観


歴史沿革

蘇州は古い歴史と文化をもつ有名な都市である。呉王闔閭(前514年〜前496年)が周りが 1.5キロしかなかった小さな都を周りが23.5キロもある「闔閭大城」に拡張してから、すでに2500年経っている。

蘇州にはもともと「姑蘇」と言う雅やかな名称があった。この「姑蘇」と言う別称が唐代以前からあったことを、唐の詩人張継の書いた詩「楓橋夜泊」の「姑蘇城外寒山寺、夜半鐘声到客船」の二句が物語っている。   

隋の開皇九年 (589年)になってから、かつて呉県、呉郡、呉州と呼ばれた呉国の旧都にようやく「蘇州」と言う新しい名称がつけられた。これも今日まで約1300年の歴史がある。

 

地理位置

蘇州は「庭園の都市」、「水郷の都市」。この風光明媚な都市はあたかも燦然と輝くダイヤモンドのように、長江デルタ地帯の肥沃な土地の上にちりばめられている。交通が便利で、後背地が広いなど地理的に恵まれた条件を備えている。中国地図を見ると、蘇州は江蘇省の南東部に位置し、東は昆山、上海に、南は呉江に、北は常熟、無錫に接し、西は広広とした太湖に臨んでいる。呉県は蘇州を取り囲み、滬寧鉄道と滬寧高速道路(上海〜南京)は同市の北を横切り、京杭大運河と呉淞江 (蘇州河) はここで交わっている。

地図の経線と緯線を見ると、蘇州はおよそ東経119°55′〜121°20′、北緯30°47′〜32°02′のところに位置している。

 

気候

蘇州は北部亜熱帯モンスーン気候に属し、四季の変化がはっきりしている。気候は温暖多湿で、年平均降雨量は1100〜1200ミリである。四季の気温はおよそ次の通り。

  四月初め〜六月中旬    10°22℃

  六月中旬〜九月中旬    22°40℃

  九月中旬〜十一月中旬  22°10℃

  十一月中旬〜四月初め  10°-6℃

年間の平均気温は16℃前後、六月中旬から七月上旬にかけて約20日間の梅雨期があり、年間の無霜期間は約 230日、成長期は九ヶ月あまり。年間日照時間2,000時間くらい。

 

面積と人口

蘇州市の総面積は8488.42平方キロメートルを有する。日本の広島県(8474平方キロメートル)にほぼ等しい。

蘇州市市区の面積は 392平方キロ、市区内には平江区、滄浪区、金閻区、郊外区、工業園区、蘇州新区の六つの行政区が設けられ、そのうち市街地の面積は74平方キロ、旧市街地の面積は14.2平方キロ。県級市も 6ある。すなわち常熟市、張家港市、太倉市、昆山市、呉県市、呉江市。

1998年現在蘇州市の総人口は574.99万です。市区人口107.07万である。市全体の人口密度は677人/平方キロメートルです。

 

工業

蘇州の近代工業は 130年余りの歴史を有している。現在、全市の工業企業は1.45万余り、工業の業種は、機械、紡績、シルク、工芸、食品など11余りに及んでいる。特に近年以来、電子計算機、機械電子一体化、生物製薬、精細化学工業、家電などの新興工業が発展を遂げつつある。

1997年蘇州市工業総生産額は2357億元である。

 

農業

宋代 (960〜1279年)の蘇州に「蘇湖熟、天下足 (蘇州、湖州地区の農作物が実れば、全国をまかなうのに十分である) 」と言う諺があった。これは古代の蘇州、湖州地区の農産物の収量が非常に高く、全国の重要農産物地帯であったことを物語っている。

蘇州は北部亜熱帯の南側に位置している。土壌が肥沃である。耕地面積は30万ヘクタールに上る、主な農作物は水稲、小麦、綿花、油料作物、野菜などで、単位面積収穫量では中国の最高地区の一つとなっている。牧畜業は豚、家禽を主とし、特に発展が速い。また、椎茸、ニンニク、兎の毛、鶏肉、太湖銀魚、太湖蟹などの農水産物は特に海外市場での売れ行きが好調である。

 

商業と金融

1997年、蘇州の社会商品小売総額は 286.6億元である、現在、商業・サービス業の店舗数は10.8万あまりで、従業員は32.1万人。全市の消費者価格指数は100.6%、商品小売価格指数は98.4%、1985年以来の最低点です。

蘇州では、次第に中央銀行(中国人民銀行)が指導する、国家の専業銀行が主体となる、多種類の金融機構が併存している新しい金融システムが形成されている。

1997年、全市の金融機構が2151家あり、従業員は2.1万人。

 

対外貿易

蘇州市の対外貿易は長い歴史を持っています、1997年の自営輸出入総額は84.5億米ドルで、うち輸出額は50.4億米ドルに達しました。輸出額の中で三資企業が34.5億米ドルを占めている。(50.4億米ドルの68.3%)    蘇州は対外貿易の機構が整っており、品目ごとの専門の輸出入公司、生産と貿易が一体となった工貿結合の輸出入公司、直接に輸出入を行っている工場、更には対外運輸、倉庫、包装、広告、保険など一連の対外貿易関連のサービス企業もあります。

蘇州の人民は、世界各地の貿易関係者が参観や視察や商談に来訪することを熱意を込めて歓迎致します。

 

