この記事は1996年12月3日に山国町のコアやまくにで開催された、大分県過疎地域振興協議会・大分県主催による「アメニティ施設を核にした過疎からの脱却を考える集い」におけるパネルディスカッション
「アメニティ施設を利用した地域づくりを考える」
の記録です。
 

 
 
<コアやまくに>は複合文化施設として建設されました。
コアやまくにのページにリンクします。

コーディネーター   
      :佐藤誠治(大分大学工学部教授)
パネラー       
      :栗生 明(建築家・千葉大学工学部教授)
      :衛藤龍天(大分県久住町長)
      :大工原紀久雄(財団法人別府コンベンションビューロー専務理事)
      :平井三恵(コアやまくにワーキング会議メンバー)
      :木ノ下勝矢(中津下毛・地域づくりネットワーク推進協議会会長)



はじめに

佐藤:それでは、パネルディスカッションを始めたいと思います。私はただいまご紹介いただきました大分大学の佐藤でございます。
 今日は、パネリストといたしまして、多様な方々をお迎えしております。午前中は、粟生先生には「環境とアメニティ」というタイトルでご講演いただきましたが、今回のシンポジウムの大きな目的は、すばらしい自然環境を持った過疎地域の、総合的な快適性としてのアメニティ、これを定住条件づくりに活かしていく、ということだろうと理解しております。大分県内の過疎市町村の分布を見ますと、特徴的な傾向が見られます。JR日豊本線沿い、久大線沿いの市町村が、基本的に過疎地域に指定されていない。あまり過疎になっていないということです。これは、高速道路の整備状況とも符合しています。幾つか例外的な地帯もありますが、これは、交通の利便性が、地域のアメニティにとって重要なファクターであることを表しているのだろうと考えております。当然、こういう地域は、就業の場もかなり獲得しやすいといいますか、確保しやすい条件を持っている地域だろうと思います。こういう条件を持っていない地域、これは過疎地域ということになるわけですが、そういう地域の課題は何かというと、<地域に住み続けながら広域に交流することができるような条件を持たなければいけない。>ということだと思います。地域に住み続けるための条件、これが今回のシンポジウムの大きなテーマであります“アメニティ”を確立することではないだろうかと思います。今日は、アメニティを確立するためのアメニティ施設、これを活用した地域づくりを考えるという風になっておりますので、地域づくりにはいろいろな局面があるわけですけれども、パネルの皆様方にお願いしておりますのは、アメニティ施設ということに共通項を見出したような形で、日頃取り組んでおられる地域づくり、あるいは粟生先生の場合は建築設計ということになりますけれども、そういう共通項を見出しながらディスカッションを進めて行きたいと考えております。
 時間的に限られておりますので、各パネラーの方々に7分程度ずつ第1回目の発言を頂きまして、それを受けた形で相互に討論をする、あるいは私の方から質問をするという形で議論を進めます。そして、最後に、地域づくりとアメニティ施設についての提言ということで1回ずつ発言していただくという形で進めたいと思っております。発言は木ノ下さんから順番にお願いしておりますので、どうぞよろしくお願いします。
 

