがとうございます。今、最初に都市の魅力ということでお話し頂いたんですが、色々ご意見があって、宮崎さんがおっしゃたように、非常に明るく、明快な原理というようなものが美しさを感じさせる。或いは、人々を気持ちよくさせる部分がありますし、どうもそれだけだとなんか味気が無いんじゃないかと、やっぱり都市のおもしろさみたいなところを考えると、逆にその「負の側面」或いは、あえて負というのか意図せざるものがないと都市の魅力が出来ない。最初に石井さんが知的好奇心とかいうことを非常に重要だとおっしゃっておられたんですが、どうも色々こう多様なものが一つの街の中に歴史的に積み重なっていかないと本当に魅力のあるものは出来ないし、かといって漫然とやっていても積み重なるものではないということがあって、どうもそういうのがないと、中谷さんがおっしゃった『わくわく』する街にならないことが解かってきたような気が致します。  目の前に模型がある訳なんですけれど、ここの県都コアという事で、新しく出来上がっていくんではないかというものが目の前にあると言う事ですけれども、ここについて魅力とは何かという視点から見た時に、「どうすれば良いものができるのか。」、或いは、「どんな街であって欲しいか。」というような事を少しお伺いしたいと思います。  中谷さん、ここで『わくわく』する、先程、非常に磯崎さんの提案に感動しておられたんで、そこの率直な気持ちからここに模型を見つつ、一つお考えをお願いしたいと思うんですけれども、よろしいでしょうか。

中谷氏  町をどう造ってゆくかを廻って、湯布院は、長年、手探りの努力を続けておりますが、今、やっているのは、「村の風景を造る」という作業です。村の景色や建物の中から、素晴らしいと所を、多勢の人にカメラで撮って貰う。それを専門の方々の手で冊子にまとめて頂く、それを町内全戸に配り、九州の主だった建築設計事務所にもお送りするという作業です。合い言葉は「響き合う」です。「響き合う」という意思で町を造っていけないか。厄介だけど、たくさんの人が絡んできて、悪い手法ではないと思います。このごろ急激に観光商業資本が入って、3.4年でいきなり町が出来上がっていくような激しい変革の時代になっていますが、まあ、ある程度は抑え込みながら、つまり響き合いながら事が進んでいると思っています。  そう思っていたのですが、今日の磯崎さんのお話を伺って、『わくわく』してしまったのは、「響き合う」だけで町はかなり攻め込まれてしまった。資本の流れに押しまくられて、気がついた時には土地を狭めて家が建ち並び、個人の色んな思惑をある方向に誘導する力が足りないのです。  その点、この計画では、JRさんの土地や市の土地が「響き合う」エネルギーを受けとめる、山彦で言うと山があるから声が返って来る訳で、山がないと叫びっぱなしになりますが、そういう意味で響き合うための「受け」の仕組みが、土地の広さも含めて存在する。  それはやっぱり大分でお産まれになった磯崎さんを中心に、「響き合い」を受けて反射するシステム、「希望誘導」という皆さんの希望を映す鏡というか、そういうものがある。そのことを非常にうらやましく感じて、出来る事なら湯布院の、長年してきている「村の風景を造る」「響き合おうじゃないか。」という運動に、こういう希望を誘導する、或いは希望を映しだす仕掛けを導入出来ないものか。帰ったら、色んな人に相談してみたいと思ってます。

今井氏  これは磯崎さんが「わっ」と大声を出して、そうするとこだまがちょうど響き合うといいますか、むしろ、今度はこだまとして地域から声が的確に出てくる。そこでまた磯崎さんがなんかおっしゃられると、そういうような磯崎さんと地域という関係でいけばそういうことがおこる。そういう積み重ねというのが非常に大事です。

中谷氏  ここから始まる「エコーごっこ」の動きは、正しくて、面白いと思ってます。今まで良くあった事例は、立派な案がどこからか、立ち上がってくると、それを推し進める側と、反対する側に別れて、某国の大統領のように正義につくか、テロにつくかみたいな、そんな対立する形でしばしば計画が進んだように思います。この具体的な、大きな鏡を相手にしてキラキラ響き合いながら楽しいエコーが始まるに違いないと思っています。 今井氏  どうもありがとうございます。そうすると今日こういう提案ということで、「わっ」とこうきた訳ですけれど、まあ多分、土地の面積でその風圧が違うというわけじゃないんですが、一番まともに来るのは恐らく石井さんのところのまさしく駅じゃないかと思うんですけれども、どう受け止めておられますか。

