東京遊牧少女の包(パオ)

 

伊東豊雄氏が以前考えていた「東京遊牧少女の包(パオ)」に見られるように、−現実に今日、ファミリーレストランは住宅内のダイニングルーム以上に家族団欒を意識させる場であるかも知れず、デパートの惣菜コーナーや近隣の24時間のファミリーマーケットは住居内のキッチンや冷蔵庫以上の役割を果たしているかもしれない。

東京という都市の異様な活気は、ものの消費にとどまらず空間の消費、そして終いにわれわれの暮らしの最後の砦と考えられていた家そのものまでもいまや消費してしまいかねない。  このような家の消費、家の解体を推進する最大の立役者は都市で一人暮らしを営む女性である。

彼女たちにとって映画館や劇場やバーはリビングルームであり、レストランはダイニングルームであり、トレーニングジムのプールやサウナはバスルームである。ブティックはワードローブであり、コインランドリーは彼女たちの洗濯機である。彼女たちにとっては都市空間の総体が棲みかである。彼女たちの行動の軌跡を結ぶ空間そのものが家であると言うことすらできる。

しかし、彼女たちにとって家はもはや存在する必要がないのだろうか?いや、華やかな都市のあちこちで夢の空間を満喫した彼女たちにも帰るべき一時の「ねぐら」は残されている。

− そんな彼女たちの家をモデルにしたのが「東京遊牧少女の包(パオ)」である。