地域づくりとアメニティ

木ノ下:木ノ下です。中津下毛・地域づくりネットワーク推進協議会というグループを作って代表になっているのですが、地域づくり活動の原点は、豊の国づくり塾の一期生ということで地域づくり運動に初めて関わり、いろんな人との出会いがこんなに楽しいことかと気付きまして、自分の地域で元気に過ごせる手段として活動しています。その後に、今日も会場に何人かのメンバーが来ていますが、豊の国中津落ちこぼれ塾というものを作りました。官製といいますか、行政主導の地域づくりが主流だった昭和58年、59年頃に、自分たちでも何かやれるんではないだろうかということで、勝手に作ったグループなんです。
 中津は福沢諭吉が育ったところです。今、非常に評価されてますが、150年前というのはあんなばかなことを言ってとか、そんなしようもないことを言ってとか、そんなふうに多分言われていただろうと思います。150年たった今でも通用する考え方が評価されています。何か言い続けて行動して実績を作っていくことで、時代が変わっていっても通用するような考え方になっていってるんではないだろうかということを感じたので、仲間を13人集めて豊の国中津落ちこぼれ塾という地域づくりのグループをつくりました。今落ちこぼれていても、21世紀になると評価されるような活動をやろうということで、そういう人たちと酒を飲み交わしながら、何か面白いものはないかという考えの中から、大分県対福岡県の綱引き大会をやろうというのが出て来たのです。
 山国川というのは県境で、日頃生活するうえでは何も県境という壁は意識しないんですね。福岡県の人が大分県立高校を受けたりします。大分の方も、福岡の高校を受けたりできるんです。吉富町も中津の市内電話です。普通生活するうえでは、全く県境ということを意識することはないんです。ふとこう考えてみますと、大分県北の県境、一番端っこですから、県庁は何もしてくれない、そんな嘆き節が言われるんですね。県立と名がつくので、中津にあるのは職業訓練校と県立高校しかない、あとは何もないみたいな話しがよく出てたんです。山国川を越えて吉富町、豊前市なんかに行きますと、大分と同じように福岡県庁は何もしてくれないっていう風に言っているんですね。そういう行政の背中合わせになった、ちょうど谷間にある場所で、面白くない、面白くない、と言ってた場所なんです。
 隣の町の人が何をやっているのか全然分からない。みんな両方の県庁にそれぞれアンテナを向けてるんですね。福岡県も県庁にアンテナを向けている。ただし、面白いことに、マスコミだけは電波とか情報が行き交ってたんです。ラジオもテレビも全部情報が行き交っている。大分では、例えばOB SとかTOSとかっていうテレビしか見れませんけど、中津の場合は福岡県のテレビも全部映るわけです。そういう風に情報が行き交ってますので、県境で何かをやると非常に面白い反響が出てきたんです。綱引きも、自分たちが面白いことをやったんですけど、マスコミが全国放送で全国に教えてくれることによって、北海道に行ってる大分の人とか福岡の人とかが、自分の住んでた町を、胸を張って、俺は三光村出身だとか中津出身だっていう風に言えなかったのが、テレビや新聞などで情報を得て、地元に元気な人たちがいる町を見て、俺たちはあそこの出身なんだと言えるようになった。そういう風に言ってもらえることで、また逆に、住んでいる人たちも、良い町だなっていう風に思えるようになるっていうか。住んでいる人がぐちばかり言うと、誰も寄り付かないようになると思うんです。
 それで、何が楽しいか、何ができるかっていうことで、15年間ずっといろいろやってきました。中津下毛にはいろいろな地域づくりのグループがあるんですけど、そういう8団体と、地域づくりを共に考えよう、山国川をテーマに、上流の人が下流の人のことを考えられるような、下流の人は上流の人のことを考えられるような、そういう都市から森へというか、森から都市へ、例えば中津の元気を山国へ、山国の素晴らしさを中津の人に知ってもらうみたいな、そういう共生ということをテーマに、いろんな遊び心を取り入れて、活動をしてきたんです。そういうネットワークづくり、地域づくりのグループを作ったんですね。中津に4団体、それぞれの町村に1団体ずつのグループなんですけれども、通常、組織を作りますとピラミッド形になるのが、今回の場合はフラットな組織ですね。誰がリスクを負うということだ
けを決めて、横並びで、特徴のある、自分たちが日頃の活動としてやってることができるような組織づくりをやりました。このコアのオープニング行事のときに、中津下毛・地域づくりネットワーク推進協議会でオープニング行事をやったんです。小椋桂さんのトークショーをやったり、長谷川きよしさんのコンサートをやったり、コンチネンタルブレックファーストのコンサートをここでやったりしました。
 いろんな会議をやる中で、どうしても、自分たちの町という垣根、例えば自分たちの町でやっている行事でも、よその人が来てやっているのは自分たちの行事ではないんだという、そういう垣根がやっぱりあるんですね。
私どもは中津から1日に4回山国にやって来たりしました。車で1時間位かかりますから、本当言うと、疲れてもう来たくないなと思ったこともありました。山国のものだ」みたいな感じになってしまいますと、なかなかうまく関われなくなるんですね。周りの人も、あれは中津から来て中津の者がやっているんだ、みたいな部分になってきたりとか、他の町村の人たちも、山国のコアがあるから皆でそういう文化的な行事をやってみようという話しになっても、あれは山国のものだ、みたいなことに、何か会話の中からなっていきやすい。で、このテーマであります“広域的な”という言葉ですが、本当に広域的という考え方を日頃から訓練をしないと、いろんなセクトとか、行政区域とか地域とかいろんなしがらみに、まだまだみんな見えないところでもあったし、小さくは家庭であったりとか、職場であったりとか、字であったりとか、校区であったりとか、そういうところから交わっていったりとか、飛び出ていったりとか、広く受け入れるという部分の訓練がなされないと、せっかく立派な建物があっても、広い意味で、いろんな人たちと関わるという出会いの場という部分にはなって行きにくいのではないかなと思います。それと、よい点としましては、例えば小椋桂さんというネームバリューのある人がくると、誰がしてるとか、どこであるとか、遠いとか近いとかっていうのはまったく関係ないですね。小椋桂さんの話しを聞いてみたいという部分で、この会場に溢れるように来るんですね。その辺の仕掛けというか、それがイコール金が掛かるという部分でなくて、そういうことが出来て行くネットワークづくりを自分たちでしていかなければ、県や町の人たちに全部おんぶにだっこみたいな形でやっていくと、面白みがないと思います。山国の人も、そうなってくると、今日は山国の人は多分少ないと思うんですが、おおごとだ、また何かやっている、また券が来た、また券を売らなくちやいけないとかっていう具合になっていって、かかわり方がきゅうくつになって来まして、面白くないと思うんです。
 ここでは、例えば福岡から1時間20分で来るんですね。福岡のコンサートに行って、駐車場を探して、ちょっと郊外から行っても2時間位かかるんですね。駐車場は、1つのコンサートに行って帰ると2千円とか3千円位駐車料金がかかります。コンサートも6千円とか7千円ですね。そういう福岡あたりの人たちがここに来るのと、そういう時間や経費は変わらないんです。距離的にも、時間的にも、お金でも。で、そういう福岡あたりの人たちと交わりながら、コアやまくに行くというステイタスを山国の人たちが関わってつくり上げていけたらいいと思います。何かひとつの、例えば音楽であれば新人賞みたいなやつを育てていくとか、ここから育っていった有名な人を呼ぶのも良いんでしょう。ここから何か日本中に育っていくような仕組み作りができると面白いなという感じがしてるんですね。そのためには、やっていく過程で、地元の人たちとか、広域的に中津下毛という風に考えても良いんです。そういう人たちが助けるといいますか、応援できるネットワークづくりがあったら、山国のものだという部分も大事でしょうが、そういう広い意味で、中津下毛の施設であるという風な位置付けというのをきちっと早めにしてもらうと、よその市町村、例えば中津の人も関わりやすいんですよね。そういうような形でやりますと、少々大きいこともできていくと思います。これくらいのキヤパだと、非常に面白い、親近感のあるいろんな行事ができていくんではないかなと思うんです。やっぱり、行事というのは、誰がやるかっていうよりも、何をやるかっていうことの方が大事だろうと思うんです。今、例えば、山国町がやるのか県がやるのかという主催者を看板に書いたりしますけども、誰がやるとかっていうのはもう関係ないと思うんです。だから、何をやるかということが大きな声で情報として伝わっていくような仕組み作りをしないと、役場がやるんだ、商工会がやるんだとかっていうような、誰がやるかということばかりが伝わっていって、役場がやるんだったら、また動員がかかるだろうからまた行かないと仕様がないなというような形になっていったりするので、そういう誰がというよりも何をやるかということが真剣に語られて、ああ、それなら行ってみようか、来てみたらたまたま県の人がしていたとか、地元の青年団がしていたとかというようなことで、誰がしていたって関係ないと思うんです。この地域で情報を発信していくと、何か面白い使われ方になっていって、この地域も元気になって、中津下毛全体も元気になって、隣の福岡県までも元気になっていけるのではないかなという風な感じがするんです。私なんかも中津市に住んでますけども、山国川をテーマに活動してますので、いろんな意味で、ここをまた使ってみたいなと、いつも思っています。

佐藤:どうもありがとうございました。広域の人々が融合する場としてのアメニティ施設。そして、その中から広域のネットワークが作られて行って、人が育っていく、こういうことかなという感じがいたしております。
 それでは、次は、平井さんの方からお願いいたします。
 