石井氏  はい、もう10年ちょっと前に由布院の駅を一新しました。その時に、中谷さんたちを中心にした市民のグループ、それから行政、それから磯崎さんというプロ、そして、私共JRと「とにかく従来にない駅にしましょうよ。」ということで、一緒になって造ったんです。そこで、「なんでもあり」ということで、まず白紙にデッサンして、そして詰めていきました。そういうことで、「日本で初めて改札のない駅が出来たね。」と、永六輔さんに褒められたんですが、考えてみると、駅は、出掛ける人、残る人、ウェルカムなり行ってらっしゃいの場所なので、「あの冷たい改札口とはなんぞや。」という議論をして、なくしちゃったんです。そして観光スポットになりました。マイカーで来た人も来てくれてるのです。それと、文化芸術のギャラリーを造って、そして情報発信をする。そして、町の人と駅の人が一緒になって管理をしていく。そういうことで、駅が一つのコアみたいになってきたと私は信じてます。そして「ゆふいんの森号」を走らせたのです。  今度もサイズ的には全然違いますが、そういうような感覚で、今回、大分の駅周辺を大々的に議論ができるチャンスじゃないかと思っています。JR九州も、最大限のお手伝いをし、私共の勝手気ままだけではやるつもりはございません。  やっぱり「わさだの副都心」ができました。それから、今度は『ビッグアイ』の方でまた副都心が出来つつあります。ここは主都心ですから、ここがもっともっと元気になるようにしたいのです。今でも、中央通商店街とか駅周辺っていうのは他の都市でみんな都心が錆びれていると言われてるのに、割と元気があるのです。これを大事にしたい。そして、もっと駅が一緒になって、賑わいとして盛り上がりをしたい。そして、そこには、私共の綺麗な車体の列車を走らせ、それを目玉のようにしたいのです。「列車を見ると楽しいね。」というのは、子供だけじゃなくって、大人もそうなんで、そういうような駅にして、是非、ここを主都心として盛り上げたい。そうしないと、大分の人はみんな福岡とかに遊びに行っちゃうんじゃ残念ですよね。  それから、模型が前にあるので、2、3、感想を言わせて頂きます。  これから新しいまちづくりが出来ますから、これからの21世紀の街の定規、「ものさし」が何か考えるべきです。そして、色んな移動弱者といいますか、お身体の悪い方、高齢者、外国人、外から来た人とかのためのユニバーサルデザインとか配慮し、もっと人の通行に優しいデザインにしたい。それから、もう一つ大事な要素として、これから日本では自転車というのが大事になってきますので、自転車優先道路とかを考えたい。  100mの道路について、是非、あまりごちゃごちゃしたものを最初っからつけないようにした方がいいと思います。その空白の美しさっていうのを大事していきたい。日本はそういうところが少なく箱庭的になってしまうが、外国は本当に広々したところがあります。それから、私は後世のためにとっておくべき、全部やっちゃうのは失礼じゃないかと思います。  それで、この街もこれからどう造っていくかっていうのが後で議論されると思いますけど、非常に時間もかかるし、また、かけていいんじゃないかと思います。ですから、駅のところも4つコアのような建物が建ってますけど、最初は一つ位、出来るでしょ。それから、駅南の方も、ビルの商店街とか、一階は商店とか言っても、そんなに一度には建たないでしょう。最初は戸建ちが多いと思います。そういうような時代にも、常に美しく楽しく快適な街を維持しながら、段々みんなが造っていくと、ちょっと違うものになるかもしれないと思います。私は、都市は生き物で育つ物であり、また、それは磯崎さんのようなプロと、行政と、それから市民という、風土がその街の風格なり美しさをおのずから長年の間に造っていくと、そういうスタートだ思っております。

今井氏  どうもありがとうございました。大分の駅についてはJRの最大限の工夫、努力をして頂けるということです。今日は非常に大事なお話を頂いたと思います。市民の皆さんが、これを忘れないようにしといた方がいいと思います。そうすると、100m道路の話も出たんですが、先程の軸の話でいくと、宮崎さん、これはまさしく軸ですよね。それで石井さんは「あんまりごちゃごちゃ建てるな。」と言ったんですが、シャンゼリゼだと道路際で食事をしていたりしますが、どうでしょうか。

宮崎氏  構造物で固めてしまわないという意味で、非常に柔軟に、フレキシブルに使える可動式の空間として、ある時は椅子を運んできてもいいし、ある時はみんなでござ敷いてお弁食べてもいいしって、そういうことができる場であるってことはとても貴重だと思います。先程の響き合うという中谷さんの、大変すてきなキーワードだと思います。ところで、最近なかなか響き合うのが難しくなってきました。それから、響こうとしても、それぞれが持ってる価値軸が違うために空振りしたりするというのがあって、それは何が原因かというと、一つには地域社会が崩壊してしまったというのがあるのではないか。その地域が、同じ地域に住んでいるということで持っている、共通の価値観とかイメージとかライフスタイルとか、意識、心みたいなものが段々薄れてきてしまったというのが非常に大きいと思います。それをもう一度造り直す、新しいコミュニティーを造る場としての空間というのに、この駅前の部分、駅もそうだし、それから私はロッジャもちょっと期待しているのですけれども、ああいう人が集える場というのが非常に良いと思うのです。だから、人生の舞台となるような仕掛、これが多様な形で使えるような、色々な可能性、潜在力を持っているような形で固めてしまわない。これはもう、石井さんがおっしゃっている通りで、そのようなことがすてきだなあと思う。もう一つは、先程、世界の都市の類型というのを、つたないながらちょっとご紹介したのですが、あの時に言わなかったモスクワ型というのがあるんですね。モスクワ型というのは何かって言うと、モスクワという街は大変きれいに整備されておりまして、計算しつくされた都市計画を持っている街なのですが、人々はちっとも楽しくない。なぜか。自由がない訳です。自分らしく生きていく自由というのが無かったのです。それが、内側からの社会変動の運動し、ソ連崩壊につながる原動力になったりして、今、中略で荒っぽく申し上げておりますけれども、そういう部分があります。例えば、メインのマンションがあって、郊外には必ず、みんな普通の庶民が、市民が別荘を持っている。「季節が来たら別荘に行きましょう。」「行かなければいけない」というライフスタイルを押し付けられると、楽しくない訳です。そういう自由度を持てる余地というのを、住まい方とか、暮らし方とか、集い方っていうところでも残しておくというのが、とてもこれから大事だと思います。