文化教育

蘇州は教育、文化、科学技術の分野で良好な基盤がある、1997年在学小学生48.49万人、高等学校生16.85万人、高校生と専門学校生9.37万人、短大生7.14万人、大学生2.83万人、成人高等教育の受講者が2.05万人いる。

1997年教育投入金額は17億元、全市の教師は 4万人います。

 

郵便と通信

蘇州の電信局は現在、国際水準のプロセス制御交換機 183.6万本を設置し、国内・国際電話のサービス、電報、ファクシミリ、無線通信、テレビ電話、データ通信、インターネットなどの業務を提供しています。

 

観光

「天には極楽あれば、地には蘇州と杭州ある」。

蘇州は世界的にも有名な観光都市であり、イタリアの旅行家マルコポーロ(1254〜1324年)はその「東方見聞録」のなかで、「蘇州は頗る珍しい大都市であり」と書いているが、「東洋のぺニス」と言われている蘇州は名所旧跡と古風な庭園の整備に力入れた結果、四つの庭園は国連世界遺産になった。その四つの庭園は下の通り:

拙政園 (蘇州最大の庭園であり、唐代は詩人陸亀蒙の住居であった。)

網師園 (南宋代に造成されたが荒廃、清代に重建された。古い時代の家屋がよく保持されている。)

環秀山荘 (五代銭元りょう金閣園旧址、中は中国蘇繍藝術博物館があります)

留園 (明嘉靖徐泰時造った、太湖奇石「瑞雲峰」有名)

観光客が年々増加することから生じる需要に合わせて、近年、数多くの中高級ホテルを新しく建設している。1997年蘇州に来る観光客は41.6万人。

 

蘇州園林概要

「江南園林甲天下、蘇州園林甲江南(全国では長江以南地区の庭園がもっともよく、長江以南地区では蘇州の庭園がもっともよい)」と言われている。

春秋時代、呉王夫差が建てた館娃宮は、蘇州で最初に造営された庭園である、今は遺跡だけ霊岩山に残っています。

東晋(317〜420年)の顧氏辟疆園、唐代(618〜907年)の孫園、宋代(960〜1279年)の滄浪亭はいずれも歴史上極めて有名な庭園である。

「蘇州府誌」の記載によると、蘇州の庭園は明代(1368〜1644年)には271ヶ所、清代には130ヶ所あったという。現存する庭園のうち、もっとも古いものは約1000年の歴史をもち、一般には400年ないし800年の歴史を持っている。蘇州の庭園は数が多く、歴史が古いだけでなく、設計も精巧で、独特な風格があり、長江以南地区の庭園造築の粋を集めている。したがって、蘇州は以前から「庭園の都市」とも称されている。

庭園と言ったら、中国古代の庭園は二種類があり、一種は宮庭の庭園で、つまり帝王の御苑、北京の頤和園がそうである。もう一種は自家庭園、つまり地主、官僚、豪商が造営した庭園で、蘇州の庭園はこれに属する。

蘇州の古典的な庭園は中国南部の自家庭園の代表である。面積は一般に大きくない、居住と遊覧との二重の作用を持っている。それはつぎのような三つの特色がある。@限られた空間を千変万化の風景区と遊覧コースに巧みに仕立てている。A巧みに景色を生かして「咫尺天涯 (近いけれど天涯に隔たっているように近づけない)」の感を強くしているB 額、対聨、詩と詞、題詠など文学的手段を用い、人々の想像力を深めさせ、いかにも蘇州の庭園が詩情と画意に富んでいる感じを与える。様々な庭園はそれぞれ観光客に合った風情を探し求めることが出来ます。

蘇州現存するこれらの庭園は古代文化遺産の珍品であり、それぞれ独特なところがある。滄浪亭、獅子林、拙政園、留園は宋、元、明、清四代の庭園の芸術的な風格を代表している。

「山は高いことにあらず、仙人がいれば則ち名高くなり、水は深いことにあらず、竜がいれば則ちあらたかになる」とよく言われているが、蘇州の庭園のような小さな天地にもこのような芸術的感動を与える力をもっている。

 

都市計画概要

1996年〜2010年の蘇州市総体都市計画によると、蘇州は壕で囲まれ旧城を中心に東と西の両側に2つの新しい地区(東部はシンガポールの工業用地、西部は蘇州の新しい工業用地)をもつように開発・発展する予定である。新しい地区と古都の間は新住宅地にし、道路、排水と電力系統等の現代都市の基本施設を全面改善し、2つの新しい地区と古都のつながりを強める。この総体計画によれば、都市の4つの角から開放空間を導入し、壕と共同で古都を囲むように特色のある新しい蘇州市を作りあげ、都市に離れたところに昔の田んぼが都市を取り囲んでいて、緑の農林区域になっている。都市の商業区を壕の西側の石路地区に集中させ、市役所も西側に遷移し、ほぼ蘇州の新工業区に隣接するようになる。干将路という道路を2つの新地区を結ぶ紐帯として建設し、道路の両側に高層ホテルや、商業ビルもだんだん建てられている。

 この総体計画は、「一体二翼」(1つの体と2つの翼)と呼ばれ、都市現代化発展と共に旧の都市にかけられている圧力を緩和するために出されたもので、都市中心部の人口密度を分散し、なるべく早めに現代化の都市基礎施設を改善・提供すると同時に、工業用地を調整し、蘇州経済発展の核心である工業のレイアウトをもっと合理化することによって、蘇州市が穏やかに順調に新世紀に邁進できるように狙っているものである。

 

 

 


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