山国町の生活とコアやまくに

平井:こんにちは。山国町の平井と申します。先程、ワーキングのメンバーということでご紹介いただきました。もちろん、メンバーなんですけれど、正直言いまして、この2年間、コアのオープニング行事とか、先日オープンしましたスケート場のオープニング行事、そういうイベントの企画ばかりやってきて、本来の私たちの使命であります活力ある町づくりのために、ということは、具体的にあまり話されていませんので、今日は、町民の一人として、また女性として、思っていることを少しでも言えたら良いなと思って参りました。 日頃、よく思っているのですけれども、高齢化社会とか言いますけれども、すでにこの山国町は、高齢化じやなくて高齢社会になっているわけですね。でも、高齢が問題じやなくって、立派な施設があるのにもかかわらず、若者がいない、子供たちがいないということが、やっぱり一番の問題だと私は思います。実際、私の子供も今年春、東京の大学目指してこの町を離れました。親離れは出来ているようですが、私の方が子離れができず、「何かあったらいつでもここに帰っておいで、あなたの生まれ育った所は待っているから。」というような形で送り出したんです。自分たちがふるさとを守っていることで、何となく、私、過疎対策に貫献しているかなと思ったんですけれども、そうではないんですね。いくら私たちがそこで子供たちが帰れる場所を守っても、これが続かなければ何にもなりません。よく若者定住ということを聞きますが、今の若い人は、うちの子供も含めてやっぱり一度は都会にあこがれる。外を見たいという気持ちは誰も同じと思います。私は、実は山国生まれ山国育ちで、出たことがありません。都会へのあこがれも年とともに消え、「住めば都」、今は、子供のために、ここを守っていてあげたいと、そう思っています。一旦子供が外に出て、また、出ることによってこの故郷の良さを感じ取ることが絶対にできると思います。先日、どなたかに、出てしまったらもう帰って来ないよ、という言葉をいただきましたけれども、子供が帰ってきたいと思うような町づくりをすることが私たちの大事な使命だと思います。結婚したら、子供は自分が育ったこの自然のきれいな所でで育てたいなと思うような、そういう町づくりをしていきたいと思います。そうしますと、じやあ、誰がそれをやるかということになるんですめね。実際、先程も言いましたように、今、高齢者と女性の町というような感じですので、りっぱな施設もいただきましたが、この施設を活かすも殺すも、私たちだと思います。
 そんな私たちが、どんな風にこの施設を受け止めたかということを、ちょっとお話ししたいと思います。大変気の毒なんですけれども、当初、私たちは、こういう建物ができると聞き、庁舎が老朽化してましたので、その計画については別に何も思わずこういう大きな複合施設ができるということで、皆、楽しみに待ってたわけですね。そして、いざ出来上がって見ると、ど−んとセメントの打ちっ放しということでちょっとつめたい感じを受けました。都会的なものをここに持ってくることによって、若者の流出を防ぐという意味合いもあったかと思うんですけどびっくりしました。長年暮らしてきた高齢者や私たちにとって、この町は本当にどこを見ても、水墨画の世界というような町なんですね。そういう場所に、こういう都会的なものができて、正直なところ戸惑ってしまいました。で、この町にはログハウス風なものとか、木造建築が合うっていう、昔からのイメージがありましたから、意外なものがどんと出てきて、どうやって良いのか分からない。そういうとまどいの中からのスタートでした。本来なら、私たちみんなが、こういう施設が欲しい、こういう間取りでこういう風に使いたいと話し合いを重ねた上で出来あがったものであるべきだし、一人一人の思いが結集したものなら皆一斉に、さあ出来たから頑張るぞいうような気持ちになるとは思うんですけど、正直言いまして、何?えっ?ついて行けるかな?という高齢者の方も多く、私たちもそうでしたけれども、ゼロからの出発じやなくてマイナスからの出発だったような気がするんですね。だけど、できた以上は何ややらなきやいけない。どうなるのだろうっていうんじやなくって、どうするのかということが、私たちが考えなければならないことだし、とても難しいことです。今ここ1年経ちまして、行政の方も、高齢者やコアから遠い所に住んでいらっしやる方をマイクロでこちらに案内をしたり、コアのよさをわかってもらうためいろんな手段を使いまして、今は大分、みんな盛り上がって来ております。だから一日も早く、みんなが同じ目標に向かって行けたら良いんですけど、なかなか、そこのところがわかっていても難しいですね。インターネットによって、いろいろ外部にはよくアピールしているようです。私も中津の方に毎日通勤してますと、今は何をしてるのとか、これはどうなるのとよく聞かれます。即座にお返事できないのが本当に申しわけなく、ワーキングメンバーでありながら力のなさを感じます。意外と、周りの人の方がよく知っているわけですね。灯台元暗しと言う感じがあるんで、もっともっと、ここに住む高齢者や女性にやさしいコアであって欲しいなと思います。
 昔は、通勤可能範囲っていうのがやっぱり狭かったですね。でも、高規格道路が出来ますと、どんどん範囲が広くなりますので、お父さんには元気で、安心して働いていただいて、家にはお年寄りがいて、子供を守っていただきたい。おじいちやん、おばあちやんたちの、昔からの豊かな経験とか、そういうものを子供たちに伝えて欲しいなと思うんですね。そうすることによって、また、お父さんも、静かなこういう田舎で休日はのんびり過ごして鋭気を養って、また明日から頑張れる、そういう憩いの町って言いますか、そういう心やすまる町になってほしいと思います。
 私の母は東京から来ていますが、親兄弟みんな東京にいても、住めば都、この町が一番と申します。もう昔の東京じやない、若者の町であっても自分が住む場所じやないってよく言ってます。若者の町があるのなら、高齢者の町があっても良いのじやないかと思います。にぎやかな都会にいらっしやる高齢者の方で山国のような自然の中に住みたいと思っている方もいらっしやるんですね。そういう方を歓迎して、受け皿になっても良いんじやないかなっていう気もします。そして、是非、この町で子供たちを育てていただいて、子供たちも、一旦は外に出ても、やっぱり山国が良い、というような町にしたいなと思っています。

佐藤:どうもありがとうございました。施設は出来たんだけれど、この施設を利用するという部分で、今、産みの苦しみがあるんだろうなと。ただ、だんだん盛り上がりつつあるということだと思います。そして、そういう中で、また新しい課題がさらに出て来ているんじやないかなかという感じが致します。
 それでは、次に、大工原さんお願いします。
 