今井氏  そういう意味ではこれだけ立派な空間が出来てくるので、市民の方が、それを交流の場、コミュニティー回復の場として、どのように自由に使えるか。使える状況が同時にうまく出来てこないと、非常に寒々しい空間になってしまって、かえって街の魅力を損なってしまう。そういう意味ではハードウェアも大事だし、街のソフトウェア、「街づかい」というのも非常に重要だということと思います。それで、これだけの開発投資をし、県都コアということで、国際的な情報文化の発信の拠点を造っていこうということだって伺っておりますけども、そうなると、ここで今の建物がどんどん建つのですが、「中身は何になるんだろうかとか。」これも随分議論をなされてきたかと思います。或いは、「その中の人々の今のコミュニティーの回復というような場としても使えるんじゃないか、重要じゃないか。」という話があったと思うのですが、そういうその街のソフトウェア、機能であるとか、使い方であるとか、そういうものが非常に大事だと思うのですが、佐藤先生、これについて何かお考えていらっしゃいますでしょうか。

佐藤氏  その部分にお答えする前に、すこし磯崎さんのモデルについてコメントさせていただきたいんです。このモデルと言いますか、模型がどう我々に、まちづくりに作用していくのかという期待感、これを含めて簡単にコメントさせていただきます。  他のパネラーの皆さんもお話しになりましたけど、これはあくまでも基本線であるし、これに付け加える部分というのは、市民の皆さんの提案によって色々あるんじゃないかと思います。基本線としていくつかあると思うんですが、例えばゲートとしてのタワーだとか、あるいは南と北をつなげようと。連続立体交差の基本的な考え方です。それから文化ホールを大屋根でとか、或いはコロネードだとか。それから非常に刺激的でしたのは、コンコースから列車が軌道を走ってる部分が見えるとかです。恐らくこれは日本でも初めての提案じゃないかと思われるのです。更にもう一つは、敷地であう。住宅地が展開する両サイドの部分ですけれども、そういうところは敷地をまとめて一街区のビルにするとかそういう基本的な主張というのがこめられてるということ。我々はまずそれを押さえておく必要があるのではないか思います。  こういう磯崎提案と並行いたしまして、「駅南まちづくりの会議」や、或いは「駅南デザイン協議会」というのが動いておりまして、そういうところではもっとディテールの部分について提案をしております。それから「地区計画」も作られてるということでございます。いずれにしても、こういう提案をどのように実際のまちづくりに機能させるのかということが大事だと思っています。先ほど中谷さんの方から、「響き合う」という言葉が出てきましたが、これを別の言い方をしますと、今はやりのコラボレーションといいますか、協働というんですが、そういうことにつながっていくんじゃないかと思います。人々がこのまちづくりをする時に協働してやっていくという仕組みが必要じゃないかと思ってます。これは最後の方で言った方がよかろうかなと思いますけど、時間が無くなるのではないかと思いますので、あらかじめ申し上げておきますけれども、オーストラリアのキャンベラに行きますと、グリフィンが設計した都市のモデル、或いは図面がレガッタポイントというところの博物館に収められてます。   それから、コルビジェの設計したチャンディガール、これが色々な要因で失敗じゃないかと言われている面もありますけれど、ここにもコルビジェの関係の方が設計した博物館があって、コルビジェの模型、或いは図面が収められています。新しいまちづくりをやったところは、そういうゆかりの品物、図面、模型、こういうものがきっちっと保存されて、そして、これが市民のコラボレーションの場になる。そういうことがあると思うのです。 是非、そういうことをやりながら、磯崎提案だけじゃなくって、「駅南まちづくり会議」、或いは「駅南デザイン協議会」等でやられたことというのをディスプレイするということが大事じゃないかと思っています。  これも磯崎さんの方からお話がございました。いわゆるルール違反ということでやりましたとおっしゃいましたけれど、これをルールに乗せるためにはこういう提案を、コンセンサスを得られるようなそういう手続きといいますか、市民がアクセプトできるような、そういう場を用意することによってルール違反がルールを遵守したことになっていくという可能性もあると思ってます。  それから先程の今井さんからの要望でございますけれど、具体的にどういう街にしていったらいいかということですが、この中にもこめられておりますけれど、この駅周辺のゾーンは大きく分けて3つのゾーンに分けられます。一つは、駅を中心とするゾーン。二つつ目は、シンボルロードを中心としたゾーン。三つ目は、区画整理、或いは民間事業のゾーンであります。駅のゾーンにつきましては、交通結節点としての高機能な都市拠点を構築するということが最も求められているし、大分は鉄道とバス、或いはその他のパーソナル交通との結節機能が非常に弱いと言われておりますので、それをきちっとゾーンとして確立すると。それから二つ目のこのシンボルロードとその周辺につきましては、情報文化新都心という位置付けになっている訳です。文化ホールも私は必要だと思いますけれど、いわゆる都心立地型のデザインとか、或いはIT関係、それから芸術関係の、そういう機能のコンプレックスした、複合したゾーンとして機能させる、当然、中心には緑のシンボルロードといいますか、公園的な機能がありますので、そこで市民が今まで実現しなかった都心部におけるリラクゼーションを実現できるような場にする。それから、民間の区画整理のゾーンについては、私はやはり、今、これは主体としては居住地の機能になってくるのですが、環境との共生とか、自然との共生とか、そういう共生をテーマとし、そして、高齢者に優しい都心居住型の住宅地にしていったらいいんじゃないかと思います。現状では宅地はかなり細分化されてはおりますけれど、もっとそういうことを含めて、先程いきなり全部造ってしまうのはまずいんじゃないかというような話も出ましたけれど、そういう方向性を残しておく必要があるんじゃないかなと思ってます。

