2. ソウル市について


2.1 ソウル市の沿革

韓国の都市計画業務は都市計画自体が住民の生活と私産権に密接な関連があるにもかかわらず、主に政府が主体になって行われた。しかし、1981年には都市計画法が改正され、都市計画の樹立の際、市民公聴会を開いて市民の意見を義務的に反映するようにし、制度的には実質的な市民参加の道が開かれた。都市計画(再整備)の義務化と都市計画事業、事業施行計画の樹立の際にも市民供覧を義務化し、関係者の意見を受け入れられるようにした。しかし、運用過程における広報不足、市民の無関心などによって、今日までは満足できる成果を得ることができなかった。

首都圏は三段階の行政階層から成っている。上部のものは特別市、直轄市、道で、次が市、都、区で、最後が邑、面、洞である。このなかで邑、面、洞は市、郡、区の単純な下部行政区域で、その他はみな地方自治団体である。特別市、直轄市、道は中間または広域自治団体で、市、郡、区は基礎自治団体という。区のなかで特別市と直轄市の区のみが自治団体で、一般市の区は自治団体ではない市の下部行政団体に過ぎない。

行政樹立以来、首都圏はソウル特別市とキョンギドになっていたが、1981年にインチョン市が直轄市に昇格して1特別市、1直轄市、1都になっている。これらの下部にある基礎自治体団体は26区、18市、18郡など合わせて64個である。ソウル特別市の22区、インチョン直轄市の6区、キョンギドの18市、18郡がそれにあたる。本来キョンギドには市が少なかったのだが、1960年代になって急速に増加し、18個にもなったのである。

2.2 ソウル市の地勢

2.2.1 ソウル市の位置

ソウル市は朝鮮半島の西側の中央部に位置し、北緯36°34′、東経126°59′の緯度経度をもっている。面積は、1908年では16.5km2であったが、1973年には627.06km2と、約38倍にも拡大され、1997年現在、605.52km2に達している。延長距離は東西間に36.78km、南北間に30.3kmである。

2.2.2 ソウル市の自然環境

ソウルの自然環境を見ると、北方には太白山脈から西方に向かう北韓山(Pukansan)の地脈である北岳(Pugaksan)と仁王山(Inwangsan)があり、南方にある冠岳山(Kwanaksan)は、北韓山と向かい合うように位置している。その冠岳山と北韓山の真ん中に南山(Namsan)があり、その間の地形は丘陵、山が散在し、土地の起伏が激しい。また、北方の北韓山、南方の冠岳山、ソウル市外の西方に位置する徳陽山と東方に位置する竜馬山は、風水的意味を持つ山とされ、さらに標高も高いことから、景観的意味も非常に重要となる。

東西には漢江(Hangan)が貫流し、ソウルを南北に分断している。漢江は、首都の上水源であり、未来のソウルの中心軸とされ、漢江の沖積地に発達する汝矣島(Yoido)などには、高層化されたビル群が形成されている。また、ソウルのオープンスペース、代表的な景観資源として位置づけらる一方、1994年現在、166個のアパート団地が開発され、再開発、再建築によって高層化、高密化が引き起こされ、景観的、もしくは環境的な様々な問題が引き起こされている。

漢江についての詳細を以下に示す。

長さ ソウル市 41.5km(全長467.77km)

面積 ソウル市 22、994km2

幅  ソウル市 600〜1、200m

ソウルは、周囲を囲む山々や、南山などのソウル中心に位置する山と中央部を流れる漢江によって、緑地と水界が調和した、豊かな自然景観を形成している。豊かな自然景観と人工的景観の調和は、非常に重要とされる。

ソウルの地形状況を、以下に示す。

2.2.3 ソウル市の人口

ソウル市の人口は1945年以降、1990年に至るまで減少することなく増加しつづけていたが、1990年以降横ばいの状態になり、現在は減少傾向にある。ソウル市の人口の推移を以下の図に示す。

また、1997年のソウル市及び、韓国のその他の主要都市における面積、世帯数、人口、人口密度を以下の表に示す。

2.2.4 ソウル市の都市計画区域

区域の種類は特定施設の制限区域、市街化調整区域、詳細計画区域、広域計画区域、開発制限区域、都市開発予定区域などがあり、ソウル市には制限開発区域(グリーンベルト)が、166.82ku指定されている。

具体的に、開発制度区域は都市の無秩序な拡散を防止し、都市周辺の自然環境を保全して市民の健全な生活環境を確保する機能する。また、安保上、都市開発を制限するための目的として首都圏開発制限区域を最初に指定したのは、1971年7月30日、建設部告示第447号で、ソウル市の外郭総面積129.4kuを決定告示したものである。これは1960年代以後3次の経済開発5ヶ年計画の成功的な効果をもたらした国家的立場でのソウル市の量的成長と共に急進的な人口の集中をもたらし、また、これによる施設の集中と人口の過密化を防止して環境を純化させる目的で当時の都市計画法を改正し、開発制限区域を法制化して実施するようになったものである。それによってソウル市の外郭とソウル市都市計画区域である京畿道の一帯を含む総面積129.4kuの緑地に対してこの地域を開発制限区域に設定するようになったのである。以後、既に告示された建設部告示第447号の開発制限区域に対して、建設部告示46号では既に指定された地域の現状を徹底的に把握し、境界線を確認するとともに境界標石を設置し、管理に万全を期するのである。しかし、境界線が既存施設の一部を貫通したり隣接する場合と、道路、河川、山林が良好な地形地物に隣接する場合があるため、計画線に隣接した施設および密集部落は除外し、森の状態が良好だったり、標高が高い山地は追加するなど、これを調整したのである。

以後1976年1月28日大統領令第7963号によって改正された都市計画法施行令及び1976年4月2日建設部令第179号による施行法則に従って開発制限区域の細部規制を定め、その後1995年1月20日高陽市、南楊州市の区域が分離され、これ以前209.2kuだったソウルの開発制限区域は現在、面積は166.82ku(市全体の27.6%)となっている。


村山部屋

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