まちづくりとコンベンション施設

大工原:大工原でございます。私、先程ご紹介いただきました通り、もともとJTBでございます。旅行屋稼業をしばらくやっておりました。また、現在、別府市の方で、皆様ご存じのビーコンプラザを管理運営している、この立場から、若干違った視点かもしれませんが、ちょっとお話をさせていただきたいと思います。
 JTBは、もともと財団法人JTBというのがございまして、それから戦後になって一部株式会社とに別れたわけです。この財団法人のJTBというのは、基本的には儲け仕事ではなくて、観光関係に関わる調査研究、その他いろいろな専門書を出したりしているところなんですけれども、ここが、平成元年から6年まで6回に渡りまして、地域選考セミナーというのをやっておりました。私もたまたま縁あって、1回それに出たことがあるんですけれども、今回このディスカッションに来るということで、過去の記録なんかを引っ張りだしてみました。
 どんなところでやっていたかと言いますと、こちらのような過疎に悩む地域、あるいは、町興し、村興しに懸命なところですが、例えば、新潟県の黒川村ですとか、福島県棚倉町、あるいは富山県の利賀村、群馬県の川場村とか、愛知県の足助町とかですね。そういったところで、日本各地から、こういった地域興しに関係していらっしやる方々、あるいは関心のある方々をお招きして、セミナーをやっておったわけでございます。そういう、私自身も体験したもの、あるいは過去の記録なんかを読んでみますと、こういった地域づくり、地域興しに、共通した項目が三つあることに気付きました。一つは強力なリーダーシップの存在、それから、もう一つはその施策なり方向なりを維持して行ける期間の長さですね。それから三つ日が、地元の住民の皆さんの理解。大体この三つくらいが揃って、今までの成功した例なんかに共通しているなという気がいたします。当然のことと言えば当然なんでしょうけれども、実際の事例を見てまして、つくづく、私そういう風に感じました。で、一番初めのリーダーシップ、これは、民間でもどちらでも良いのでしょうけれども、やはり、最終的にはそういった活動をするということになりますと、やはりその自治体の首長さん、この方が非常に大きなキーを握っているんではないかなと思います。当然ながら、その予算措置的なもの、あるいは許認可の問題も含めまして、かなり首長さんの物の考え方が大きく左右するんではないかなと思っております。この方がどういう形で動かれるか、これによって、その人についてくる、まあ住民も含めてですね、かなり動き方が違ってくるなという気がします。
 実例を一つ揚げますと、実は皆さんご存じの通り、東の熱海、西の別府と言われるくらい観光客の減少により衰退してきていると言われています。別府の場合、最盛期の宿泊客の数が6百数十万から、現在4百数十万くらいまで落っこちて来ていますけれども、この別府市の井上市長は、今年度は新観光元年だということで施策を打ち出しまして、自ら、それこそ東奔西走と言いますか駆け回っております。私もたまたま東京、福岡、大阪での行政懇談会に出たことがありました。業界の方々、あるいは官庁の方々をお招きして、別府市の観光宣伝をするわけですけれども、異口同音に皆さんから聞かれましたのは、別府市長さんが出て来た、そのことだけで、これは別府は本気だなという風な印象を持たれております。やはり、首長さんの物の考え方、動き方というものが大変大きな影響を与えるということだと思います。
 それから、もちろん、当然、それを進めて行くには、一朝一夕にはできませんので、かなり長い期間が必要ではないかなと思います。それと、住民の理解と協力と言いますけれども、当然ながら、当初、全員100%皆さんが一致した考え方で、そういった町づくり、地域興しにベクトルが一緒になっていると限りません。したがって、中のリーダーの方々、何人かがいてもいいかと思いますが、地道にいろんな活動をしていく、その活動を通じて、皆さんの理解を得ていく、こういうことが必要だろうと思います。
 このコアやまくに、私今日初めて来させていただきましたけれども、一つだけ提言したいのは、今、隣に設計者の粟生先生もいらっしゃいますけれども、このコアやまくにを作られたコンセプト、これは皆さん一番最初にきちっとやはり理解をしておいていただきたいと思います。これは、私、実は北九州の国際会議場が出来上がる前も含め3年ほど、国際会議場を管理運営しておりました。それから、今、ビーコンも管理運営しておりますので、いろんな経験から申し上げるんですけれども、やはり、この作られたコンセプトというのをですね、きちっと皆さんが理解していらっしやらないと、後から、段々と走りだす方向がばらばらになってくるような気がいたします。例えば、このコアやまくに全体でも良いですし、あるいは、今私どもがここに座っていますこの部屋でも言えると思うんですね。この部屋はこういう形で使うんだ、したがってこれこれのことはできない、先程司会者の方から、ここでは飲食はできませんという話がありました。こういったことも、きちっと最初に押さえておかないと、後からいろいろな問題が生じてきます。これは、一口ではなかなか申し上げることができない、いろいろなケースがあるんですけれども、今、お隣の平井さんがおっしやいましたとおり、ここを活かすも殺すも私たち次第という、非常に前向きの発言がありました。お話をお聞きしていますと、やはり皆さん喧々がくがく、このコアやまくにがどうあるべきか、ということを議論されているように、私、理解いたしました。そういう風に、理解すればするほど、非常に難しいなと。難しいんでしょうけれども、やはり、最初の段階で皆さん徹底的に議論をしておかれた方が良いと思います。
 例えば、今の飲食の話を含めましてですけれども、例えば、ここでは何をしてはいけないというようなルールです。ここではこういう風にしなさいとかいうようなルール、これは出来るだけ数が少なければ少ないほど単純明快で良いんですけれども、最低のルールだけは、皆さんが理解をして守るということ、これさえ皆さんが共通認識を持っておられれば、その後の運営、その他、そんなに問題は出てこないのではないかなと感じております。

佐藤:いわゆる首長さんの考え方が非常に大事だと、それはまったくその通りだなと思います。アメニティタウンの構想、それから、この施設ができる時には、吉峯町長さんの非常に大きなリーダーシップがあったわけでございます。それからもう一つは、施設づくりのコンセプト、これをきちっと打ち出す中でコンセンサスが大事だということだと思いますけれども、私も、この構想を作る段階で、ずいぶん議論させていただきましたけれども、それから、地域の皆さん方とも、議論させていただきました。まあ、十分過ぎるということはなかったんですけれども、かなりやったつもりではいたんですけれども。いろいろ実際の施設が動きだすと、なかなかすんなり行かない部分もあるかなという感じは受けました。 それでは、衛藤町長さんの方からお願いします。
 