今井氏  ありがとうございました。それで実際に、今おっしゃいましたように、色々なあれがあると思うんですが、この磯崎先生の提案通りにものが出来ることは当然あり得ない訳で、これは一つのまちづくりのイメージが材料として与えられて、共有できる部分もあれば、また違うイメージのある部分も出てくるかもしれません。ただ、いずれにしても、ここの地域の方々がここに参加して来ないことには、永遠に出来ない訳ですが、実際に、今、佐藤先生がまちづくりをやってきた経緯なんかをプレゼンテーションする場みたいなのは、「まちづくりセンター」と言うんでしょうか、そういうご提案もありましたが、これをどうやって実現していくか、どうやって進めていったらいいのか、ということが非常に重要な課題になってくるかと思います。これは逆に言うと、そういうプロセスを非常にうまくやってこられたということで湯布院は非常に立派なお手本であります。全国からみんな注目しておりますから、そういう意味で、商売のノウハウに差し支えるかもしれませんけれど、中谷さん、これをみんなで取り組んだらいいんでしょう。

中谷氏  なんとなくですが、「まちづくり」という言葉のかなりの部分が、「出会いの場」がどのように活き活きしてるか、という意味に用いられていて、家の中で人々がどのように安心して暮らしているか、ということはそれ程大きく扱われておりません。そのことをどう考えるか、はひとつの設問ですけれども、後回しにします。家の外に出ていって、みんなで一緒に何かをやろうという時に、田舎にはその場所がなかなかありません。盆踊りする広場や、学校の運動場というのはありますけれど、それぞれ、決まったやり方で使うのはよいのですが、用も無いのにぶらぶらとその辺に出ていって、何かをやるということは歓迎されません。大体において、みんなで何かをやろうというようなことは、行政か、或いは公共空間を管理する人の権限の中に入っています。ですから、きちっとした行事や催事になってくる。27年前、初めて湯布院の公民館・大ホールに九州交響楽団のモーツァルトアンサンブルをお招きして、生の音楽をやろうと企んだとき、「町民がどれくらい責任をもって加わるか」と言われました。私はその時3人しか仲間がいなかったので、「3人は加わる。」と言いましたら、「3人で公共の催事だと言われても困る。」と。昔の話です。その時、私は屁理屈を言ったのです。東京から帰って間もなかったのですが、東京の人口が1200万人、湯布院があの頃1万2000人で、1000分の1です。だから、「僕らの3人ということは、東京では3000人になるのです(笑)。3000人がやる音楽祭を個人的な趣味の会というですか(笑)。」懐かしい思い出です。今はみんなで大笑いしてますけれど。まちづくりの中で公が空間を造り、公が管理をし、したがって公が責任をもってやるというやり方の他に、民間がそれをやる。民間だから色んな冒険が出来る。お金もない、場所もない、音も悪い、悪い悪い、無い無いづくしだから、一生懸命、演奏家の方と友達になって、より一層親しい間柄を結ぶ以外に続ける方法がない、というようなことが20何年続いて、最近は演奏家の人が湯布院に移り住もうという。状況にまでなってきた。ですから、一般に言われてる程湯布院は、かっこよく公共とか、パブリックとかいうもので、ことを成してきたのではないのです。いわば苦し紛れに、個人個人の人達の熱意が結び合って色んな、パブリックな催事を造ってきた。それがこういう計画をやる時に、ともすると落ちる視点かな。立派な空間ができて、立派な管理システムができると、それで巧くゆくと思いますが、そうなると通り一遍のものにしかならなくて、人々の熱意がむしろこぼれ落ちていく。そんな場合があるので、ちょっと気になっているところです。

今井氏  今おっしゃられたのも、逆に言うとパブリックな空間というのは公共だけが造るものでもない、普通の市民もパブリックな空間づくりに必然的に参加せざるを得ない訳ですね。

中谷氏  せざるを得ない訳です。場所が無い時には特に。それがもちろんいいばかりではありませんが、マイナスだけでもないという、そういう感じでしょうか。

今井氏  なるほど。石井さんそういう意味では最大の・・・。

石井氏  これからにおいても、過去においてもそうなのですが、成功例というのはやっぱり市民の共同参画で街というのが出来、育っていくのだと思います。市民というのは、何も行政の通りじゃなくって、要するに市の行政に対しても市民はお客様でもあるし、株主でもあるし、パートナーでもあるのですから、やはり市民が一緒になって造っていく。だけども市民にもそういう自覚がないと私は駄目だと思うのです。  これは人間でもまちづくりでもそうであり、いつも4つ言っているんですけれども、ルールとモラルとマナーとホスピタリティ、ちょっと難しい言葉を並べましたが、ルールというのは決め事です。絶対に守らなきゃならない。日本はなんでもルールにするから、おかしくなる。決めてはいけないことはいっぱいあるのです。そうしないとおもしろくなくなる。例えば、服装でも今日はフォーマルかカジュアルかだけを決めておく。今日の宮崎さんみたいにすてきな服を着てくるとかをみなさんがされるから楽しいのである。ですから、決めてはいけないことまで決めてはいけないとルールが、最小限のことを決める。  そして、次にモラルというのがある。モラルというのはルール上はやってもいいのですが、「これはやらないでおきましょうね。」というのが、自ずから人間の行動でもある訳です。  それからマナーというのは、人の嫌がることはやらないというのがマナーなのです。  それからホスピタリティっていうのは、暖かくもてなす心、人の喜ぶことをやろうということです。こういうスタンスをやっぱり人間的にも市民的にも持ってまちづくりというものをみんなで共同参画していくということが、私は素晴らしい街が出来てくるのだと思います。  今までように、高度成長の時代で日本は何でも決めて、決めたことのぎりぎりで、すれすれのところでやるような時代はもう20世紀で終りなのです。私は21世紀はどっちかっていうとアメリカ的な文化からヨーロッパ的な文化に日本がシフトして、文化後進国が初めて文化先進国になる時期が来たんじゃないか。そういう時期にこの開発を迎えている訳ですから、これからの進め方は、フリーハンドをたくさん持って、しかしながら協力してやる、市民参画型のまちづくりをやる一つのモデルケースというか日本最大のプロジェクトとして誇るべき街にしていけるんじゃないかと思っているのです。進め方で言うとそんな感じが私は致します。  それから、その土地の風土というものを大事にしないといけないと思うのです。私はニュージーランドと関係があって時々行きますが、オークランドというシティーがあって、福岡市と提携の姉妹都市なのですが、すごいビルが建っていて海から見るときれいですけれど、ハッと気がついたのは広告が違うのです。聞いてみましたら自分のビルの広告しか付けないのです。自動車とか電気製品の広告、関係のない物は、どこにでもある物は無いのです。ニュージーランドのニュージーランドエアーとかそういう広告しかないのです。ビルだから広告が無いとやっぱり寂しいんですが、それでニュージーランドの観光のスローガンは『100%ピュアニュージーランド』というのがスローガンなのですが、ニュージーランド以外のことではありませんという、一つのイデオロギーなのです。やっぱりそういうようなこだわりと、人間、住んでる人の風土っていうものによって街というのは造りあげていくものだと、これからそうように造って欲しいなと市民に期待する訳です。

今井氏  そうですね、それが本当に大事な文化の拠点を造るということにも繋がるんじゃないかと思います。それで時間もそろそろ迫って参りましたけれども、少し会場の皆様からご意見とか質問とかをお受けして、最後の締めくくりをしたいと思います。何かご発言をなさりたい方は是非、手を挙げて頂き、お名前をおっしゃって、ご意見を頂けたらと思います。いかがでございましょうか。

参加者(片倉チッカリン、繁内さん)  私はあまり場慣れをしてないのと、湯布院町と男性のパネラーの方には申し訳ないんですが、昔から宮崎さんのファンでございまして、生の宮崎さんを前にして相当あがっております。お見苦しい点があるかと思いますが、よろしくお願いします。  我が社は大分駅の南側に土地を持っています。先程、磯崎先生の構想の中でちょうど大きなタワーのある位置になろうかと思います。非常に斬新なデザインと先見性のあるアイデアを拝見しておりますと、新たな産業の、その場に相応しい、かつポテンシャルの高い街というのはできるんではなかろうかと思っております。 21世紀のまちづくりについてはIT抜きには考えられないだろうと思います。加速度的に進みますIT革命の中で、情報ハイウェーと言いましょうか、大容量の通信施設さえあればなにも事務所を東京に置くことはないのでありまして、むしろコストの安い地方に置くことの方が企業にとっては魅力であると考えています。従いまして、IT革命が地方の時代を生み出すといっても過言でないと思います。また、社員の立場、従業員の立場から考えてみましても、特にその大分の街といいますのは、海の幸、山の幸に恵まれており、近くには温泉もたくさんございますし、加えて人情味豊かな土地柄で、是非そのような地区に、先程パネラーの方がおっしゃっていましたけれど、先生が指摘されたような集合住宅なりそういうまちづくりが出来ればここに働いているものにとってはウィークデーにはしっかり働き、週末には市内、或いは別府、湯布院、阿蘇山と、また遊ぶことが可能になってくると思います。このようなことが実現すれば社員も喜ぶでしょうし、是非、大分で働きたいという人も増えてくるんじゃないかと思います。いわゆる21世紀の街である職場と住宅。これが接近したコンパクトなまちづくり。そういうのが誕生するきっかけになるんじゃなかろうかと思っております。  その為には、新たに出てくるインセンティブになるようなIT時代に相応しい設備を備えたインテリジェントビルが要望されるはずです。そのためには一企業でありますと、自ずから限界もあります。大分県をはじめ、大分市はもとより、ここにおりますJRさんにおいても、多大なご協力を願うことが必要であると考えます。我が社は実は今から82年前、大正9年にこの大分で創業した会社です。従いまして、大分には特別な思い込みがあり、新しい大分の発展、まちづくりに、応分の協力が出来れば幸いに思っております。

今井氏  今、ITが非常に大事とおっしゃられてましたけど、佐藤先生も先程おっしゃられていたので一言コメント頂けますか。

佐藤氏  正におっしゃるとおりでして、今からのまちづくりはIT抜きには語れないと思います。大分県では豊の国ハイパーネットワークといって、超高速の光ファイバーネットワークをすでに県南にかけて敷設済みです現在県北にも展開中です。それを民間の方に開放して、今おっしゃったように、IT関係の企業がどんどん入ってこれるような条件にしていただきたいと思いますし、それから、職住近接ということをおっしゃいましたけど、職住を正に一体にして、いわゆるSOHO−スモールオフィスホームオフィスというものをタワーの中に入れていくともっとおもしろいゾーンができあがっていくんじゃないかと思います。

今井氏  ありがとうございました。宮崎さんに一言、言って頂かないと後でどうなるかわからない。一言お願い致します。

宮崎氏  今日はお目にかからせて頂いて、どうもありがとうございます。本当に光栄でございます。ITが進めば進む程、時間空間を超える。だから別に本社が東京じゃなくても大阪じゃなくても、大分でいいじゃないかというと、しかし、逆の論理もあって、大分じゃなくてもいいじゃないかってことにもなりうる。だから、なぜ大分じゃなきゃいけないかというものを、そのITのど真ん中とプラス他の部分で造っていかなければならないという気がします。それは例えば税制かもしれないし、或いは豊かな風土かもしれないし、人間関係かもしれないし、色々なところで仕掛というものを造っていく必要があると思うんですが、これだけバーチャルが進んでいきますと、20世紀と21世紀、ITで何が変わるかと言いますと、プレイスからスペースへと言われているのです。プレイス、場の経済とか場の社会とか、地面の上の活動から、スペース、空間、どういう情報空間を創造するのか、どういう人間関係を紡いでいくのか、そっちに変わっていく。その時に、いかに生活実感であるとか、存在のリアリティーであるとか、手触りの感覚であるとかいうものを持たせていくかというのが大きな課題になっていると思のです。  特に子供達を見ると顕著なのですが、テレビゲームなんかをしていて、画面の中で人間が怪我をしても痛くない、画面の中で死んでも生きている訳です。そうすると、現実にナイフを突き刺したこの先の死という現実を認識していたのだろうかという事件が報告されたりすると、非常に胸が痛む、胸が痛むどころじゃ終らない大変な事態になっている訳でございますが、そういう人間が人間たる所以を、どう活き活きと輝かせていける風土があるかっていう部分を、ますます大事にしないといけない。そういう意味で大分の個性というのを、もっともっと発信していって頂く仕掛というのが必要になってるかもしれないと思います。