地方行政と施設づくり

衛藤:久住の町長の衛藤でございます。山国町の吉峯町長さんは町村会の先輩でして、もう長い間、いろいろご指導にもあずかっております。この詰も、何年か前からお開きしておったんですが、実際に拝見したのは今日が初めてで、本当に腰を抜かすほど驚いて、写真では見ておりましたけれども、すばらしい施設であります。
 粟生先生が仰有ったように、西洋のどこかの町にあるのじやないかな、あるいは東京の中にいるんじやないかな、そしてまたシンボルとして塔があるし、コンクリートの狭い迷路があるし、今、自分はどこにいるのかな、ドアを開けるとまるで思ったのと違う所に行きますので、これはまあ、おもしろい都会的なすばらしい施設だなという風に思いました。
 行政として、このような施設を、しかも、大きな投資をなさいました。また、これは行政が、このような面も役場と一緒にするというのは、大分県でも初めてでしようが、全国でもそう例はない。そうした偉大な実験をやられる吉峯町長さんや町議会や山国の方は、なかなか肝が座っているなと、非常に恐れ入った次第であります。今後、この館がどうなるか、おそらく運営委員の方がおっしやったように、試行錯誤はありながら、きっと素晴らしい若者が育つんじやないかなと思います。 実は、私も、経歴にありますように、ちょっと家の事情で、都会から家の方の村に帰りまして、20年ばかり公民館の仕事をしておりました。その頃は予算がなくて、青空公民館で、機能だけあって施設がない。その頃は青年が多かったんですね。うちの町だけで 200人以上もおったでしょう。青年と、夜焼酎を飲みながら議論したのは、やはり施設が欲しいなということでした。いろいろ言ったんですが、こんなことは想像しませんけれども、まあ、建物があって、集会施設があって、こういうシアターでもあれば最高と思っておりました。やはり、村の茶の間、村の人がしょっちゅう集まってそこで話し合う、そういう話合いの中から村づくりのエネルギーが沸いて来ると、そういう構想があったんです。そういう話し合いも、町行政の方と一緒に話して行かないと、町の活性化にならない。そういう面では、すぐ役場がある、わざわざビールを買いに行かなくてもそこにある。そういう面では、私が長い間、若い時から夢見た何倍も素晴らしいものがここに出来ているわけです。私は、ここで山国の方が、これから新しい村づくりを考えたら、素晴らしいと思います。位置も、ここは久住と違いまして、日田のインターに非常に近い。どんなことでも可能性はあるわけですね。働き場も、通勤しても良し、いろんなことがあるから、可能性があるんじやないかという風に思います。
 せっかくですから、じやあ、あなたのところは何をやっているんだということでしょうから久住町のことを申し上げます。私の所は、人口が、合併当時、昭和30年頃は9千ありましたが、今は5千人に減っています。農業は1戸あたりの生産額は高いです。しかし、その他に何もありません。通勤することもございませんので、結局、農業だけの収入ではどうにもならない。農業プラスの収入がない限り、通勤もできないから、人口は減っていくわけですね。だから、町内に働く場所を作らないことには、何の幸せもない、アメニティもないわけでありますから、働き場を作ろうと、私も十何年か前に考えました。で、何が良いかと言っても、高原と山の町で、町の面積の約半分は国立公園ですから、この自然を生かした観光しかないわけです。交通は悪いが、来てみるとこれは広くて良いなあ、という所ですから、町の者も、この良い景色を見に来ないのが悪い、よその人はよそばかり行って、久住に景色を見に来ない、ということが残念だったわけです。じやあ、どうしたら見に来てくれるか。その頃は道路が一本高原にあって、車で走って両側見て、ああ山が良い、あそこが良い、高原が良いと、良い良い言って見ている間に、何も寄るところが無いから、すぐ竹田に着いてしまう。挨だけ掛けて帰る。だから、これはどこか高原に一つ止まる所を作らなくちやいけない。国民宿舎が一つありましたけど、それはまあ宿泊するだけでありました。その外に何かやらなくちゃいけないということですが町民がすぐにやれませんので、やっぱり集客力のある企業誘致ということになり、100ヘクタールの牧場をある会社に貸して、そこにガンジー牧場を作りました。畜産の町ですから、畜産が良いだろう。そこが、なかなかミルクがおいしい、アイスクリームがおいしいというんで、年間、それまで年間20万人位しか来なかった観光客が、60万人以上に増加しました。
 これは、このくらい来れば大分良いな。あとは、町民が、こういう方をどう捉えて生活の足しにするかということでありますけど、なかなか慣れませんので、これはやっぱり、最初は町で施設は作ろうということになり、高原の真中に星降る館という施設を作りました。もちろん、山村振興事業で補助をもらっておりますが。これを、町民の有志に貸します。で、有限会社を作って、それを運営していく。小学校区が3つあるんで、一つだけではいけないんで、もう一つ、あざみ台という見晴らしの良いところに、施設を作って、それも貸しました。最初のは、焼き肉が主でした。次のは、食堂と、奥さん達が作るいろんなものと、自分ところで作る野菜を売るところであります。もう一つは、ラグビーができる芝生のコースを二つと 300人の宿泊施設、そういうのを作りました。で、地元に運営させて行く。いわゆる公設民営型で三つの施設を作って、いわゆる観光教室と林したものも作りました。そうするうちにボーイスカウトなんかもやりましたもんですから、一挙に来る人も多くなりまして、そのうち、もう一つ花公園というものもできました。
 また、バブルの崩壊後ではただ一つというゴルフ場もうまく成功して、来年オープンの予定です。こんなことで、今、150万人の観光客が来るようになったんですけれども、結局そのコンセプトは何かと言うと、自然です。久住は自然が美しい所ですから、地球にやさしい町として、騒音をあまり立てたり、あまり形を崩したりすることははしないことにしています。まずグライダーがあります。マラソンがあります。ラグビーがあります。サッカーがあります。そしてゴルフがあります。そういうスポーツをやろう。それから、畜産面では、全部堆肥を処理して、匂わないものに替えていこうとしています。最後に建物のことですが、小中学校公民館はすべて改巣を終わりましたので、今度は、いよいよ役場を作り替えなければならないようになってますが、この素晴らしいコアやまくにを拝見して大変刺激をうけました。
 やっぱり、建物というのは非常にインパクトがありますので、これだけ集中して作ると、それぞれの機能以上の力があるので、役場も、よほど良い位置に、良いものを作らなければならないなと考えております。これは、県内の各町村とも、公民館を作ったり町民センターを作ったり、何年にも分けてするのに、よくも山国は一度に全部そのようになったなと、大変素晴らしいことであります。これはおそらく全国でもモデルになると思いますので、よほど良く経営をして下さい。吉峯町長のことですから、いろんな困難はあるでしょうけれども克服して、必ずや立派な施設になると思います。我々の町もまた、今申し上げた点で、状況が違いますから、状況に合わせて、又、今日これを拝見しながら、私の町ももちろんですが、県内の他の町村も、これを作ったその人の思い入れと意志というものを、深く胸に刻むことではなかろうかなと思うわけです。ご発展を祈ります。以上、感想になりましたけれども、これで終わります。

佐藤:どうもありがとうございました。
 最後は粟生さんなんですけれども、何か、いろいろと粟生さんに対する質問というか、そういうのも一部出ているような感じもいたしますけれども、例えば、施設作りのコンセプト、先程重々お話いただきましたけれども、そのコンセプトをきちっと皆さん方に浸透させる努力、まあ我々はやったつもりだったんですけれども、若干不足しておったんじやないかなというご指摘もございましたし、それから、大工原さんの方からは、その中でルールが大事だと。ただ、ルールばかりでやっちやうと、私の理解から言いますと、このコアやまくにの場合はルールに縛られない、自由な利用の仕方みたいなものを考えておられるんじやないかなと。ルールに縛られないということを考えるというのも、また変な話なんですけども。そういう形で、施設の設計、いろいろこうやられている感じもいたしますので、先程の話しと若干ダブる部分もあるかも知れませんけども、そのへん含めて、よろしかったらお願いしたいんですが。
 