今井氏  どうもありがとうございます。非常に重要なポイントだと思います。続いてご意見ご質問等ございますでしょうか。

参加者(佐藤さん)   駅南の地域住民と致しまして、この県都コア構想について、私の思いと意見を簡単に述べさせて頂きたいと思います。  私は大分で生まれ、大分の街で育っております。この大分の街を振り返ってみますと、現市長であります大分市長さんの叔父にあたります、木下郁知事の時代に、新産都構想ということで、新産業都市が整備されて、以来、大分の街はそれと共に発展してきた訳でございます。それに伴う最後の仕上げといいますか、ソフト面の関係で、商業都市、或いは生活空間ということで、新しい大分市の取り組みが始まった訳です。それについて、地域住民と致しまして本当にこの新しい空間といいますか、新しいまちづくり、もちろん駅の高架も併せてでございますけれど、それに対しての本当の思いといいますか、そういう企画に対して非常に楽しみにしている訳です。  そういう内容につきましては、色んな見方もあると思いますけれど、現在、区画整理の中で、私たち地域住民で話したことがありますが、どういう街にしてやって頂くかということでが、先程から述べられていますように、まずシンボルロードを中心としたところではなかろうかと考えております。先程、パネラーの方からもお年寄りに優しい街として、このシンボルロードの周辺には「みやびのもり」と言いまして、お年寄りに優しいアパートも出来ておりますし、今現在、周辺には幼稚園と、或いは地域住民のすみかということで、住宅の建設も始まっております。そういうことで、トータル的には非常に素晴らしいものができつつあるんではなかろうかと思っております。先程もIT関係の情報の発信の場だとか、色んな構想はございますけれど、私自身、地域住民としては本当に明るいまちづくりの中で、先程パネラーの石井さんの方からお話がございましたように、緑の街ということで私共の生活の中に上野の森というのがございますけれど、駅の高架が出来上がってから上野の森までの、本当の緑の連続性のある素晴らしいまちづくりということでしたが私も同感でございます。また、先程も自転車でそういうところを動けるような話も他のパネラーからございましたが、そういう意味合いのものも含めて、素晴らしいまちづくりといいますか、夢膨らむ街として期待をしているところでございます。私自身も今度シンボルロードの方に面する土地を頂くようになりまして、そういう思いから官民一体となったまちづくりということですので、出来る範囲の協力をさせて頂きたいと思っております。最後になりますけれども、この事業が後世に伝わるような現市長の素晴らしいアイデアと構想で出来上がりますことを祈念して、私の簡単な思いをお願いにかえさせて頂きたいと思います。

今井氏  ありがとうございます。これはお答えするということではないようですので、同じ地権者として石井さん何か一言。

石井氏   地域の方々に5年後も10年後も楽しく快適に住んで頂けるように造っていかなきゃいけないんじゃないかと思うのです。また、今回しか出来ないことはやっとかなければいけない。そこに例えばさっきの情報インフラとか、そういうようなものは絶好のチャンスですから、埋め込んでおくとか、電線の地中化とか、そういうことはあると思います。 私は、このITというのはやはり設備だけしても駄目で、ビジネスが集まってくる。或いは人材が集まってくるという雰囲気を造っていかないと、意外と泥臭いことでITが集積してします。今までも大体そうです。倉庫の後に色々やたら安いから来たとか、そういうことが非常に大事で、特に芸術と情報というものをセットにしたIT都市っていうのが、オーストリアのリンツや、あれは工業都市だったんですけど、それからドイツのカルスルーエです。あれは両方とも大体30万ぐらいの都市なのですけれど、モデルがあるんですね。是非勉強して、私は今回のこの芸術アンド情報都市の非常に参考になるんじゃないかと思ってます。それからもう一つ申し上げたいのは、JRは、実は明治44年、1911年の11月1日に初めて鉄道を通して、ちょうど100年弱なんですが、またもう一回大改造ですから、私どもはここにある模型だけでお仕事をするつもりはないのです。大分市というものを考えたいと。私共、別府、これは海岸ですけれども、日豊線の北、それから東の方、これは大在とか坂ノ市とか住宅が随分ついてます。それから南の方の豊肥線沿いも住宅が随分ついてます。それから久大線の稙田とかね、あっちのほうも住宅がたくさんついてます。私ども大分の4方面作戦と言っているんですけれども、列車を倍くらいにしました。それから駅もたくさん造りました。今度も来年の春には大分大学にも駅を造りますけれども、そういうことで、全体的にこの大分都市圏の交通に責任を持ちたい。  それから東九州地区、今フリーゲージトレインが議論されてますから、新幹線、山陽新幹線、或いは鹿児島新幹線からきて、大分まで来れるとか、そういうことも考えたいと思っております。これはこの都市づくりがある程度、軌道に乗り始める頃には現実的な問題になると思います。ですから、そういうことも併せて考えて大分を一つ盛り上げるようにしたいと思ってます。