アメニティ施設をどう使うか

粟生:先程お話させていただいたので、あまりつけ加えることはないと思うのですけれども。このディスカッションのテーマでありますアメニティ施設を利用した地域づくり。このアメニティ施設という言葉そのものは、さほどまだ一般化されていないと言うか、あまり使われない言葉だと思います。快適性というのがアメニティの訳語として使われておりますけれども、我々が普段使っているのは、公共施設でありますとか、商業施設でありますとか、あるいは教育施設という使い方をしています。建築を設計する立場からすると、それぞれの施設が皆アメニティを持っている、快適でありたい、ということを念頭に設計をしているわけです。これも一種の公共施設だと思いますけれども、公共施設の考え方っていうのが、だんだん変わって来ているなという感じがします。今、衛藤町長のお話にもいろいろ施設名が揚げられていましたけれども、基本的に、公共施設が、一種のサービス施設と言っても良いような形に変わってきている。これは、例えば、有名な話ですけれども、千葉県の松戸市がすぐやる課ということで、そういうネーミングで大変有名になりましたけれども、あの松本市長さんが、市役所と書いてある看板の下に、市民の役に立つ所という風にふりがなをふっているんですね。ですから、町役場であれば、町民の役に立っところ、つまりサービスであると。従来、日本の公共施設というのは、何かお上が一方的に作って住民を啓蒙するって言いますかね、美術館にしても、図書館にしても、上から授けてやるんだという発想がありまして、一種の教育施設みたいな、非常にかしこまった、堅苦しい施設というイメージがあったと思うんですけれども。最近は、大分その粋が取り払われて来て、どちらかというと、サービス施設を通り越して、少し商業施設的な雰囲気って言いますか、アミューズメント施設的な雰囲気になってきている。2、3日前の新聞を読みますと、図書館の利用のされ方が大分変わってきてるんですね。図書館に、休日に家族連れで遊びに行くというスタイルが出来始めてる。図書館に言って、ビデオコーナーに行って、ブースが沢山あるわけです。一人で来た人用のビデオを見るブース、二人でアベックで来た人の、それから、家族でいる。そうしますと、日曜日なんか、お弁当を持ってですね、家族連れで図書館に行ってビデオを見ているというようなスタイルができてくる。美術館も同じですね。私は、先程スライドでお見せしませんでしたけれども、岡崎市で美術博物館というのを設計しましたけれども、かなり重要視して作ったのがレストラン部分と、それからミュージアムショップなんですね。たまたま立地が公園の中に建つ美術博物館だったものですから、特にその美術博物を見に来る目的ではない人たちも公園に来ているわけで、そういう人たちが美術博物館に付属したレストランで食事をして、ミュージアムショップに立ち寄って買物をして帰る。美術博物館の中のミュージアムショップそのもの自身も、従来の考え方の美術博物に関連する商品を置くということから少し踏み出して、地元の名産品を売っても良いのではないか。そこまで、ミュージアムショップから一種のミュージアムマートという風に言い方を変えるくらいに、公共施設の中に、ある種の商業的な空間、アミューズメント的な空間を入れ込んで行くということが大分行われるようになりました。たまたまレストランに来た人が、そのついでに、何か面白そうなことをやってるぞということで実術館に寄って、それで美術芸術に目が開かれていくという、そういうベクトルがあっても良いのではないか。まあ、美術が好きな人は、最初からそれが目的で来るわけですから、それよりも、今まで美術にあまり関係のなかったと言いますか、興味の無かった人たちが違う目的で来て、たまたま立ち寄って、美術に目が開かれていくというスタイルのものも必要なんではないか。あるいは、そういうものがこれからの主流になって行くのではないかと考えています。
 美術博物館の中で、最近、エデュテイメントという言い方があります。これも造語ですけれども、エデュケイションとエンターテイメントをくっつけてるんですね。つまり、何かを学ぶということと、楽しむということが一緒になって来る。最初にお話ししましたけれども、何か堅苦しい公共施設から踏み出して、住民が望んでいるサービスに対応していく。しかも、それが非常に楽しい、そこにいることがとても楽しい。本来の目的から外れても良いから、楽しい空間に人々が集まってくるというような仕掛けが、アメニティ施設に繋がっていくのではないかという風に、私は考えているわけです。
 先程、木ノ下さんの方から、県境に居て、境界があって、これは行政区分によってなかなかわれわれの頭というのは固いですから、一旦区切られるとなんとなくその中に閉じ籠りがちだと思うんですね。山国町という名前がつくと山国の中だけという風に考えがちですけれども、実はもう少し広域的に繋がってくるんです。先程、ネットワークという言葉も言いましたけれども、ここにある施設で他にない場合は他から来ていただく、ここになくて他にある場合には他の施設を利用するということが縦横になされるということが、よりアメニティ度を高めていく、いつも同じ顔を見ているんではなくて、いろんな人が混じり合って、新しい情報が常に入って来る、そういう活気のある施設、それがアメニティ施設のもう一つの役割だろうという風に私は考えております。
 その時に、先程、大工原さんの方から、ルールのお話がありました。もちろん、最低限のルールは必要でしょうけれども、可能な限りルールを取り払っていくということも、このアメニティ施設の中では必要なんではないか。それは、境界を取り払うっていうことも一つのルール破りになるかもしれないんですけれども、何か、従来の既成槻念ではない、もう少し素直に、こうありたいというものを積極的に取り込んでいく。町長は、オープンのときに、挨拶の中で、公序良俗に反しない限り新しい使い方を皆さんで考えて、皆さんでこれを使いこなしていこうということをおっしやいました。大変印象的なんですけれども。確かに、今まで前例のない新しい空間がいろいろ用意されて、これは未知なる空間でありまして、そこに、何か新しいアイデアと新しい企画が盛り込まれればそれは生きてくる、それは定着してくるという風に私は思います。
 もしルールをつくるとすれば、可能な限り、出来れば1日に1回くらい町民の方はここに何らかの形で顔を出して欲しいというようなルールがもしあると、面白いかなあと思いますけれどもね。

佐藤:ありがとうございました。かなり結論めいた話しというか、非常に核心に迫った部分が出てきたんじやないかなと思うんですけれども。このアメニティ施設というのは、いくつかの機能は持っているんですけれども、その機能に属さないタウンホール、ガラスに囲まれた、アトリウムと建築的にはいうわけですけれども、ああいう所で行われるいろいろな行為というのが、実は、このアメニティタウンを彩る重要なファクターになっているんじやないかなという感じがしています。
 これは、先程、粟生さんの講演にもありましたけれども、広場だとか、あるいは迷路だとか、意外な隠れた場所と言いますか、そういうのが大量に用意されている、こういうことじやないかなという感じがしております。
 先程、平井さんの方から、子供たちが外に憧れて外に行って、そしてまた帰る時に誇れる町であったら帰りやすいと言いますか、そういうお話しをされたんですけれども、このアメニティ施設というのが、私は、その誇れる町になる、非常に大きなファクターじやないかなと。そのときに、このタウンホールの中で、子供の頃育っていく頃に、いろいろな遊びだとか、あろいは学習をやったことっていうのは、非常に大きな思い出として、心の中に焼き付くんじやないかなという感じがしているんですけども。現在、子供たちが学校から帰るときにタウンホールに寄って、そして遊んだり勉強したりして帰っているということも聞いておりますので、その辺、少しご紹介いただけませんでしょうか。
 

コアやまくにはどのように使われているのか

平井:確かに、私たちや高齢者の方よりも、子供たちがすぐに馴染めた場所です。実際、私の子供も、学校が終わると、わが家とはまったく逆方向のコアに帰ってくるんですね。そして、今はスケートもしますし、とにかく図書館に行って、友達と一緒に宿題をやったり音楽を聴いたりという毎日です。夕方になりますと、子供たちがあっちこっちから集まってきまして、図書館だけでなく、入り口のホールですね、黄色いテーブルがありますけど、あそこで仲良く勉強しているのも見ますし、私たち親としても、日の行き届く所で安心できる場所ですから、本当に良かったなあと思います。パソコンも、列ができるんですね、順番待ちというかたちで。全部を開放してくれてますので、子供たちも伸び伸びって感じですね。
 本当に良い場所ができたなあと感じたのは、うちの子供なんですが、私が迎えにいくのが遅くなった時、図書館でうとうとして、眠っていたんですね。そんな我が子を見て、家でなくてもこういう所にも安心できる場があるんだなあということで、私も嬉しく思いました。各部屋でも、中国語や水墨画などの講座が夜も昼もずっと組まれています。子供神楽も、子供アトリエという立派な場所がありますので、そこで練習されてますし、高校生も、バンドの練習を思い切りやれる場として利用していますし、子供たちの方がどんどん利用していると思います。
 いろんなことをするうえで、出費がかなりあると思うんですよね。ここ何年聞かはそういう所が気になる部分ですけど、波及効果があれば出費はあっても良いと思います。だから、どんどん、色んな体験をすることによってきっと何かが見えてくると思います。高齢者の方も、どんどん集まって来れるような、何か私たちワーキングとしても、そういう企画もしていきたいなと思います。そして、だれもが気軽に立ち寄れる、ここに来れば誰かに会える、そんな場所にしたいですね。

佐藤:どうもありがとうございました。実は、もう時間があと15分程度しかないんですけども、もう少し義論を進めたいと思います。行政の目標っていうのが景観であるという風に言った有名な人がいるんですけども、それに加えて、私は、やはり今日のこの施設を見させて頂きましたし、それから、皆さん方の議論が続いておるんですけども、アメニティを通じて、人々の心の中に思い出作りと言いますか、思い出作りと言うと非常にトレンディなんですけども、そういうのが行政の目標になってきてるんじやないかなという感じがしてるんですね。その場合に、先程来から出ておりますけれども、公共施設自体がアメニティ性を持たなきやいけないと、いわゆる機能オンリーじや駄目だ、要するに行政機能だけじや駄目なんだということだと思うんですね。そうしたときに、やはり求められるのは非常にグレードの高いもの、デザイン的にも非常にすぐれたものじやないと、思い出作りには、なかなか結び付いていかないんじやないかなという感じがしているんです。ただ、そうした時に、やはり費用はそう簡単にどこからでも出て来るわけじやないんで、いろんな工夫が必要になってくる。衛藤町長さん、今、町長さんのところでは役場の庁舎を立て替えようという風にお考えのようですけども、今こういう風な議論をお聞きになって、役場庁舎というのは、どういう風にあらねばならないのか、あるいはどういう風にしたいとお考えになっているのか、町民サービスにどういう風に応えていかなきやいけないのか、その辺ちょっと、何かありましたらお聞かせいただきたいんですが。
 

これからの施設づくりのあり方は

衛藤:役場は、事務をしたり証明をしたりする、そういう所というイメージですけれども、これからは、なるべく、隣にある公民館あたりとか、他の施設とも関連して、総合的な効果を挙げるように、また、町民が入ったときに権威を感じるようなんじやなくて、アットホームな感じのするような役場にしなきやいかんなあと。それから、ここも非常に素晴らしくて、大変な経費がかかるだろうと思いますけども、幾つかの施設を一緒にしますから、別々にかかる経費を合計すると、結構、これもデラックスな割には経費が少ないんじやないかな、そういうランニングコストの点も十分考えていかにやならんなという風に思います。ここは位置が良いのは、商工会館の前に広場がありますし、すぐ農協がありますしね、位置が非常に良いんで、この通りは、ここを中心にして、段々盛り場になって、一日に一度はここに来ないと落ち着かないというような町民が、段々増えていくのじやないかなあと。だから、やっぱり今度作る場合も、場所をいろいろ考えて、ただ事務の中心じやなくて住民生活で魅力の中心というような面も考えて作らなきやいかんなあなど考え、課題が多くなりました。

佐藤:どうもありがとうございました。それから、大工原さん、ちょっとお伺いしたいんですけれども。現在、コンベンションセンターを運営されてる立場ですし、それから、かつては北九州のコンベンション施設の運営に携わっておられたということで、広い意味では、このコアやまくにもコンベンション施設だと思うんですね。で、そしてそのコンベンション施設が実は非常に広域の人々の交流の場になっていると。ただ、そういう施設としての性格を捉えたときに、このコンベンション施設から波及できるものと言いますか、町の中に、町の活性化と言いますか、その波及出来る部分、あるいは観光という風なことにも関わって来るかとは思いますけれども、その辺で何かお考えがございましたら。
 

コンベンション施設の波及効果

大工原:ただ今、コンベンションというお話がございました。私は先程から皆さんのお話をお聞きしてまして、まさにこのコアやまくにがコンベンション施設だなということを実感しております。いろいろ話しをしますと長くなるんですけれども、簡単に申しますと、face to face、要するに顔と顔を合わせることがコンベンションなんですよ、ということがよく言われます。これはまさにその通りでございまして、今、例えば私どもがビーコンプラザでやっておりますのは、地域の活性化のために、主に経済的波及効果を狙って、県外からお客さんを沢山呼んで来よう。観光客であっても、会議に来る人であっても、あるいはその他スポーツをする人であっても構わないけども、県外からお客さんを沢山呼んで来よう。で、別府に泊まって頂こうと。こういうのが今、大きな使命としてあるわけです。またそれとは全然別に、このコアやまくには、ここにお住まいの皆さんがそれぞれなんらかの目的があって集まっていらっしやる、まさにそれがもう一つの意味でのコンベンション、少なくとも人と人が会うわけですから、これが、結局コンベンションの原義だと思います。人と人が会えば、そこに必ず情報の交換があるわけですね。どんな情報でも構わないんですけれども。昔よくあった井戸端会議のような情報交換でも構わないと思いますし、あるいは、ここでコンサートがある、ショーがあるというようなことでそういった文化の真髄と言いますかね、あるいは音楽会の、ものすごい異質と言いますか、レベルの
高いものを見たり聞いたりすることによって自分が受け取る情報、まあ、いろんな意味での情報というのはあるんでしようけれども、そういった情報交換がなされ人々の意識が変わり、地域の活性化につながって行くわけです。
 それと、観光という切り口からいたしますと、やはり、観光というのは、非常に直接的な部分、例えば、観光名所があるかないか、あるいはホテルがあるかないか、旅館があるかないかとか、あるいは食べ物が旨いかまずいかとか、そういう面で単純に捉えられるんですけ
れども、本当の意味で観光というのは、非常に幅広いものではないかなと私は考えております。例えば、皆さん方が誇っていらっしやるこの自然の景観、森林であり、河川であり、あるいは日常のゴミ処理の問題であり、あるいは道路作りであり、色んな意味での広いインフラがないと、なかなか観光というのは発達と言いますか、進展しないんではないかなと考えています。したがって、行政の面から見ますと、できるだけ縦割りではなくて、横断的な目で振興していくべきではないかなと私は考えております。また、強いてコアやまくにと観光を結び付けるとすれば、先程考えておったんですけれども、例えば、日本全国唯一このコアやまくにだけが、地域住民の人たちがここに常に集まって来て、自分たちのものとしている、要するによそ向けの顔じやないという。これがもし定着すれば、それが広まって、じやあ、このコアやまくに、山国町はどういう形でそういったシステムを作り上げたのか、あるいは、地域住民の人たちのどういう運動が何を支えたのか、こういったことが、多分皆さんの注目を引いて、ひいては観光客ではないにしても、そういった点に興味のある人たちも沢山この地に訪れて来るようになるんじやないかなという気がします。今までのお話を聞いてましたら、十分このコアやまくにはそういった機能を果たせるような気がいたします。いずれはそういつた意味で、全国から人が必ず来ると私は信じております。
 

佐藤:どうもありがとうございました。木ノ下さんは、県北ではつとに名の売れた町づくりの名手でいらっしやいますけども、そしてまた、このオープニング行事を中津下毛ネットワークの中で構想されて、大成功を収めたという風にも聞いております。この種の施設が出来て、最初の一年は色んな意味で皆さん注目されているし、それから、所謂、盛り上げていこうという意識が他の地域の方々にもあるんじやないかなと思うんですけれども、これから、例えば2年目、3年目とか、息の長いコアやまくにの利用の仕方というか、そういう風なことを考えたときに、ご自分として、個人的な、あるいはこういうことはできないんだけどもということもあって結構ですけれども、夢を膨らませる意味で、何かご提言がございましたら。
 