今井氏  ありがとうございました。いよいよ迫ってきたんですけれど、あと一名くらい、お願いしようかと思います。

参加者(市議会議員 井手口さん)  先程、宮崎さんが都市の類型でご紹介になりました都市は、ほとんど全部が人口密度の非常に低い段階から都市計画を始めたところなんです。我々がここに目にしておりますモデルの区域内は、ドーナツ化現象が始まっているとはいえ、まだ大分市の中でも非常に人口密度の高い場所に、大都市型の都市づくりを割って入ろうとしているところです。  生れて育ったばかりの人間で構成されている心と心の通い合った地域、村と言われる、そういったものからほとんどがみんな流入してきた人ばかりで構成される大都市になってしまわないように、街そのものはハードとしてすてきな街になるけれど、住んでいる人がずーっと心が通い合える、そんな街にしていく為には相当な時間がかかろうかと思います。 その相当な時間がかかるということを我々は覚悟していかなければならないと思います。ただ、駅舎と駅ビルに関しては非常に急がなければいけない。しかもこのモデルの中で、門柱をシンボライズしたこのタワー、或いは駅舎に直接は関係ありませんが、万博の、まるでメインパビリオンのような空間を都市の日常の中に持ち込もうとしている大屋根のあるこの広場。こういったものは捨て難い大分市の魅力になろうかと思うんです。こういったものをコンセプトにして、この駅舎や駅周辺の施設を国際コンペで設計の需要を世界中に発信すれば、単に我々のまちづくりをするだけでなく、まちづくりをしようとする姿勢そのものも世界に情報発信出来るんじゃないかという思いがあります。是非その辺を石井さんにお答えを頂きたいと思いますが。

石井氏  私は、コンペが良いのか悪いのかというのは良くわからない。これはまた一つの方法論なんだと思うのですが、要は、地元が分かってて、地元に愛情のあるプロと、それから市民と、それから行政というのが一緒になって、しかも時間をかけて、ちょうどお酒のように熟成させていくもんじゃないかと思っております。私は磯崎先生と行政とそれから市民というものが一体となって旨い酒を造っていくんじゃないかと思ってますけれど。そういう点につきましては、先程も申しましたけれど、湯布院でやったのはずっと規模は小さいですけど、非常に良かったなと思ってます。  それからもう一つ、これは最後に申し上げようかと思ったんですけれど、このまちづくりを市民と一緒になってするプロセスが非常に貴重だと思います。日本は、市民コミュニティーが破壊している。ですから殺伐として、子供の問題とか、これから高齢者のかばい合いの問題だとか、そういう問題が消えている。ですから、市民コミュニティーをもう一回再興しなければいけない。これは、この戦後の四、五〇年で消えたんで、決して日本人のDNAに無かったものではないと思います。隣組とか、江戸時代のまちの共同体はあった訳ですから。ですから、こういうものを、街を造ることによって、市民コミュニティーを考えながらもう一回造っていくということも、非常に私は大事なんじゃないかと思っております。

今井氏  ありがとうございました。はい、宮崎さん。

宮崎氏  何にも無いところに、まっさらなところに街を造ることは、よほどの時代でない限りは無い訳で、パリというのも、その前にルテティアという古い都があった、そこの再開発ですし、それから、ニューヨークだってマンハッタンの街は、先住民がいた訳です。そこに新しく造っていった訳です。色んな苦労とか苦悩とかをしていると思います。だから色んな例があると思うんですけれども、ただ一つ私はそのコミュニティーを復活させる、新たに造っていくという時に、そこで生れた人でなければその街を愛してはいけないっていうのはないと思うのです。その街を愛している人は誰でも来て良いという街でなければいけないという感じがするんです。来てから愛情を持ってもいいと思うし、行政だから愛してはいけない訳は無いので、やっぱりその愛情というものは、まあ色んな形があると思います。単純に愛という表現は非常に難しいと思いますけど。そういう熱い思いを持つというのが大事なのではないかと思います。

今井氏  どうもありがとうございました。本当は定刻でございますが、ちょっと2、3分お時間を頂いて、最後に一言だけ、本当に何秒で、みなさん最後の一言を言っていただいて、終わりにしたいと思います。

佐藤氏  先ほどから申しておりますけれど、やはりこのまちづくりのコラボレーションをする場、これを造る必要があるのではないか。先程今井さんから「まちづくりセンターと」いう話しが出ましたけれど、「まちづくりセンター」だとか、或いは「まちづくりミュージアム」だとか、そういうものを造っていく必要がある。これはやはりまちづくりのコンセンサスを形成する非常に重要な要因になるんじゃないかと思います。それからもう一つは、「アドバイザー」といいますか、まちづくりをやっていくための「アドバイザー」組織、これをきっちり造ってこのコンセンサスを得るための仕掛けにしたいと、していただければと思います。それが2点目です。それから第3点目は、将来にこの記録を残していくという意味で今日このビッグなイベントがありましたけれど、こういうものだとか、ミュージアムに展示できるもののレプリカを作ってですね、タイムカプセルで22世紀の今日、すなわち2101年の11月13日にこれを開けてみるという夢を私は提案したいと思います。どういう形でカプセルで作ったらいいのかということもコンペでやるとおもしろいと思います。映像を残すためにはどんな方法があるかとか、或いはその模型を残すためにどんな方法があるのかとか、これはITを駆使してやればおもしろい提案ができるんじゃないかと思います。

宮崎氏  先程、市会議員の方がおっしゃったように、プロセスの段階からみんなが参加出来るっていう仕掛がとっても大事だと思います。できた後文句を言っても遅い訳でありまして、制作決定の過程にいかにより多くの方を巻き込んで、より多くのコンセンサスの上に造りあげていくかっていうことが、これから益々大事なのではないかなと思っております。その時の意思決定の仕組みとして、今回も、これは世に通っている訳です。それに対してのその「響き合い」の響きがこれからどうでてくるかっていうのは、とても楽しみなことではないかと思いますし、そういうこの相互関係で出来ていった計画ということになれば、これは新しい意思決定モデルとして世界に大分モデルとかいって売ることが出来るのではという気がしてるんです。だから、本当にそういう意味での新しい試みとして、みんなで参加して手作りでという貴重な体験を共有できる。その一端に例えば本日のような催しに私ごときまで参加させて頂ける、こういうことはとてもすてきなことじゃないかな、と思っています。

中谷氏  最初に今日の模型とスライドを見て『わくわく』した為に、『わくわく』する街であって欲しいという話で始めたのですが、最後に反対のことを言ってしめます。  都市の広場というか、社会空間は『わくわく』する。家庭は安心するという考えが、あたまに入っていて、いつか川喜多次郎さんも「人間には広場と洞窟が必要だ」っておっしゃってましたけども、今は、特に都市では、安心が出来る広場こそが、大事ではないか。広場で安心するという風習を、僕らはまだ本当のところ手に入れていないのではないか。家の中で無理に安心しようとして、インターネットなど『わくわく』するネタをどんどん家の中に持ち込み、都市の広場は逆に孤独になっていく。だから前言をひっくり返しますけれども、『わくわく』じゃなくて安心出来る広場と『わくわく』出来る洞窟をこの際、考えて頂きたいと思います。

石井氏  これは、人間でもまちづくりでもそうですけれど、夢と現実というのと両方私は大事だと思っております。さっきも申しましたように、1911年以来、100年ぶりの大改造ですから、そういう意気込みを持って、斬新なものを造ってく。そしてまた、大分の街、都市の再生というようなものも考えていくということが夢であります。それから、現実はやはり市民が参画していく、そしてさっきも申しましたけれど、市民がこの作業を通じて、10年かかるか20年かかるか、作業を通じて市民のコミュニティー造りというものを造りつついくと。それが街のソフトにもなると思のです。これは大変貴重だと思います。是非、夢と現実とその両方にこれからお励みいただきたいし、我々も精一杯のお手伝いをしたいと思っております。

今井氏  今日は、この模型を前にして、語り合う、共通の体験がここで出来たと思います。そういう意味でこの模型は非常に大きな意味が既にあったと考えることができます。それで、これからこれを実際に形に、現実にしていくというには非常に時間もかかるし、恐らく色々な困難もあるかと思いますが、今日みなさんここにあがった、パネリストの方々の意見がほぼ共通しているのはやはり最後に石井さんがおっしゃったようにコミュニティー造り、むしろこのプロセス自体、みんなで話し合っていく。或いは響き合うという言葉もあったかと思うんですが、そこの共通の言葉をそこで見出して、お互いにゴールを造っていく。共同の作業そのものがまちづくりになってくということじゃなかったかと思います。そういう結論が得られたのかな。或いはもっと大事なことが中にあったかもしれませんが、少なくとも随分色々な事柄が語られたかと思いますので、これでパネルディスカッションを終らせて頂きたいと思います。どうもありがとうございました。

・司会  どうもありがとうございました。コーディネーター、パネリストの皆様方に、もう一度盛大な拍手をいただけますでしょうか。  そして会場の皆様におかれましても、ご静聴いただきまして本当にありがとうございました。貴重なご発言をいただきまして、会場の皆様方もそれぞれに大分の将来の街に、思いを、そして夢を膨らませたのではないでしょうか。  さて、それでは皆様方にお礼のご挨拶でございます。ここでシンポジウムの主催者でございます大分市長、木下敬之助よりお礼でございます。

・木下市長 皆さん、磯崎先生の構想発表からただいまのシンポジウムの終了まで、長時間にわたりまして誠にありがとうございました。今日はたくさんの皆さんのご参加のもとに、すばらしいシンポジウムと構想発表ができまして、心からうれしく存じております。ただ今、パネラーでご努力いただきました発言、また会場からの発言等も踏まえ、今後ともこのすばらしい構想の実現に努力させていただきたいと思います。どうぞ今後ともご協力をよろしくお願いいたします。大変ありがとうございました。磯崎先生はまた会場にお戻りいただいて、皆さん拍手してください。どうも先生ありがとうございました。

・司会 大分市長木下敬之助よりお礼のごあいさつでございました。県都大分市の21世紀のまちづくりの指針となりました、「世界へ発信〜コアOITAの夢」シンポジウム。ご来場の皆様は、県都大分の未来の姿をどのように思い描かれましたでしょうか。未来の県都大分市を大分の夢空間といたしまして、今後とも皆様方からのよりよいまちづくりに向けてのご意見が伺えればと思います。響きあって、私たちの手で街を育んでいきましょう。本日は長時間に渡りお付き合いいただきまして、誠にありがとうございました。なお会場前方には本日発表されました構想の模型がございます。どうぞご覧いただきたいと思います。またホールを出まして1階のアトリウムにも、構想にかかわる展示をさせていただいております。こちらの方も是非お帰りの際にお立ち寄りください。なお展示時間は本日夕方6時までとなっております。またご来場の時にお渡ししました緑のアンケート用紙でございますけれど、出口におきまして回収してございます。どうぞ皆様のご協力をよろしくお願いします。そして本日のシンポジウムにつきましては、大分市のホームページでもご覧いただけますので、是非アクセスしていただきたいと思います。皆様長時間に渡りお付き合いいただきまして、本当にありがとうございました。