コアやまくにをどのように使いこなすか

木ノ下:最初、この行事に関わった時には、建物の立派さと言いますか、すごさにびっくりしました。で、行事をやることによってここに何回も足を運ぶ時に、もう建物へのびっくりさは無くなってきたんですね。色んな行事をやる時に、すごく使い易いというびっくりさとか、 330のキヤパが手頃で良いなとかっていうびっくりさがあって、例えばコンサートをしたときに、アーチストの人が、非常に音響が良い、このコンクリートに幕があると反響がもうちょっと良くなるんですけれどもとかいう風に、建物の使い安さ、反響の良さとかを聞いてびっくりする。ずうっとびっくりさがどんどん変わっていくんですね。で、一年経って、ああまだ頑張ってやっているなっていうびっくりさになってきて、もう建物にびっくりしている時じやないなという風に思うんですね。今日、上から見ていますと、山国の人は刺さんがいますが、例えば地元の人たちがこのコアを使ってどれだけ面白がっているかというびっくりさがあって、周りの人たちが、刺さん手を貸してよという風な形で関われていって、色んなものを周りの人で作っていけれるような、地元の人が元気よく。私たちもいろんなことをやったんですけど、地元の人たちが随分関わりやすい形のシステム作りをして、中津からみんな定期バスに乗って三交軒まで出かけて来て、途中からいろいろ市町村の人たちが来て会議をするということをしたんです。意外と、地元の人たちが一番少なかったりとかっていうようなことがあったりで、意外と地元の人が本当のすごさとか、本当に関わることの面白さっていうか、地元すぎて、コアの財団の人とか役場の人たちが全部お世話をしてくれて、意外と外からの人よりも地元の人の方が関わり方が指示待ちと言いますか、指示されてやっていく。また動員か、またかとというような形になってくると、何かげっぷがが出て、一年経つとうっとうしくて、もういいよみたいなことになると大変なので、なにかやっぱり、刺さんたち地元に住んでいる人を中心にして、何か手伝ってというふうな形の、イベントなどに乗っていかないと摸するぞ、みたいなムードづくりが絶対今から必要だと思うんですね。これも、資料を見ますと、48億円の工事費がかかっていて、多分、山国町だけの予算ではないでしょうから、県とかそういうことでしょうから、中津に住んでいる人も、県南に住んでいる人も、やっぱり、山国町にあるコアやまくにでしょうが、県民のシンボルという風に捉えて、山国の人がダラダラしてると余所から来て面白がって使って、何か乗っ取ってしまうぞというような感じの使い方をどんどん外からアプローチをして、山国の人に活を入れると言いますか、蹴りを入れて、一緒に楽しんでいけると良いですね。だから、どこから来てる、中津の人がしてるとか、久住の人がしてるんだとかいうようなことでなくて、建物が目立つよりも、そこにいる人が目立つような形の仕組みづくりというか。久住の町長さんのところには、ラグビー場の鷲塚っていう私の友達ががいますけれども、彼がいるお陰で、彼が声をかけると人が集まるんです。小国の江藤さんなんかっていうのは、人のネットワークっていうか、あいつがいるから行かなきや損だ、みたいなものがあるんですね。で、コアに行くのは、コアに行くんじやなくて、山国の誰々のところに行くとコアで何かやってるよと、人と人の出会いのヒューマンネットワークを大事にした動きにもうそろそろなっていく必要があるんではないか。そういうことでは、ぜひ、地元の元気の良い人って言いますか、そういう人をいっぱい作って、そういう人に会いに来るとコアやまくにのおもしろさがわかるという、もう建物のびっくりさじやなくって、人の面白さのびっくりさが大事な頃だろうと思います。

佐藤:非常に示唆に富んだお話をありがとうございました。もう予定した時間がそろそろ来ているんですけれども、最後に、粟生先生、このコアを設計されて、世に送り出すといいますか、県北のこの地域でコアやまくにがどんどん育っていくという、そしてそれが町づくりに、町全体の活性化に繋がっていくという、そういう構図が、実はやはり粟生さんのお考えじやないかなという風に思うんですけれども、そういう点で、この町の発展、地域の発展に、もう少しこれを利用するとすれば、あるいはどのように成長して欲しいかとか、その辺を含めて、もう少しお話しをうかがいたいんですが。

コアやまくにをこのように使ってほしい(設計者の立場から)

栗生:先ほど、大工原さんの方から、コンベンションの原義っていうのが、face to face、人の出会いっていうものがコンベンションである、それが情報交換に繋がっていくというお話がありまして、まさにそのとおりだなあという風に思います。人の出会いというのが、例えば、今、木ノ下さんのお話にありましたように、山国町と山国町以外の人たちの出会いというものもかなり重要で、積極的に利用していただけるんであれば、本当によそからどんどん来ていただきたいということが一つですね。午前中の話にも入れましたけれども、できるだけ外部との交流をすることによってアメニティ度を高めて行きたいということが一つあります。もう一つは、今度は山国町の内部で、先ほど平井さんのお話の中でも、子供さんとか若い人たちが敏感に反応してよく使っていただいている、この館全体がまさに子供の遊び場になっていくというような、ある意味ではルール破り的なところもあるのかもしれませんけれども、そういう形で小さい子供にも親しみが持てる公共施設になっていくということも、念願してた部分でありまして、その点に関しては、良い方向に動いているのかなあという風に思います。ただ、ちょっと高齢者の方々が寄り付きづらいというところがまだあるのかなあと思います。人口の三分の一が高齢者だということも含めて、やはり高齢者の方々に積極的に使っていただくための仕掛けなり工夫、あるいは空間のしつらえみたいなものも、もうちょっと考えていかないといけないと思います。face to faceの出会いは、やはり世代間の出会いも必要だと思うんですね。子供ばかりがいるというのも少し問題ですし、お年寄りばかりというのもちょっと困る。いろんな世代の人たちがface to faceで出会う、そういう空間でありたい。その意味で、これが町の居間である、あるいは、先ほど衛藤町長がおっしやいましたけれど、茶の間になる、一日一度はそこに行って、誰かの顔を見てお互いに安心する、同じ場所に住んでいるんだと共感しあうような場所になっていったら良いなあと考えています。

佐藤:ありがとうございました。普通のディスカッションですと、私の方で最後にまとめなければいけないんですけれども、実はまとめる用意もしているんですけれども、予定の時間を過ぎております。そしてまた、この後、アイススケートの模範演技もあるようですから、あえて私の方からのまとめは省略させていただきます。非常に示唆に富んだお話をありがとうございました。このコアやまくにが、山国町だけに限らず、この地域の、あるいは大分県全体の活性化に役だっていくことを祈念いたしまして、パネルディスカッションを終わりにしたいと思います。どうもありがとうございました。

シンポジウムの会場風景
 
 
スケートリンクのオープン行事(模範演技)